天皇の罪と題して、二回にわたって書いてきた(別稿「天皇の罪 1」、「天皇の罪 2」参照)。この歳になっても戦争が気になると言うのは、74年も前のことだとはいえ8月が終戦の月だからなのだろう。原爆投下が語られ、記念日として慰霊の行事が行われ、個人や団体から戦争の悲劇が多くのメディアを通じて語られるのが、8月は特に多い。

 そうした慰霊なり戦争の思い出が、悪いと言うのではない。戦争の悲惨さや反対などの様々な意見が、間違っていると言いたいのでもない。でも、どこかでそうした私たちの戦争に対する姿勢が、被害者意識に偏っているように思えてならない。私たちは余りにも戦争と言うものを、「被害者である」との立場から眺め過ぎているのではないだろうか。

 たしかに「私たちは戦争の被害者」である。戦死者がいて、傷病兵がいる。被害は兵隊に限ることなく、民間人、赤ん坊、女性や老人などの非戦闘員にまで及んだ。沖縄戦があり、原爆が広島と長崎に投下され、東京大空襲に代表されるように、九州から北海道まで日本の多くの地域に米軍機による爆弾が、雨あられと降り注いだ。

 それは単にどの地域で何千人何万人の死者が出たという、数の問題ではなかった。死はひとりひとりの死であり、それは銃弾に打ち抜かれ、爆弾にはらわたをえぐられ、火災の炎と煙にまかれて窒息し、原爆では皮膚が焼け爛れて体からぶら下がる、そんな死であった。そうした死はそれぞれが個別の悲惨であり、被災者の悲惨は死よりも無残な場合もあっただろう。

 でも、そうした悲惨さは戦争の半分を表すものでしかない。少し想像力を働かせるだけで容易に分かるとおり、私たちは確かに戦争の被害者ではあるけれど、同時に加害者でもあったからある。私たちの家族や同胞が殺されたように、私たちもまた敵国とみなした相手国の国民に、同じような殺戮をくり返してきたからである。

 そうした事実に対して、私たちは鉄砲で相手を撃っただけだったのに、相手は原爆を使って何万人もの人たちを一瞬で殺した、だから相手の方が数倍悪い、と言う意見があるかもしれない。でも死は、そんな一言で片付けてしまえるような事柄ではない。戦争は、殺した数と殺された数との比較で善悪を論じられるようなものではないからである。

 例えば、最も悲惨と言われ、現在でも開発と競争が世界に拡散しようとしている核兵器について考えてみよう。一人一殺の銃と原爆を対比して、だから原爆が悪いと言えるだろうか。大量殺戮兵器は、そのことだけで悪になるのだろうか。

 兵器の歴史は銃からマシンガンへ進化し、それが大砲へと変化していく過程でもあった。そしてそうした兵器の行き着く先に、ミサイルの登場があり、原爆がそこへつながるのである。

 質量とエネルギーの関係理論は既に発表されていた。「一日でも早く原爆を作った国がこの戦争に勝つ」との考えは、世界の各国における共通の認識であった。そして日本もまた例外ではなく、原爆の研究開発をしていたことは、つとに知られている事実である(島本慈子、「戦争で死ぬ、ということ」岩波新書、山本洋一、「日本製原爆の真相」、陽樹社など参照)。

 福島県石川町のある地域では、原爆の原料となるウラン鉱石の採集が行われ、多くの高校生がその採掘作業に従事したと言われている。

 現場の学校に派遣された軍人は、「マッチ箱一つでニューヨークを吹き飛ばせる」と、学生を鼓舞した。また、結果的に誤報だったようだが、ドイツが原子爆弾を完成し使用したとの報道が、日本の新聞各紙に掲載された。このことは日本人もまた原爆の知識を持ち、その威力を知っていたことを示している。

 「マッチ箱一つの原爆でニューヨークを吹っ飛ばせる」、なんと効果的で的確なメッセージだろう。日本人は原爆の効果を、軍部も含め的確に知っていたのである。そして完成した暁には、それをニューヨークに向けて投下することを躊躇する理由など少しもなかったのである。

 確かに日本は原爆を完成できなかった。日本の技術力では、アメリカより先にその新型爆弾の威力を敵国たる鬼畜米英に示すことはできなかった。でもそれは結果論である。原爆を完成させていたなら、必ず使用しただろうことに疑いはない。それが戦争に勝つことなのだから。

 そんなことくらい、日本は偏西風に乗せて風船爆弾をアメリカ本土へ飛ばせたことからも分かる。そしてアメリカに届く確率は小さかったにせよ、成功したのである。それだけではない。カミカゼ飛行隊や回天と呼ばれる人間魚雷による自爆テロ方式を、日本は世界に先駆けて戦争に使ったのである。

 それだけではない。毒ガスもまた日本で研究が進められ、人をどのように効率的に殺戮できるかの人体実験も繰り返し行われていた。そんな日本が、人道的に原爆の使用を自制したとはとても思えない。

 つまり、日本人も諸外国と同じように、加害者として遜色ない地位にいたということである。だからと言って日本人だけが特に悪かったとは思わない。勝つためには手段を選ばない、それがむしろ戦争と言うものの本質なのだろう。

 被害者の地位に自らを置くことくらい、容易いものはない。あらゆる罪過から解放されて、気持ちが楽になる。こちらが被害者なら相手は自動的に悪となり、被害者と名乗るだけで自らを善人の地位に置くことができる。そこには、必ずしもふさわしい言葉だとは思わないけれど、「お互い様」みたいな対等意識が、すっかり消えてしまう。

 被害者意識には、そうした麻薬にも似た効果がある。日本人は紛れもなく加害者でもあるにもかかわらず、そうした記憶がすっぽりと抜け落ちてしまうのである。戦争による日本人の死者、傷病者、遺族や被災者などなど、それを嘆けば嘆くだけ、自らの善人としての地位が向上し、加害者であることの意識が霧散してしまうことになる。

 どの新聞も、どのテレビも、8月15日の終戦記念日に向けて、これでもこれでもばかりに被害者である叫びを満載する。そして他方、加害者であることには口をつぐんで語ろうとはしない。そこに私は、どうしようもない違和感を覚える。たとえ私がその当時5歳の幼児だったとしても、更には仮にまだ生まれていなかったとしても、それでも日本人は加害者だったのである。私たちはその子孫であることを忘れてはいけない。消えることのない、消してはいけない、私たちは戦争の加害者であり、そしてその末裔なのである。


                    2019.8.31        佐々木利夫


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加害としての戦争