事務所からゆっくり歩いて小一時間、小じんまりした三角山の登山口に着く。数年前までは毎週のように登っていたのだが、平成17(2005)年に脳梗塞を起こしてからはまだ一度も挑戦していない。たかだか311メートルの小山に過ぎないし、事務所そのものがゼロメートル地帯ではないのだから、登山と言っても純粋に高低差311メートルを制覇したことになるわけではない。

 それでも10数年前は体重が80キロを超えていて、なんとか運動によって減量することはできないかと考えていたことと軽い登山とが一致したこともあって、それなり励みになっていた。もちろん節酒や間食の制限もあってのことだろうが、ダイエットの効果は徐々にあらわれていき、毎日の手帳への体重計の記録が楽しみになっていった。

 だがそんな時に突然の脳梗塞による入院であった(別稿「我がミニ闘病記」参照)。さいわい後遺症が残ることもなく、間もなく日常を取り戻すことができた。脳梗塞の原因には色々あるだろうけれど、素人の判断によれば医師から「血液さらさら」の薬を毎日飲めと指示されていることなどから考えるなら、毎日の生活の中で「血液どろどろ」にしないよう注意を払うことにある。

 それにはまず毎日多めの水を飲むことである。飲んだ水がそのまま「血液どろどろ」を薄める効果があるかどうかは疑問だが、夏になると熱射病(日射病)の予防には脱水症状を押えるために水分補給をとの報道や専門家の指導などが繰り返されていることとも一致するような気がする。そしてそれに加えて過激な汗をかかないこと、つまり体から水分を出さないように努めることも血液さらさらを維持する方法であるように感じる。

 三角山は登山口から約一時間で山頂に届く。途中で挫折したり風雨で中断するような心配のないゆったり登山が可能の山で、登るときには必ずペットボトル入りのお茶を持参する。ダイエットが目的の登山だから、途中でお菓子や果物を口に入れることは禁物だが水分は必須である。

 それが脳梗塞の入院で状況が一変した。山道を登りながら汗まみれになることは、運動・ダイエットという意味での評価はできるけれど、反面血液をさらさらにする効果とは反するような気がする。つまり三角山登山を継続するか中止するかは、ダイエットをとるかそれとも脳梗塞再発という危険をとるかというジレンマを抱えることと同義になったのである。極端に言うなら、「スマートさをとるか命をとるか」みたいな選択を迫られることでもある。命根性が汚いと言われようとも、答えは明らかである。そんなこんなで、退院を境に登山はあっさりと中止の方向に向かうことになった。しかも薬や水分補給など毎日注意をしていたのに、脳梗塞は再発してしまった(別稿「脳梗塞が再発した」参照)。これで登山はすっかり諦めざるを得なくなった。

 そして最近エッセイの発表にも見られるように、怠惰は私の特権でもある。「慣れと怠惰」とは必ずしも結びつくものではないだろうが、少なくとも我が身にとって見れば互いにくっつきあうことを狙っているかような仲にある。それに加えて足が痛くなってきた。これは毎日約一万歩を繰り返してきた自宅との往復徒歩通勤に原因があるのかも知れない。毎日の歩きを、伊能忠敬に喩えたのは格好がいいが(別稿「4000万歩の男」参照)、どうやら足首の関節が酷使に耐えかねて悲鳴を上げだしたのである。何度か整形外科医を訪ねたのだが、騙し騙しゆっくり使うか、足首固定手術といって足首を曲がらないように金属で固定するしか方法はないという。

 ヒアルロン酸の注入はと聞くと、一過性ですぐに効果がなくなるとの話しだし、人工関節があるのではとの質問には、腰や膝の人工関節はそれなり効果が高いが、現状では足首は勧められないとの非情な答えである。

 まあ歩くには多少不便だが、通勤にはそれほど支障も感じられないこと、手術は絶対成功するという保障はないことなどもあって、結局「騙し騙し」を選ぶこととした。つまりは三角山登山を中止するにはもってこいの条件が整ったということである。

 さて話は変わるけれど、その三角山は遠く我が家のマンションの6階からも小さい三角形の形を見せていた。だが我がマンションの界隈もショッピングモールや大型食品スーパーなどができるにしたがって人気が高まり、ぐるりとマンションが林立するうよになってきた。そして数年前ら目の前に15階建てのマンションが立ちはだかるように建ち、三角山はその陰に隠れてしまった。

 ところで足が痛くなってから、徒歩通勤は止めて2つ駅離れた琴似駅までJRで通うことにして通勤定期券のお世話になっている。下車駅から事務所までは直線でゆっくり歩いても約20分くらいで着くのだが、この道からも真正面からやや左寄りに三角山が見えていたのである。毎日の通勤を必ずしも三角山を意識しながら歩いていたわけではないが、それでも見上げればいつでも目の前にこの山があり、どこか懐かしさを味わうことができた。

 その通勤路から眺める三角山が、いつの間にか直線道路の左側に立ち始めたいくつかのマンション群に陰されてしまうようになってきたのである。事務所までの通勤路のやや正面に見えていたので、歩くにしたがって中空を望む視点が変わる。だから山を隠しているマンションを通り過ぎると再び三角山は姿を表すのだが、一年ほど前までの間にいくつものマンションが視界を遮るように建ちはじめ、とうとう事務所へ曲がる先にも見上げるようなマンションが建った。それで通勤路の視点から見える三角山は次々と隠されてしまうことになったのである。

 それでもまだ三角山はかろうじて私の視界に残っていた。それは駅のプラットホームから眺めの中にである。通勤する琴似駅の線路は高架になっていて乗車口は地上数メートルの高さにある。朝は下車してそのままエスカレーターで地上へと向かうので風景を眺める余裕はないが、帰途は電車を待つそのホームの真正面に三角山は姿を見せていた。もちろん真冬になると帰宅時間の空は真っ暗なので山の姿は闇に溶け込んでしまうけれど、やがて空が明るくなってくると黄昏や薄暮などに浮かぶ三角山は、それでも帰宅する私をいつも慰めてくれていた。

 その三角山も、視界の中間点くらいに立ち始めた新しい高層マンションがその姿を遮りはじめたのである。今はまだ頂上を僅かに残しているが、やがて全部を隠してしまうだろうことは、そのマンションの屋上から延びている何本かの鉄骨が山の頂上よりも高くなっていることで察しがつく。

 琴似に事務所を構えて14年近くになる。あれほど親しかった三角山が、いつの間にか登山から遠のき、そして視界からも遠のいて行って、間もなく完全に私の目の前から消える日が来るのである。もちろん手を尽くせば三角山を眺望できる空間を見つけることはまだまだ可能だろう。ただ日常生活の中で当たり前に見えていた風景が、こんなにも短期間にまったく姿を消してしまう現実に、それを「時代の変化」の一言で片付けてしまうには、少し寂しく少し心残りだったのである。


                                     2014.4.24    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
三角山が消えていく