給与所得の性格と課税上の問題点(4)
  

第三節 給与所得控除の発生と考え方(承前)

 3 給与所得控除の性格

 (1) 必要経費

 所得税創設の明治20年から大正元年まで、給与収入はそのまま所得とされていたこと、その後控除が設けられながらも昭和21年までは全体の所得が高額になると控除そのものが全額否定されたこと等を考え併せると、給与所得には必要経費としての観念が希薄か、もしくはなかったことを示し、別な意味での控除であったとみてよい。なぜなら必要経費の考え方からすれば、所得の高額化につれて上限を考えることはある程度できても、そもそも消滅してしまうと考えることはできないからである。また、施行されなかったが明治41年の所得税法改正案は勤労より生ずる所得を俸給給与等とそれ以外の二種に分けて考え、前者は収入の70%を所得、後者は必要経費を控除した後の70%を所得としている。ここにも給与収入と必要経費の乖離が見られるといえよう。

 給与所得控除のうちに必要経費の概算控除としての要素が含まれているとする解釈がとられるようになったのはシヤウプ勧告に始まる。只、勧告もかならずしも必要経費の概算控除の文言を用いた訳ではなく、「勤務に伴う経費に対し、行政上の理由から特別な控除を認めることは、それが多くの場合普通の生活費と殆んど区別がつかないから不可能であるため、余分にかかる経費に対する概算控除」(10)と、まわりくどい言廻しながら正確でうがった表現をとっていることに注意する必要がある。ところがこれを受けた解説は「勤労所得には他の所得の場合と異なって経費控降が認められていないため」(11)としてあっさり必要経費論へ移行してしまい、それがそのまま現在まで固定してしまったと考えられる。

 給与所得に必要経費はかからないとする見解は殆んどないとみてよいが、給与所得控除に占めるウェイトとなると実に多様な主張がなされている。

 金子宏氏の論述の中では必要経費そのものがでてこない(12)。又、R.グード氏によれば「勤労所得には実質的に費用がかかっているという理論の致命的な弱点は、勤労所得の金額と推定される無形の費用と間になんらの明確な関係がみられないということである。これらの費用は、雇用の性質、労働時闇、雇用の場所や個人的趣味に依存している。最も報酬の高い仕事は。普通最も威信が高く、また最も輿味深いように思われる。これらの魅力と、多<の経営者や自由職業者の長時間の労働や緊張とは、どのように秤りにかけたら良いかは誰に分かろうか」(13)と、否定こそはしていないものの必要経費の観念からは離れた見解を示している。更に「この控除の実質的にもっとも重要なねらいは(概算経費控除よりも)むしろ各種所得者間における所得把握率の差異にもとづく税負担の不平等を是正することにある」(14)とする見解もある。

 若干の経費性を認めるものとして「給与所得についても必要経費と認めるものが全然ないとはいえないが、その額が僅少である」(15)とするほか、税制調査会の答申にも「給与所得者の支出の費用性の問題は……個人消費との限界をどう画するかという困難な問題を含んでいるが」(16)、「勤務に伴う必要経費の概算控除と説明されているにもかかわらず、収入の増加に応じてなにがしかの経費が増加するという事実を反映した仕組みになっていない」(17)など微妙なニュアンスがうかがわれる。

 経費性についてのウェイトを重んじるのは、「収入金額についても、また必要経費等についても現実の金額によるという実額主義を原則とする。給与所得の持別控除は、その法的定型化であると考えられる」(18)とするものや、「(サラリーマンの経費記録は事実として整備されていないから)整備されていることを前提にして制度を組むことは実態にそぐわないというところから、経費を概算的に控除する。その概算的に控除する場合に現行制度の上でその率が法律上法定されている。・・・法定概算必要経費控除でやる」(19)等がある。そのほかシヤウプ勧告があげられるのでろうし、数は少ないが判例もその傾向を示しているといえよう。

 シャゥプ勧告は前述した以外に個人の勤労年数の消耗に対する一種の減価償却の承認、勤労による努力及び余暇の犠牲に対する表彰、捕捉率の相殺をとりあげたが、そのいずれをも否定し、その否定の結果として25%から10%への圧縮を提示した。しかも更にこの必要経費をも理論的には小さいものであろうとして否定を示唆している点は興味深い。

 判例は「給与所得について定額の控除制を採用したのは、当該所得を得るための必要経費と消費支出経費との区別が判然とせず、多数の職種の存する給与所得者らについて、その実態の把握は技術的にも困難であるから、必要経費の概算的意味においてやむを得ず採られているものと思考される」(20)とするものや、「結局、給与所得控除制度の趣旨の中において、給与所得の必要経費の概算控除分はその主要な地位ないし部分を占めているものと認めるのが相当である」(21)など、概してウェイトを高く見ているようである。

 なお、みなす給与において、必要経費の性絡をもつとはかならずしもいえないが、適格退職年金契約の掛金についての控除があり、給与収入からの実額控除の唯一の例外となっている。(所法29条二号、所法72条一項二号)

 (2) 担税力

 勤労所得が資産所得に比して担税力が低いとする見解は、ほぽ通説として確立していると見てよいであろう(22)。事実、所得税法創設からの経過をたどってみても、担税力の弱さを斟酌した勤労控除が給与所得控除であると解されていたようであるし、大正2年の最初の勤労控除創設の経緯からも推察される(23)。
 勤労所得軽課の理由は種々あげられようが主要なものは次のようなものである。

 (イ)有期性〜その収入が就労可能年令から始まり、定年、死亡により以後の収入が途絶える。
 (ロ)不連続性〜病気等の自己原因、倒産等の他原因により収入が途切れるおそれが強い。
 (ハ)不労所得との対比〜資産所得には遊んでいても収入があるという安定性がある。又勤労所得には勤労所得のみしかあり得ないが、資産所得には勤労所得を別に得る余裕がある。
 (ニ)社会的低評価〜資産所得には、名誉・地位等の表象がある。
 (ホ)インフレへの抵抗力の弱さ〜諸物価の上昇に比例して給料等の上昇があるとは限らないが、資産は上昇する。
 (ヘ)肉体の減価償却〜(イ)(ロ)とも関連するが我身を削っての収入であることと、再生産可能な労働力の供給としての子弟の養育費支出が必要である。
 (ト)老後の準備〜老後生活を維持するための貯蓄等の必要がある。

 このように見てくると、事実、勤労所得には資産所得にはない特異な要素のあることが判り、かつそれなりの合理性をもっていると考えられる。併し、果して租税体系の中に組み込んで処理すべきなのかどうか疑問なものもあり、また、感覚論、感情論に過ぎないものも含まれているといえる。

 (イ)(ロ)は資産所得の安定性に対する反言として掲げられているとみてよいが、資産所得がかならずしも安定的である保証はないし、一歴年を単位とし、かつ、「所得」に対する租税としての所得税において、安定性が本質的に要請されているかどうかは疑問である。
 もっとも、給与所得者は体が唯一の資本であり、その収入源も相続性を有しない点を考えるなら、政策的な配慮までをも否定することはできないであろう。
 (ハ)は一応感覚的には納得できる面を持っているが、勤労を至上とする時代背景ならまだしも、働かざるもの喰うべからず的な発想を持ち込むことには疑問がある。ただ、遊んでいても入ってくる収入との差について、何等かの租税の差をつけようとするのは、ある程度国民的な要求といえるかも知れない。
 (ニ)は全くの感情論であって、そのような社会的評価に担税力を求めること自体、所得税の目的外にあることは論をまたない。
 (ホ)は一応根拠らしいものを示している。インフレ等による資産価値の上昇に伴い、家賃等も上昇傾向を示し、相対的に勤労所得者の地位の低下がみられることは事実であろう。併し預金の元本や利子にはそのようなことはなく、評価益を課税標準としない現行税法のもとで資産価値の上昇の見返りとしての相対的地位の低下を租税で考慮すべきとは思われない。そもそも元本の上昇はその処分時に課税するのが合理的であろう。又果実の上昇に対する勤労所得の相対的低下は、現実の収入差として表れてくるのであり、現行の超過累進税率のもとでその担税力の差は吸収されてしまうとみてよく、もし吸収されないとすればあくまでも累進税率の構造の間題であって所得金額の問題ではないと考えてよい。
 (ヘ)については積極的に認めよとする意見もある(24)が、減価償却の意味を誤解するものとして強力に否定する意見がある(25)。矢張り、所得税法の基本である家計費排除の考え方及び肉体の損耗、子弟への労働力引継の問題は勤労所得特有のものとは考え難いから否定的に解すべきであろう。
 (ト)は勤労所得に持有のものではないし、又、国家施策としては当然考慮されねばならないとしても、むしろ福祉行政の問題として処理するのが事の本質である。なぜなら、このことはむしろ課税所得をもたないほどの低所得者に対してこそ必要な措置であり、給与所得プロパーの間題とは考え難いからである。

 これら個別の考え方と現在の給与所得控除のギヤップが更に問題となる。担税力論はつまるところ勤労性所得共通の問題として掲げられているにもかかわらず、現行規定では給与所得控除として給与所得者のみにしか認められていない点である。シヤウプ勧告は、当初事業所得中の25%までを勤労所得とみなして取扱う方法を考えていたといわれるが(25)、結局勧告までにはいたらず、この点が現行給与所得控除の説明の中に担税力論が含まれていることの矛盾となっているのではなかろうか。
 勤労所得軽課、資産所得重課の要請は過去を通じてほぼ社会的に承認されているとみてよい。資産所得重課の問題は一つには財産税、富裕税として解決すべき面も持ってはいるが、所得税の中でそれを把えることも一概には否定できないであろう。その時、担税力差を総所得及びその者の保有する資産総額などと、どのような関連付けを求めるか困難な問題もあろうが、給与所得以外の勤労性所得の問題とも併せて立法的な配慮が望まれるのではなかろうか。

 (3)捕提率

 これについては多言を要しなく、次の言葉がそれを要約している。「給与所得者が、源泉徴収制度のもとで他の所得者と比べて正確に徴収される立場にあることは事実だが、十把一からげ的なクロヨン論議には、事業所得者の側からの強い反発がある。真面目な納税者は無数にいることだし、「所得の把握差」を税制に持ち込むようなことは税制にとって自殺行為ともいえよう。給与所得者に「把握控除」を設ければ、他の所得者はそれに見合う「脱税の権利」を主張するだろう。(27)

 もっとも、税務行政が混乱し、早急な立直しの必要な時代であったなら「勤労所得とそれ以外の所得の不公平、これは主として、所得補足率が問題になるのであります。勤労所得は・・・源泉課税・・・であり……それ以外で源泉課税をやっているものは少い。……こういう点から考えますと、(勤労控除の)従来の25%というのは、やはり所得の捕捉率ということを計算に入れますと私はちょうど妥当なところではないかと思う」(28)とする考え方があっても良いけれど、少なくとも申告納税制度の定着した現在において捕捉率論を持ち出すのは筋が適らないといえよう。

 にもかかわらず、「給与所得控除が(捕捉率を)是正する手段として考えられるのは許されるであろうと。と同時にそれは絶対必要なことである」としたり(29)、「この控除の実質的にもっとも重要なねらいは、むしろ各種所得者間における所得把握率の差異にもとづく税負担の不平等を是正することにあると考えるべきであろう」(30)、更には「捕捉率の相異は現行徴税技術の限界を現わすものといってよく、租税立法はこのような現実の捕捉率の違いを前提として起案立法されなければならない」(31)とする極論まで出ている。これらは税務行政に対する警鍾として素直に考えねばならないであろう。併しだからといって、このことが給与所得控除に含まれていると考えたり、叉立法的に解決しなければならないとする根拠とはなり得ない筈である。

 税制調査会も昭和31年以来、毎回のように捕捉率の差をその答申の中に含めている。最近においても「主たる収入である勤務先からの給与が明確に把握され、課税されていることや、最近における納税者の増加傾向がとくに給与所得者について著しいこと等を背景として給与所得者の負担が相対的に重いのではないかという納税者の実感を反映したものとみて良いであろう。このような納税者の実感に応え」(32)ることを給与所得控除拡大の一要因としていることは、その基本的立場がどこにあるのか不明であるけれども、もし「納税者の実感」をよりどころとしているのであれば、そしてそれが事実であるとするならば、日本人の租税に対する根強い不信感がその底に横たわっていることを感じない訳にはいかない。

 (4) 金利調整

 給与所得控除に関する説明の中で具体的且実測可能な唯一のものであり、課税の公平からみても当然考えられて然るべきものである。併し、昭和44年分所得税法をもとに税制調査会が行なった試算は次のような結果を示している。

 年収200万円、夫婦、子供2人の4人家族において給与所得とそれ以外の所得で計算した金利の負担増は源泉徴収税額全体の僅か1.05%に過ぎない。又、この率を基本として他の収入階層に適用した場合の収入金額に対する金利負担増の比率は年収100万円で0.0079%、200万円で0.0819%、500万円で0.2412%であり、1000万円の収入にいたるも0.3805%と4万円にも満たないのである。もちろん僅かであるにしろ、これらの負担を考慮することは必要といえるかも知れない。併し、給与所得控除を説明する4本の柱の1つとするほど有効且実効的なものであるかは疑問である。しかもこれは給与所得者に特有なものではなく、全ての源泉徴収される所得者について共通なことといえるのである。

 (5)まとめ

 給与所得控除は毎年のように引き上げられている。しかもその内容はこれまで述べた四要素が混然一体となっているというのみで、かならずしも明らかにされているとはいい難い。確かにこの四要素を分離して計測することは至難と思われるし、その前に必要経費というものの性格を明確にする必要もある。併し、このことが「給与所得控除にこのような種々の要素が織り込まれていると説明することは、この控除の性格を不明確なものにしているきらいがある」(34)とされたり、「給与所得控除の中味を十分明らかにしないでおいで、給与所得者には給与所得控除があるから不公平ではない筈である、というのでは給与所得者の不満はいつまでたっても消えないのではあるまいか」(35)と批判される一要因となっているのである。
 しかも前述した四要素を全面的に認めるとしても、ある定められた控除の枠内で、一つの要素が膨れたとき、他の要素がそれを原因として縮小するという理論的な裏付けもないことが、ますます給与所得控除の性格を混乱させているといって良いであろう。

 税制改正のたびごとに控除額が引き上げられていることは、当面給与所得者の不満を解消する一手段としては有効かも知れないが、給与所得者相互間の不公平の誘発、更には給与所得者以外の納税者との不公平をも惹起させる要因ともなるのであり、矢張り「給与所得控除が単なるドンブリ勘定でないことについて国民のコンセントを得ようとするには・・・四つの要素に関する立法資料(立法事実)が整備されて、これを国民に説明できるようにするのが望ましい」のではないであろうか。

(1)シヤウプ勧告 第四章A
  (2) 原純夫 別冊財政 昭24年9月 P21
  (3) 前尾繁三郎 昭和25年6月 第7国会税法改正関係質疑応答録
     税制改正資料集第三集上巻 衆議院P314
  (4) 税制調査会43年7月
    長期税制のあり方についての答申及びその審議の内容と経過の説明P86
  (5)  昭和31年12月臨時税制調査会答申 P48
  (6)  R・グード 個人所得税 P278 塩崎潤訳
  (7) 前掲注(5) P49
  (8) 京都地判 昭和49・5・30 判例タイムス No309 P113
  (9) 明治大正財政史 第6巻 P1035
  (10) シャウプ勧告 第四章D
  (11) 原純夫 別冊財政 昭24年9月 P21
  (12)  金子宏 所得税法における所得概念の構成 法学協会雑誌83巻P32 講議録「租税法I」P50、ジユリスト No567 P20
  (13) R・グード 前掲 P277
  (14) 藤田晴 給与所得課税の動向 オイコノミカ 7巻3・4号 P75
  (15) 本多直重 租税論 P202
  (16) 税制調査会 前掲注(4) P202 
  (17) 税制調査会 昭49年3月 税制調査会関係資料 P46
  (18) 忠佐市 租税法要綱 P159.
  (19) 高木文雄 所得税の諸問題(座談会) ジュリスト No567 P15
  (20) 東京高判 昭47・9・14 税資66号P233
  (21) 京都地判 昭49・5・31
  (22) 勤労性所得軽課、資産性所得重課については、神戸正雄「租税研究」第3巻P76以下に詳しい論述があり、
     諸外国の学説もとり入れ、ほぼそれに網羅されているといってよい。又税調の答申にも繰返し述べられており、
     更に学者間においてもこれに反する主張はない。
  (23) 「俸給・給料・手当・歳費の所樽は、資産所得又は資産勤労の共同所得に比し負担能力薄弱なるのみならず……」
      明治大正財政史 第6巻 P1051
  (24) 井手文雄 所得税の問題点若干について 国民経済雑誌112巻3号P80〜81
  (25) R・グード 前掲P100〜101
  (26) 井手文雄 前掲 P82
  (27) 植松守雄 サラリーマン減税論に思う 産業経理29巻5号P116
  (28) 井藤半弥 前掲注(3) P336
  (29) 井手文雄 前掲 P83
  (30) 藤田晴 前掲 P75
  (31) 川村フク子 サラリーマン税金訴訟について 法律時報39巻1号P72
  (32) 税制調査会 前掲注(17)P44〜45
  (33) 税制調査会資料45年4月P63〜65
  (34) 山田二郎サラリーマンに対する所得税制と平等原則 ジユリストNo567 P38
  (35) 清永敬次 いわゆるサラリーマン訴訟について 法律時報42巻4号P24〜25
  (36) 山田二郎 前掲 P39



                                     文責 佐々木利夫



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