給与所得の性格と課税上の問題点(5)
  

第四節 所得区分の目的と給与所得

 1 所得の概念

 課税標準を所得に求める考え方は歴史的に見た場合、財産税や消費税に比し新しいといえる。18〜19世紀にかけてナポレオン戦争の戦費調達手段としてイギリスにおいて臨時的に創設され、廃止、復活を繰返しながらやがて他の国々にも波及してゆくのであるから、その意味では19〜20世紀にかけて最終的に普及したのであり、租税の本質を形成するものとして確立した地位を始めから与えられていたものではない。
 にもかかわらず、このように急速に普及した原因には
 (1) 所得というものが、個人の担税力の総合的な標識となりうること。
 (2) 消費税などと異なって累進税率の適用が可能であること。
 (3) 租税収入が充分満足されること。
等があげられるであろう。

 (3)の問題は(2)と組合わせることによって所得弾力性が非常に高くなるところから財政学的には重要な要素となるが、これはひとまず省酪することとして、(1)(2)に共通していることは担税力が中心に考えられている点であろう。

 人的控除制度を採用することにより、各納税者の個人的事情を税負担配分の上に反映できることは所得税制の大きな魅力であるにもかかわらず、我国においても、諸外国においても「所得」そのものの概念は未だ確立されていないのが現状である
「個人所得税におけるもっとも重要な問題の一つは、課税目的のための所得を定義する問題である」(1)とされながらも、所得税法は所得とは何かについての有権的な規定をおいていない。

 利子所得から一時所得までの九種類を掲げ、更に、以上のいずれにも該当しない所得として雑所得を定義したことは、すでに所得という概念が制定法以前の所与のものとして予定されていることを示しているといえる。

 財政学的には旧くから所得源泉説と純資産増加説とがあるが、この両説が当初から固定化し、対立したままでいた訳ではなく、様々な解決への試みがなされている(2)。

 沿革的に考えるなら我国の所得税法は、第三種所得代(明治32年以降)には所得源泉説により、経常的反復的な所得のみを対象とするというのが通説であった。従って営利の事業に属さない一時の所得は常に一貫して課税外においていた。とはいっても賞与や山林所得に対しては古くから課税しており、また昭和13年には退職所得をも課税対象に取り入れていたので、必ずしも所得源泉説によっているとはいい切れないものがあった。更に戦後はこうした一時的、偶発的な所得をも広く課税対象に取り入れる方向に進んできたのであり、昭和21年、臨時利得税が廃止されたのを機会に、譲渡利得を譲渡所得税として所得税を課し(不動産、船舶、鉱業権などの譲渡に限定されていた)、昭和22年には株式、出資、持許権の譲渡にも課税対象を拡大し、同年二次の改正で懸賞金、競馬の賞金のような純粋な一時所得も課税対象に取り入れたから、個人所得のカテゴリーを所得源泉説に求めることの正当性は非常に薄らいできたわけであり、現在では広範な課税所得を保有するところの純資産増加説型へと移行したと見てよいであろう。

 これは担税力というものの観点をマクロ的な国家経済機構の立場から、ミクロ的に個人の経済機構の中に見出してゆこうとする考え方に移行したことを示すものといえる。つまり資本に課税することは国家経済を萎縮させるとの発想から視点をかえ、個人間の税負担のアンパランスの解消こそが必要であり、個人の経済力に担税力を求めることが、かならずしも国家経済の発展阻害となるものではないとする点が中心となろう。併し、現行所得税法が純資産増加説的傾向を示すといっても、それはあくまでも一種の傾向であって、財政学上の定義がそのまま用いられている訳ではない。むしろ「所得」というよりは「課税所得」の問題として、財政学とは一歩離れた立場からの考え方が要求されるのである。

 にもかかわらず「収得論的所得の実態は、純所得説に立ち、一つは財産増加説を骨子とし、それに所得源泉説を加味したものとして、他の一つは実現所得説または期間成果説によるものとして理解されるべきものとなる」(3)とされたり、「基本的には(イ)資本からの利得、(ロ)労働からの利得、(ハ)両者の結合した利得が所得として認識されていると思われる」(4)等所得概念について明確な見解を示せないことは結局「本質的に見て、所得の概念は弾力性に富む概念であって、したがって個々の事件において杜会慣習、会計上の概念、行政上の諸目標の交互作用により、しかも最終的には、これら諾要因に対して司法上どのように考えるか等を綜合して決定される」(5)以外解決の方法はないのかも知れない。つまり、課税所得の範囲というものは特定の種類の所得に限定するならまだしも、現在及び将来に向う予見不可能な所得までをも考えようとするなら、定義は原理的に不可能なのであり、むしろ現行法のように所得概念を一種の描象化されたものとして把え、それを一時所得、雑所得といったカテゴリーで補充するのが、最も良く時代に対応できる措置といえるのかも知れない。

 所得税の趣旨は前述したように「所得」というものを個人の担税力の総合的標識として把えるところにあり、個人の担税力を増加させると社会的に承認され得る状態をもって、その範囲を確定すべきであろうが、逆に「個人所得税が真に最も公平な課税標準であり、累進課税の最も適当な課税標準であるかどうかは、結局は趣味や政治的価値判断の問題である。」(6)として、所得税がかならずしも万能ではないと示唆するむきも考慮しなければならないであろう。

 2 所得分類の意義

 所得税法は所得の種類を10種類に分けているが、それが所得源泉税の立場に立つものでないことは前述したとおりである。所得税創設時は単に「資産又は営業其他より生ずる所得」とするのみであったから、それほど所得の種類は問題とならなかったが、それでも公社債利子、配当、俸給等必要経費の存在を予定しないものの種類と、然らざるものとを規定しているから、所得分類の思想が全然なかったとはいい難い。併し、具体的な現行の所得分類に類似した制度が確立したのは、昭和15年の分類所得税を基礎とするものである。

 所得をいくつかのパターンに分けて認識することの実益については色々な理由があげられようが、主として次のようなものである。
 (1) 全体の所得をいくつかの範疇に分類した上、それぞれに最も適合した計算方法によって各種所得を計算する方が合理的であり、技術的にも実務的にも容易である。
 (2) 所得の種類により担税力が異るため、各種所得の実情に最も即応した税負担が必要である。又累進税率のもとで恒常的回帰的に発生するものと、臨時的非回帰的に発生する所得との間の負担の調整が必要である。
 (3) 申告手続などの省力、担税力の差異、他の税制などとの調整などの見地から所得の持別控、税額控除など、ある所得特有の性質に応じた措置を規定する必要がある。

 これらの考え方には、所得というものはその種類毎に特有の性質をもっているとする点にあり、その特有さは発生源泉の差というよりは異なった税負担が公平の要求に副うものであるとするほど強力な思想背景をもつものであろう。確かにこの考え方に立って分類所得税時代(昭和15〜21)は、それぞれに異なった税率を適用したといえるが、綜合所得税制度のみとなった現在(もっとも、山林、退職所得など、かならずしも純粋な意味で分類所得税の名残りが消滅したとは言い切れない)でも、依然として、この区分して計算する制度が維持されているのは、どこに原因があるのであろうか。

 所得を分類し、その上で合計して税額を算出するという考え方の根拠は矢張り前述したような各種所得の特有な性質という「質」の面と、それを合計したところの所得の「量」、つまり、質と量とにより担税力をより合理的に配分できるとする点にあろう。もっとも、量の問題では比例税率とするなら合計することのメリットはないことになり、必然的に累進、又は超過累進税率の適用が要件となる。

 質的区分において、それぞれの所得が異る担税力を持つとする考え方それ自体は首肯できるが、その差異が人的控除や超過累進税率のもとで吸収できないほど、大きな担税力の差として存在しているかどうかは再考してみる余地はないであろうか。むしろ所得分類の考えはとりもなおさず所得概念を把握するために必然的にあらわれてきたものであり、所得認識のために存在する源泉毎のパターンを示したものに過ぎないと考えるのは無理であろうか。そしてその基本には現在のような10種類について、それぞれ特有の性質があるとするのではなく、もっと素朴な勤労、資産、両者の結合といった考え方を再び検討してみる必要はないであろうか。

 3 給与所得の特異性

 勤労性所得の代表として給与所得があり、この勤労性所得ということ自体が担税力論から来ていることは前述したとおりである。更に担税力論については前節3(2)でも触れたところであるので、それらとできるだけ重複しないようにしてその特異性を考えてみたい。

 勤労所得に関しては、その不確実性と非永続性をあげる場合が多く、それが資産性所得との差別課税の説明とされる。併し、所得に対する歴年を単位とした課税において、その源泉が財産であるとか、労働によるものであるとかの区別は純粋に考えるなら無関係であるべきである。一担稼得された所得に対して、その流入が不安定であるとか、限定されているとかいうだけで課税上差別することが本来的に所得を目的とする租税に要求されているとは考え難い。即ち不確実性、非永続性は必ずしも勤労所得特有のものとは考え難く、加えて所得というものがフローの観点から把えねばならぬ以上、ストックの観念をもち込むことは所得というものの概念を混乱させる要因ともなりかねないであろう。

 給与所得の特異性は結局勤労性所得というところにその発想があると考えて良いが、結果的に勤労性による質的差異というものが、担税力という観点から有効性を示し得ないとした場合、どこにそのメルクマールを求めるべきであろうか。それはむしろ倒錯した表現になるが、給与所得控除の法定化にあると考えざるを得ない。

 勿論、給与所得というものがあり、その上で給与所得控除が考えられることは当然であるが、逆に給与所得控除という他の所得には見ることのできない特異な制度が給与所得を性格づけていると見ることもできる。しかもこの控除以外の控除は一切許されず、換言すれば所得が収入の函数で示されるものとして独立不易な地位を与えられ、他の所得とは完全に異なる立場をとっているところに給与所得の特異性が存在するといえる。更にそれは年末調整制度の採用と結びつき、非居住者を除くあらゆる所得が確定申告を通じて計算されねばならない制度の中において、特別の手続も要せずして確定することが、給与所得の特異性をパックアップしているといえよう。

(1) O・Hプラウンリー、E・Dアレン 財政の経済学
     39年3月税制調査会関係資料-税法調備小委員会資料 P108より
  (2) 忠佐市 課税所碍概念論の動向 財政学の基本問題所収 P435に詳しい説明がなされている。
  (3) 忠佐市租税法要綱 P128
  (4) 米連邦最高裁1920年金子宏議議録 「租税法U」p10より
  (5) 税制調査会 前掲注(1) P114
  (6) R・グード 個人所得税 P13 塩騎潤訳



                                     文責 佐々木利夫



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