更新記録の中でも何度か書いたけれど、白内障の両眼手術を体験した。高齢になることと白内障は、ある程度仕方がないとは思っていたけれど、20数年も前から薄々ではあるが何か見え方に違和感のあることは感じていた。

 例えば銀行の待合室や事務室などの比較的広い室内で、空中にタバコの煙が漂っているように感じるのである。現実に紫煙が漂っているのなら問題ないのだが、禁煙場所であったり、タバコを吸っている人が一人もいないにもかかわらず、部屋中にどことなく紫煙が漂っているのである。

 もちろんタバコの臭いなどは少しもしない。それにもかかわらず蛍光灯の灯った室内には、うっすらと紫煙が漂っているのである。

 気になるほどの紫煙ではない。ほんのうっすらである。でも間違いなくタバコらしき煙なのである。別にタバコの煙だと断定できるわけではない。部屋の中がなんとなくかすんでいる。それが煙だとするなら、原因はタバコ以外だと常識的には火事くらいしか考えられない。

 しかし周りの人たちに火災のような気配はないし、第一火事らしい異臭もしてこない。それで、このうっすらは煙ではなく、自分の目に原因があるのではないかと思ったのが最初である。

 だからと言って日常生活に不便を来すような事態ではない。新聞を読んだりテレビを見たり、時に本を読むのにも特別な支障などなく、歩行やバスやJRなどの乗降にも影響はなかった。つまり、日常が少し煙っぽいくらいで、多くの場面ではその「煙っぽい」ことにも特に気付かない状態だった。

 それがここ数年、その「煙っぽさ」が日常的に気になるようになってきたのである。遠くの文字も読めるし、事務所への通勤にも特に支障はない。

 不便さの最初は新聞であった。読めないことはないのだが、読むことに努力が必要になってきた。100円ショップから、直径5センチほどの虫眼鏡を買ってきた。読みやすいのである。そして次第に細かい文字だけで構成されている「おくやみ欄」などは、虫眼鏡なしでは読む気がしなくなってきた。

 「読めなくなった」は少し違うかもしれない。読めないのではなく、読めるけれど読みにくいので読む気がしないというのが本音のような気がする。読みにくいことから、つい虫眼鏡を使ってしまうことが常態化するようになってきたのである。

 そうなると新聞が読みにくいという状況は、そのまま本を読むことにもつながっていくことになる。でも「虫眼鏡を使って本を読む」なんてことは、これまでの私の読書習慣からは考えられないことであった。

 そんな折に胸の痛みで緊急入院することになった(別稿「入院への序章」、「入院、そして手術」など参照)。入院中の読書が禁止されていたわけではないが、ここは事務所すぐそばの図書館からは遠く離れたベッドの上である。しかも私の読書の嗜好は、病院に置いてある週刊誌や漫画本からは程遠いジャンルである。

 更に昨年9月に発症した三回目の脳梗塞(別稿「とうとう三回目〜1」参照)の影響で左目に斜視が起き、その時診察してもらった眼科医から「年齢相応の白内障がある」と言われたのである。

 読みたい本は手元になく、仮にあっても視力が弱く読む気が起きない。しかも読書環境は病院のベッドの中である。そんな三重苦が私を襲うことになった。読まない習慣が更なる読む気力の喪失に拍車をかける、環境はまさにそんなループを私に押し付けることになったのである。

 そして読書意欲の喪失は退院後も続いた。蔵書は自宅の書棚にたっぷりあるし、そのうち読もうと思っていた本も少なからずあったにもかかわらず、手に取ろうとする気が起きないのである。

 そんな状態が半年ほど続いた。そのうちに税理士を辞めて事務所も閉鎖しようかと思うようになってきた。図書館とはいよいよ縁遠くなるばかりである。当然のことながら白内障は自然治癒することはない。また薬などによる治療方法もないと担当医は言う。

 気のせいか、かすみ眼は少しずつ進行していってるような感じがする。歩行に困難はないけれど、この状態をすっきり治す方法が一つだけある。手術することである。白内障手術については、これまでの長い経験から、その意味なり理屈は十分に理解できているつもりである。

 ただ問題は、眼の手術という心理的負荷である。手術に抵抗があるというわけではないのだが、何と言っても眼である。「目ん玉にメスを入れる」という心理的な圧迫感が、理屈抜きに嫌悪感を呼ぶ。手術が必要なことも、手術の意味も、キチンと分かっているにもかかわらずである。

 決断がなかなかつかないのである。単に心理的に怖いというだけの、臆病さからくる躊躇でしかない。それだけが原因だと分かっている。分かっているのに、なかなか決断がつけられないのである。

 そしてある日、覚悟を決めて医師に白内障の手術を受けたいと申し入れた。医師からは即座に入院日や検査日などの日程などが伝えられた。また、万が一の危険に対処するための同意書へのサインも求められた。私は迷いながらもサインして、「目ん玉にメスを入れること」に同意したのである。

 いよいよ手術を受けることになりました。次回はそのてん末です。「白内障手術記」へ続きます。



                        2020.10.31      佐々木利夫



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白内障体験記