給与所得の性格と課税上の問題点(3)
  

第三節 給与所得控除の発生と考え方

 1 給与所得控除の推移

 (1) 明治20年の所得税法における給与所得は「其金額ヲ以テ所得トス」とあり、なんら控除は設けられておらず、又綜合所得税制度のもとにおける所得の一類型としての性格しか与えられていなかったため、積極的な給与所得としての位置づけはない。

 (2) 大正2年、初めて現在の給与所得控除の萌芽ともいうべきものが新設された。所法第4条の4は「第三種ノ所得中俸給、給料、手当、歳費二付テハ収入予算年額ヨリ其ノ十分ノ一ヲ控除シタルモノヲモッテ所得トス」と規定した。通常勤労控除と呼ばれているが実際は給与所得に対してのみ認めたもので、他の勤労性所得、たとえば小規模事業や原始産業等には適用がない。この改正により一応勤労所得者の負担を合理化しようとする社会政策的要素が加味されたと見ることができ、それなりに評価して良いであろう。
 以下、条文をたどりつつ現在までの給与所得控除の沿革をさぐってみる。

 (3) 大正9年「前条ノ規定二依リ算出シタル金額一万二千円以下ナルトキハ其ノ所得中俸給給料才費年金恩給退穏料賞与及此等ノ性質ヲ有スル給与二付テハ其ノ十分ノ一、六千円以下ナルトキハ同十分ノ二ニ相当スル金額ヲ控除ス」。

 ここで初めて従来の一律10%を改めて、収入階層による区別と頭打ち制の採用がなされた。ただ注意しなければならないのは控除が給与所得についてのみ認められていたにもかかわらず第三種所得(公社債預金等の利子を除く個人所得)全体が12,000円以下の場合に限られていることである。つまり、所得が大きくなるとこの控除は適用されなかった訳であり、このことは所得税法創設以来給与所得には必要経費の観念がなかったか、又は極めて希薄であったことを意味しているといってよいであろうし、所得の質を重視していたと考えられ、この傾向は引き続きシヤウプ勧告まで維持されている。

 (4) 大正15年勤労所得の定義を賞与と給与等に限定しながら
 一、所得総額六千円以下ナルトキハ勤労所得ノ十分ノニ
 ニ、所碍総額中勤労所得以外ノ所得六千円以上ナルトキハ勤労所樽の十分ノ一
 三、所得総額六千円ヲ超エ勤労所得以外ノ所得六千円未満ナルトキハ勤労所得中勤労所得以外ノ所得ト合算シテ六千円二達スル迄ノ金額ノ十分ノニ、其ノ他ノ金額ノ十分ノ一

 (5) 昭和15年、分類所得税と綜合所得税の二本だて制度が採用された。分類所得税については勤労所得に関し720円の基礎控除を認めるとともに税率も他の所得種より低い6%に定められた。又綜合所得税についても総所得金額が一万円以下である場合には勤労所得の10%が控除されていた。
 綜合所碍税における10%控除は先の大正9年以来の最高1,200円控除より後退しているがほぼ同様の制度が引き続き残されたと考えてよい。更に分類所得税における720円の基礎控除が新たに加えられたことで有利性を与えられたかのように見えるが、これは勤労所得に特有なものではなく山林所得(500円)、不動産所得(250円)、事業所得(500円)など他の所得種についても一定の控除がおかれていたから給与所得としての特殊性を示すものであったとは認め難い。ただ、分類所得税率の若干の低さと、更に若干の綜合所得税における控除額とも相まって、相対的に給与所得が有利な扱いとなっていることは否定できない。

 (6) 昭和17年、上記の720円の基礎控除が600円に引き下げられた。

 (7) 昭和21年、同600円が2,400円に引き上げられた。

 (8) 昭和22年、分類所得税が廃止され現在のような綜合課税制度となり、給与所得控除の名称のもとに収入の20%最高限度6,000を控除することとした。猶同年11月にこの控除率及び最高限度額は25%、12,500円に改められている。戦後の混乱が手に取るようである。

 (9) 昭和23年、最高限度を37、500円とした。

 (10) 昭和25年、控除率を15%に、最高限度を30,000円にそれぞれ引き下げた。
これはシヤウプ勧告によるものである。当初「給与所得者はかれらの所得のうちに、より大きな勤労所得者的な要素があることに鑑み、同類の控除(現行の基礎控除のこと=佐々木注)以外、別に10%の勤労控除を受けるであろう。」(1)と10%の勧告を受け、政府もこれに対して「(25%から10%への圧縮は)少額事業所得との負担の均衡という点の考慮であって少額事業所得者は、たとえば農業所得であると、自己の労賃が所得の相当部分を占める。小営業者であっても同様」(2)として同意を示したのであるが、立法の段階で15%に修正されたものである。
 これについて前尾繁三郎氏は大蔵委員会の席上「終戦後の経済混乱に伴う、臨時的措置でありまして、経済が正常化されつつある今日、これ(25%の控除率のこと=佐々木注)を常道化しますることは当然の措置であります。ことにシヤウプ勧告の一割圧縮にもかかわらず一割五分としたことは旧套を墨守せずさりとて理想にも走らず、まったくその機宜を得たものと考える」(3)と述べていることは、給与所得控除の性格を考えるうえで興味ある話題を提供しているといえよう。

 (11) 昭和28年、最高限度額を45,000円とした。

 (12) 昭和30年、同60,000円にした。
 この年国会修正により概算所得控除制が新設された。これは社会保険料控除、医療費控除及び災害等の雑損控除に代えて所得金額(給与の場合は収入金額)の5%(限度額15,O00円、但し昭和30年は25%、7,0OO円)を選択的に認めたもので給与所得に特有なものではない。
 猶、この制度は32年には廃止されている。

 (13) 昭和31年、控除率を20%に、最高限度を80、000円に引き上げた。

 (14) 昭和32年、収入40万円まで20%、80万円まで10%、最高限度12万円とした。

 (15) 昭和36年、定額控除1万円、定額控除後の収入金額40万円まで20%、70万円まで10%、最高限度12万円とした。
 この年、昭和48年までその形態が維持された定額控除制の採用があった。これは「給与所得者一般に通ずる固定経費に着目し、基礎控除的に控除を認め、あわせて低額の所得者を中心に減税の利益を及ぼす趣旨から」(4)創設されたものと説明されている。

 (16) 昭和39年以降43年まで毎年定額控除、最高限度額の引き上げがなされるが、10%、20%の2段階控除率は変わらない。
 以下各年の定額控除額と最高限度額のみを記す。
 39年2万円、14万円。40年3万円、15万円。41年4万円、18万円。42年8万円、22万円。43年10万円、28万円。

 (17) 昭和44年、従来の2段階控除を4段階に分け、定額控除後の収入金額が80万円まで20%、100万円まで15%、200万円まで5%、300万円まで25%とし、定額控除額は10万円のまますえ置いた。この結果最高限度は、365,000円と大巾な上昇となったが、年収90万円までの者は前年と変るところはなかった。

 (18) 昭和45年 定額控除10万円、最高限度50万円。

 (19) 昭和46年 同10万円と53万円。

 (20) 昭和48年 同16万円と76万円。

 (21) 昭和49年定額控除制、最高限度制を廃止し、収入150万円まで40%、300万円まで30%、600万円まで20%、600万円超10%、最少限度50万円とした。
 この改正は従来のパターソを大巾に変更したもので、控除率の引き上げや定額控除制の打切りにも増して上限の撤廃されたことが注目される。ある収入に対して算出された控除額に対して果してどのような意味付けを与えたら良いのか理解に苦しむ面もでてきたといえ、このことは給与所得控除の内容と共に考えなければならないと思うので本節3において検討したい。

 以上給与所得控除の流れをみてきた訳であるが、概ね一貫して控除額の引き上げというパターンで進行してきている。併しこのことがかならずしも物価騰貴等、名目所得の上昇に見合っていたか、又はそれ以上に実質的な控除引上げになっていたかは極めて疑問である。例えば昭和31年の税調賢料によると「大正15年から昭和15年までの給与所得控除額の最高は1,800円であり、これに対応する収入金額は12,000円である。これを昭和31年の物価に換算すると60万円及び390万円となる。」(5)

 これに対し、昭和31年における実際の給与所得控除額の最高限度は8万円であり、これに対応する給与収入は4O万円にすぎない。従って単純に考えて現在物価に引直した昭和15年当時の40万円から39O万円までの給与所得者に対する特典が昭和31年にはなくなったことを意味している。勿論このことは、給与所得者のみについて言えることではなく、名目所得の上昇とそれに対応しなかった諸控除のアンバランスは他の所得者についても同様であった。併し本章第一節3と考え合せる時、給与所得者の重税感はこの面にも遠因がありそうである。

 2 給与所得控除と勤労控除

 これまで給与所得控除除の推移をみてきた訳であるが、時に勤労控除となり、時に給与所得控除となり、その内容においても統一がとれていないことに気がつく。
 「勤労所得控除上の重要な実務上の難点は、経営に積極的に従事している個人業主や同族会社の株主の勤労所得を定義することがむずかしいという点である。大部分の場合、個人事業や組合事業からの所得は、資本からの収益と人の働きからの報醐との混合物である。同族会社では、給料と賃金と利潤との間の差異は希薄になっていることが多い」(6)とする考え方からすれば勤労控除は勘労性の所得に対する控除であって給与所得控除との間には直接の関連がないとみてよいであろうが、実際の用いられ方はまちまちである。

 実定法上、分類所得税時代に不動産、事業、山林所得に対しても認められていた定額の基礎控除以外は全てその名称にかかわらず、給与所得に対してのみ認められていたから、もしこれらの控除間に関連がないとするなら給与所得も勤労所得の一種とは認めつつ、他の勤労所得とは異質なものがあるとし、その異質さを計数化したのが給与所得控除(実定法上の勤労控除も含めて)であるということになろう。

 現在もっとも一般的に主張されている給与所得控除の説明は昭和31年における税制調査会の答申によるもので(7)、次のような内容をもっている。
 (1) 勤務に伴い必要となる経費の概算的な控除であるとする考え方。
 (2) 給与所得は本人が死亡等の場合には直ちにとだえるが、一方資産所得及び事業所得は、資産所有者又は企業主が死亡しても、遺族等が引き継ぐことができる性質をもつものであり、これらの所得に比べて給与所得は特に担税力に乏しいから、これを調整するための控除であるとする考え方。
 (3) 給与所得については弛の所得に比べて相対的により正確に把握されやすいから、これを相殺するための控除であるとする考え方。
 (4) 給与所得については、所得税の源泉徴収が行なわれるが、その結果、申告納税の場合に比べ平均して約5ケ月程度早期に納税することになるから、その間の金利を調整する必要があるとする考え方。

 同答申はこれに続け「これらの考え方は、いずれも一つだけで現行の給与所得控除制度を完全に説明することはできないにしても、それぞれ相当の根拠をもちこれらを総合して現行給与所得控除の趣旨とすることが妥当と思われる。」と述べている。興味深いのは「趣旨とすることが妥当」と表現して、前記の四要素が給与所得控除の内容として妥当であるとは主張していない点である。つまり、理論的な裏付けのないまま制度の方が先行定着してしまったためこの四要素であるとした方が説明に便利であるとした消極性が見受けられるようである。

 ともあれ、これ以降給与所得控除の内容はこの四要素を中心として展開されてきており、大島訴訟において裁判所もこれと同様の解釈を採用(8)したので、以下これについて必要経費、担税力、捕捉率、金利調整の面から検討を加え、それぞれが給与所得の特殊性とどのようなかかわりをもつかを考えてみたい。


                                     文責 佐々木利夫



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