第二節 給与所得と源泉徴収制度
1 源泉徴収制度の導入
昭和15年に分類所得税が採用された時、従来公社債、預金の利子に限られていた源泉徴収制度が新たに給与所得(当時の名称は勤労所得)にまで拡大された。このことはその後の所得税の発展にとって画期的なこと(1)であったといえるが、徴収方法の便宜さがその根本にあったと思われ「勤労所得の免税点が1,200円から720円に引き下げられ、所得税の納税人口が拡大したので徴税の必要から源泉徴収にふみ切った」(2)とみてよいであろうし、前節注(7)もこれを裏付けている。この便宜確実さが、ともすれば源泉徴収の対象を拡大したいといった財政側の傾向を刺激しなかったとはいえないであろう。
公社債利子の源泉徴収に関しても「貸幣所得に属し而かも簿記の備わる所にても、人は故意に出来るだけ所得を小さく申告しようとするから、簿記を偽って脱税を計ることとなりうる。之が適格な反証を挙ぐることは仲々難い。官公吏の俸給は捕捉易であり、土地家屋の所得、公示義務ある会社の所得、国債利子の如きは之に次いで捕捉易いが、其でも多少は逃げらるる。日本の第二種所得を源泉課税とするも此あるが為であり」(3)と捕捉率の完膚さを目的とし、又施行されこそしなかったが戦時愛国税を創設すべしとして「個人の所得に対し・・源泉課税を行うこと。(例えば日雇労働者等にして集団的取扱をなし得るものは組合よリ徴収すること)」(4)等便宜さが主張される。又現行税法においても「報酬料金等については、わが国ほど広く源泉徴収の対象に取り入れている国はない」(5)といわれるのも故なきことではない。
2 源泉徴収制度の目的
源泉徴収制度は「給与所得者に対する所得税の徴収方法として能率的であり、合理的であって、公共の福祉の要請にこたえるものといわなければならない。…同じ所得税であっても所得の種類や態様の異るに応じて、それぞれにふさわしいような徴税の方法、納付の時期等が別様に定められていることはむしろ当然であって」(6)といわれ、「所得税の実施は賃金や俸給に対する源泉徴収制度によって非常に助けられている」(7)とされるごとく、論理性よりもむしろ便宜性がその中心にあるといえる。
給与所得における源泉徴収制度は単に源泉徴収という事実のみならず、年末調整という形態を採用したために他国に類を見ないほどに完璧な制度となった(8)。つまり給与所得控除以外の控除が認められていないところから、所得金額の算出が容易であり、通常給与所得者は一ケ所からの収入が多く、且つ雇主との雇用関係は長期的であるため、人的控除等の個人的な事情の把握が容易であること、雇主は通常給料計算を行うからその手続上に源泉徴収事務を乗せることは能力的にも容易であり、加えて確定申告を必要としないことが、給与所得者にとっても課税庁にとっても非常に便利なわけである。
そしてこの点に課税庁にとっての給与所得の特殊性があるといえる。即ち、給与所得であるか、それ以外の所得であるかのメリットは源泉徴収制度そのものにあるのではなく、より本質的には多数の納税義務者について、申告手続を経由しないで納税義務の完了する年末調整制度にあるといえるからである。
3 源泉徴収廃止論への反論と反省
源泉徴収の廃止論は徴収義務者と納税者自身とから提起されている。
徴収義務者から提起された問題点は、徴税事務のための補償がなく私有財産権が侵害されている、給与所得者を他の所得者と申告の面で差別し、又徴収義務着を一般国民と差別している、更に徴税義務は強制労働を課すものである、が主要なものである。
これらはいずれも最高裁により(9)公共の福祉の要請、所得の態様によって徴税方法が異るのは当然であり、支払者と受給者の関係上能率面からの合理性、苦役であり奴隷的拘束であるとするのは誇張であるとして排斥されている。結局第三者に徴収義務者としての負担を負わせるのであるから、そのためには納税者(担税者)と徴収義務者との間になんらかの経済的なつながりがあり、第三者を徴収義務者とすることが社会通念上妥当であると認められ、同時にその負担が余り大きいものでなく徴収義務者自身の業務遂行に付随して処理されるようなものでなければならないであろう(10)。
他方納税者自身からの提起は直接訴訟としての廃止論主張は見当らないようである。主要なものは「給与所得者は所得全部に課税され、税額を交渉できない」(11)、「天引による徴収のため滞納の自由がない、100%近い捕捉率を保証するものであって他の所得者との間に税法執行上のアンバランスによる不利益がある。」(12)があげられ、又徴収義務者からのものであるが、「労働基準法の賃金全額払に違反する」等がある。これらについて「源泉徴収をやめて自主申告を認めよとの主張が、脱税や滞納の不平等からの脱却を求めるものであっては困る」(13)し、賃金全額払に反しないことは労働基準法24条に「法令に別段の定がある場合は…賃金の一部を控除して払うことができる」とあり、所法38条1項及び43条2項はいずれもこの別段の定めに該当する以上故なき主張といわざるを得ない。猶、捕捉率の差についてはさまざまな議論が交されており、次節において再度とりあげることとするが源泉徴収廃止論とは次元の異なる問題であると考える。
年末調整廃止に関する意見は昭和25年の大蔵委員会の席上で早くも見られるが、税の公平化の要請の見地から廃止論は行き過ぎであるとの政府側答弁がある(14)。少なくとも給与所得において年末調整を失うことは、その背骨を抜かれるに等しく、現在の厖大な納税者を限られた職員で把握してゆく面から、又申告手続不要という納税者自身のメリット、徴税コストの面からの国民経済性からみても必要不可欠であるといえよう。
ただ、源泉徴収制度は極めて便宜的且つ確実性の高いものであるから、取り易いところから取っているのではないか、なんでも徴収義務者に押しつけているのではないかといった批判を受けることのないよう留意していく必要があろう。もっとも源泉徴収制度の便宜さは一概に否定さるべきではない。税を天引きではなく、自から納付しタックスペイヤーとしての自覚のもとに骨身にしみるものとして把えるか、又、間接税のウエィトの高いラテン系西欧諸国のように苦痛が少なく、税を支払っているという意識が希薄なものとして把えるか、そのいずれが適しているかは、結局国民性の問題に帰着するであろう。
注 (1) 林大造 所得税の基本聞題P247
(2) 大森トク子 税制百年史 税務弘報18巻2号P114
(3) 神戸正雄 租税研究繁3巻P199〜200
(4) 日本経済連盟編 戦時税制の諸問題P6
(5) 林大造 前掲P241
(6) 最判昭37.2.28判例時報288号P6
(7) R・グード 個人所得税P36 塩崎潤訳
(8) アメリカには年末調整の制度がなく、ドイヅでは不足額を徴収しないところの還付のみの年末調整がされている。イギリスでは用いられているが非常に課税庁の手数を必要とし我国と比すべくもない。
(9) 前掲(6)に同じ
(10) この訴訟についての原告・披告の主張答弁は、斉藤明著租税法の現代的課題P19〜47に詳しい。
(11) 総評 税金酷書
(12) 清水敬次 給与所碍課税と必要経費 法学論叢82巻2・3・4号P202
(13) 植松守雄 サラリーマソ減税論に思う 産業経理29巻5号P116
(14) 平田政府委員答弁 昭和25年3月4日第25回大蔵委員会
「年末調整というのは非常に税の負担を公平化するための不可欠な制度でございまして、やはりこの制度を廃止しますと、非常に所得税の負担が不公平になると存じます。」
昭和25年6月第7国会税法改正関係質疑応答録(税制改正資料集第三巻上巻〜衆議院)P99
文責 佐々木利夫
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