第四節 必要経費

 必要経費とは何かの間題は必ずしも判然とした定義を下せないが、基本的には資本主義経済における拡大再生産の必要、ないし要請から生ずるものであろう。つまり、もし、必要経費が全額控除されないとするなら、部分的に課税が資本にくいこむことになるであろう。ところが、資本主義経済において、拡大再生産を果してゆくためては、どうしても原資が維持されてゆく必要があるし、あるいは投下資本が完全に回収されねばならないということになる。そこから必要経費の要請が出てくるのである。

 その手がかりとして、昭和42年名古屋高裁判決を引用してみたいと思う。この事件は、住宅兼店舗を買受ける契約をして手付金を支払ったが、その後、原告側の理由からその買受ができないこととなったために、その放棄した手付金を所得計算上必要経費として控除すべきであるとの主張が排斥されたものである。
 判旨は「いわゆる必要経費とは当該収入を得るために必要な経費である限り、売上原価などのような直接間接の費用であろうとすべてその中に包含されるものであるけれども、それはあくまでも直接間接の費用に限定されるものであって費用にあたらないものは包含されない趣旨と解さなければならない」としたものである。

ここで注意を要するのは「費用にあたらないものは必要経費に包含されない」として、明らかにその前提に費用と損失を区別すべきである旨を明らかにしたものと判断されることである。このことは所得税法上次のように理解することができよう。即ち、所得税法37条は「別段の定めのあるものを除き、収入を得るために直接要した費用と販売費、一般管理費のような所得を生ずべき業務について生じた費用」としており、ここでは明らかに必要経費、必要なる経費、収益対応もしくは収益を得るための一般的がい然性を明示しているとみることができる。この別段の定めとは51条の資産損失等を指すのであるが、これは後程触れることとし、ここでは一般的に費用とはいかなるものかを考えてみる。
    ※必要経費の概念については別稿参照

1 標準的な経費
 一般的に費用とは、経営活動のために消費せられた価値を示し、この価値を消費することによってその対価たるより多くの経済的価値、即ち収益を得ることができるものであって、収益獲得の手段となって始めて費用としての標識が与えられると考えることができるであろう。つまり、目的たる収益、手段たる費用、そしてこの差額として所得の認識が発生すると考えられる。従って目的を伴なわない価値の消費は費用とならないと考えてよいはずである。換言するなら経営本来の目的活動とは無関係の次元での消費は費用とならないのである。

@一般管理費等
 不動産所得の計算においても、不動産収入と直接間接に結びつく費用はすべて必要経費に含まれる。たとえぱ、租税公課、(賃貸物件の固定資産悦、収入印紙代、組合費等)、水道光熱費(事業として消費した水道料、電燈料、ガス代等)、修繕費(家屋や壁の塗り替え、畳の表替え、破損したガラス等の取替え、障子ふすまの張り替え等)、消耗品費(帳簿、筆記具等の購入費等)、広告宣伝費(新聞等の広告費等)、火災保険料(賃貸物件に対する保険料、火災共済等の掛金等)、旅費通信費(集金などのために支払った、交通費、事業用に使用した電話料、切手代等)、給料賃金(管理人に支払った給料等)、借入金利子(業務の用に供する資産の取得のために借入れた資金の利子等)、減価償却費(不動産等を取得するために支払った金額を、その不動産等の使用可能期間〜法定耐用年数を基として計算した償却額)等がある。

 ただ、ここで注意しなけれぱならないのは、必要経費全般についていえることなのであるが、所得税法には家計費排除の考え方が非常に強く働いていることである。具体的には所得税法45条にあらわれているが、単に家事関連費を含めないというのみならず、家事関運費と業務遂行との区分が明らかにされないものをも含まない(所令96条1項)とするほどの強力なものである。
これは法人税法における損金とはかなり異質なものである。所得税も法人税も共に利潤税であるという意味において類似性を持つことは当然であるといえるが、所得税においては企業そのものに対する課税という観念が徹底している訳ではなく、企業主たる個人に対する課税という考え方に立脚しているところにその特徴があろう。その個人は生活手段のために収益を得、消費生活を維持していくという経済行動を中心として考えられた自然人であり、その経済行動における収入・支出もまた、企業と家計が分離されていない状態にあって、明確には区別されないものも多く存在するのである。

 従ってある支出が、営利目的を追求するためのものと外形的には同一であっても、この未分離の状態ゆえに主観的な個人の意思によって「目的」の内容はどのようにも変り、この意味において必要経費の概念も、法人税法における損金の内答とは必ずしも同一であるということはできない。
 所得税というものが、そもそも所得という側面をとらえて課税するものである以上、収入から必要経費を控除するという形態をとることは寧ろ必然的な結果であり、他方、租税は公平に負担されるべきであるという理念とも相まって、いやしくも個人の主観的な意思によってその所得が左右されることは排斥されなければならないであろう。

A 修繕費と資本的支出
 修繕費はその固定資産(建物等)を本来の目的に沿って稼動させるための支出であるという意味において必要経費に含まれる。
 所得税法施行令138条はしかし、a 耐用年数の延長をもたらした支出、b 固定資産の価値の増加をもたらした支出を資本的支出と名づけて必要経費から除くとしている。この条文は、その意味するところはそれほど困難とも思えないが、具体的事例にぶつけてみると、必ずしも明確に割り切れるとはいえない。
 もちろん資本的支出といっても、後述する減価償却によりいずれは費用化されるのであるが、支出年分の一時の必要経費となるか否かは暦年を単位とする現行税法上重要な問題とならざるを得ない。

 基本的には、ある支出が「修繕費」となるか「資本的支出」となるかは、いわば耐用年数を決定する際、すでに考慮されているはずである。つまり、ある種の部分の取り替え・補修を前提として耐用年数が定められていると考えられるのであり、完全に放置した状態を考えての耐用年数決定ではないといえるであろう。しかし、それにも係わらず、この間題は現在でも必ずしも解決されていないといってよい。

 たとえばガラスが割れたので入れ替えた…これは当然修繕費となる。しかし、その時、同じ性質のガラスを入れたのなら間題ないが、高価なガラスを入れた、あるいはついでに他のガラスも入れ替えたとなると、段々区分が分からなくなってくるといえる。

 判例も、a 費用償還請求権(民法196条)、償金請求権(民法248条)を行使することが可能か否かの点にその差を求めたもの(大阪高裁昭和38年7月18日)、b 修繕費を固定資産の損耗額を減価償却において予見した額に至るまで回復するのに必要な経費であるとしたもの(大阪高裁昭和34年4月15日)、c 資本的支出に該当する資産の使用可能期間の延長又は価格の増加の判定基準は取得価格主義に立脚するものである。…所得税法が資本的支出を必要経費より除外する旨規定したのは、事業所得税が損益計算の立場から決定せらるべき事業所得を対象とするものであるところ、いわゆる資本的支出は現金なる資産を、現金を対価として取得せられた他種の資産の振替に過ぎず、損益には関係なく…(京都地裁昭和31年10月19日)と、必ずしも一律的な表現とはなっていない。具体的事例では d 日覆用たてすをテントに改装したのは資本的支出(大阪高裁昭和36年3月31日)、e 旧市場の床を新市場の床と同一の高さにするためになされたコンクリート床改築は修繕費(名古屋地裁昭和36,4,28)、f 店舗用建物の雨戸・天井の張替は資本的支出(福岡地裁昭和29年5月12日)、g 修繕の程度を超えた工場復旧、増築の費用は必要経費とならない(大阪地裁昭和24年11月30日)等がある。
 一般的に修繕費とは、損傷部分の原状回復費であり、原能力維持のための支出と考えてよいであろう。

 なお、実務上の取扱は、個々人の判断が微妙に食い違うこともあって、その基準を一応定めている(所得税基本通達37-10以降)。

B減価償却費の計算
 土地や電話加入権等のように減価しないものを除き、通常の固定資産は時の経過と共に、その価値を減少してゆくのが普通である。もっとも、価値の減少といっても、どのような形で減少してゆくのかは必ずしも明らかではない。再売買価格を基に考えるか、所有している本人の主観的価値を基とするか、その固定資産の利用価値を基とするかなどによっても異なる。
 しかし、所得税法は不動産所得の計算上、減価償却の方法を定額法と定率法の二本のみを認めた(届出のないときは定額法、なお建物は常に定額法(平成10年4月以降取得))。
 そして固定資産の用途によってその耐用年数を定め、その耐用年数経過後の残存価格を取得価格の10%(最終的には5%)とみなし、その取得価格から残存価格を控除した残額を耐用年数期間中の必要経費に割振ることとしたものである。その割振りの方法として、定額法は毎年一定額を、定率法は毎年一定の率を未償却残高に乗じた額を基礎とするものである。

 なお、減価償却の対象となる固定資産は、前述の資本的支出のほか、原則として取得価格が10万円以上のものに限られ、これに満たないものは資産計上を要せず、全額が必要経費とされる(所令138条)。
 この外、個人が取得した一定の優良賃貸住宅については、通常の滅価償却費よりも多い償却額が認められている。この適用を受けるためには、確定申告書にこの特例を受ける旨を記載し、割増償却の計算に関する明細書の添付が必要となるが、青色申告は要件とされない(措置法14条)。

2 立退料
 これまでで、通常の不産収入に係る必要経費は満足されると思われる。しかし、特殊・臨時的な支出も当然ある訳で、以下この点を中心に稿を進めたい。
 立退料の支払には、大別して二つの場合がある。一つは現入居者より他に良い条件で賃貸先が見つかったとか、その賃貸物を自分で使用したい等の理由から立退料を支払う揚合であり、二つは賃貸している物件を譲渡するとか、賃貸建物を取壊して敷地を譲渡するために支払う立退料である。
 前者については不動産所得の計算上、必要経費とされるが、後者については立退料支払の目的が、専ら土地や建物の譲渡のためであるから、譲渡所得の討算上控除することになる。