第二節 民法における労務提供の形態
1 市民法における契約の意義と雇用
日本民法はドイツ民法の強い影響を受けたが、フラソス民法と系譜的に連なる規定も少なくないとされている(1)。併し、明治維新後先進文明社会と対等なる国としての面目を保つための、換言すれば「安政の開国条約において日本が列強に承認した屈辱的な治外法権の制度を撤廃することを列強に承認させるための政治上の手段」(2)としての諸々の法の制定であったため、かならずしも目本の風土的特質を充分に反映したものとはなっていない。これは契約法の分野においても例外ではなく、個人は平等であり自由であるという大原則と、人間は合理的な自由な意思の持主としての意思主義とがその基調となっており、「契約自由の原則」として端的にあらわされている。
具体的には、(1)契約締結(成立)の自由、(2)契約の相手方選択の自由、(3)形式の自由、(4)契約の内容決定の自由、(5)内容変更の自由(3)として契約締結者相互が平等のものとして扱かわれている(4)。この意味で労務供給も債権各論中の契約として、つまり債権契約として把握され、当然に市民法の基本理念の適用を受けることになるが、民法がこの労務供給を具体的にどのように考え、どのように発展させてきたかを本節で考えてみたい。
一般に労務供給契約は、雇用契約(民法623条以下)、請負契約(同632条以下)、委任契約(同643条以下)及び寄託契約(同657条以下)として把握されている。寄託については物の保管という持異性のゆえに他の三種の契約と混同されることが少なく、労務供給契約に入れるべきか否かは議論の分かれているところであるが、ここでは一応無関係であるから雇用、講負、委任について考え、その中でも賃金給与の主流を占める雇用契約に焦点をあててゆきたい。
現在これらの契約に対しては次のように説明され、その限りにおいて学説は一致を見ているといってよい。
雇用は労務に服すること、即ち労務それ自体の給付を目的とし、かつそこでの労務給付は使用者の指揮命令のもとに行なわれ、労働力の支配は使用者の手中にある。
請負は、労務の成果の給付(仕事の完成)を目的とするものであり、それゆえそこでは労務それ自体は問題とされないが、成果に必要な労務は当然請負人の自主性のもとに実現され、危険負担も請負人が負担する。
委任は、労務それ自体の給付を目的とするが、労務供給者たる受任者は自己の裁量で所定の事務を処理するという意味での独立性を有する。
これらの諸契約は文言上分類整理されているものの、民法上労務供給のあらゆる形態を、最も代表的なものとしてこれらに集約したため、必然的にある重なりを持っているといわざるを得ず、その接点において種々の間題をひきおこしているといえる。
表面上雇用契約は、諾成不要式の有償双務契約として位置づけられ、双務契約であること、即ち労務者が「労働の給付」をすることに「対して」、使用者が「報酬の支払」をする二つの権利が対価関係、対抗関係に立っている。従って他の売買や貸借の契約と同列の債権契約、又は継続的な債権契約として把握され、「一般法理のもとでは(イ)当事者の債務不履行にもとづく解約、(ロ)約定期間の満了又は仕事の完了、(ハ)合意による解約などにより終了し、継続的債権関係として(ニ)期間の定めのない場合には当事者はいつでも解約の申し入をすることができ(民法627(1))、かつ解約申入の時間的制限が報酬を定めた期間に応じて特に規制され(民法627(1)後段、(2)、(3))、(ホ)期間の定めある場合に長期にわたる拘束を阻止(民法626)するとともに、いわゆる黙示の更新を認め(民法629本文)、(ヘ)いずれの場合をもとわず、「已むことを得ざる事由あるとき」は当事者はただちに契約を解除することができる(民法628)、という構成がとられており、ここでは雇用契約の当事者は同一平面上における対等者相互間の契約関係の下にとらへられている」(5)とされている。
フランス民法1780条1項は「労務の給付は有期的にのみ、また一定の企業についてのみ、約定することができる」と規定しているが、この「有期的」とは労働者の終生にわたる無期限の拘束は、人の自由剥奪であり、許されないとの思想にもとづくものと考えられ、この意味では我国民法においても626条にあらわれているといえる。併し前節で述べた終身雇用制と、矛盾しないとはいうものの微妙な対比を見せているといえよう。
2 雇用と請負
雇用を講負と区別する基準の大きなものは、労務供給そのものが他者、即ち使用者の勢力圏内において行なわれるか否かの点にある。労務を供給する者が、自己の生活圏内にあって他者の勢力圏に入らない限り、その者がいかに自己の全能力なり全時聞を他者のために用いたとしても雇用とはいえない。つまり労働力を利用する者が、みずからの権限にもとづいて労務そのものを適宜に配置し、按分して、一定の目的を達成しようとする意思が一方にあり、この意思の下に服するところに雇用の特質がある。この意思は通常指揮命令権と呼ばれている。従って報酬というものも、指揮命令に従った労務の供給そのものに対してなされるのであり、仕事の結果として受け取る請負とはこの点で区別される。しかもこの労務の供給は代替性がなく(民法625(2))、労務供給者の全人格が直接対象となっている。
この労働者の人格が重要視される事情として来栖氏は次の二つをあげている(6)。
(1) 労務者が絶えず雇主の指揮命令に従って労務に服すべき雇用では、誰が労務者かは雇主にとってどうでもよいものではなく、雇主は労務者の人格の中に自分の指図を理解し、服従してくれる保証を見出し得なければならない。
(2) 時間賃金の面から出来高払賃金なら、労務者の勤勉についての保障があり、労務者が不勤勉でも雇主の利割に関係ない。時間賃金だと雇主は、労務者の勤惰を審査しなければならないが、それができないか又したくないなら、労務者の選任によって保障を受けなければならない。
これは労務供給と報酬との関係が、一定の成果に対してでなく、単に使用者の指揮命令のもとへ労働を服せしめるのみで発生するところから危険負担が使用者にあることの当然の帰結であろう。
このように雇用契約が「労務に服する」として指揮命令権の配下にあることを示しているのに対し、一方、請負契約は、「指図ニ因リテ(民法636)」、「指図ニ付キ(民法716)」と、指図なる文言を使用している。
この請負における指図権は「請負人に対する労務供給の指図であって、命令権ではない。指図権は命令権に包摂されるが、命令権よりもずっと狭い概念である。・・・指図権は注文者と請負人との協力関係であって命令権ではない」(7)とされる。
以上のように、指揮命令権は「労務者の給付する労務の内容についてではない。その労務をいかなる目的に向っていかに役立てるか―その配置、排列、組合せなど―について指揮権能を持つ意味である」(8)として指図権と区別して考え、「命令権を契約にもとづく一般の債権契約における債権者の指図権以上のものであり、契約法理からではなしに、統一体の法理からのみ導き出される、権力権として把え、この権力権の基礎は人に対する権利でもあるところの所有権にあり、その行使は、かかる所有権の法人的処分である」(9)ところからその発生源泉を異にすると考えられている。この意味で雇用と請負の区別の基準を、この命令権と指図権に求めて良いと考える」。
併し、前近代的な労働関係が現在でも未分化のまま放置され、雇用ともみられず、
また請負ともいえないような労務供給関係が存在しているのは事実である。たとえば山林労務者や大工、左官などの土建労務者であり、又他方、主として使用者側の利益確保のために意識的に雇用としての法律形式を避けて、外見上委任又は請負の形をとって労務供給関係をつくりだす場合もあり、保険外交貴、集金人、外務員などがその典型とみてよいであろう。又手工業者が資本主義の発達に適応できず、資本家たる地位を維持できないまま、常に他人の供給する材料に自己の技術を付加して報醐を受けたり、又、それに到らなくても仕事揚と道具とを所有し、原材料をあてがわれて報酬を得る形態へ変化せざるを得なかったことも、前近代的な未分化労働関係の列に加えて良いであろう。更に請負契約であっても、我国においては封建的な権カ関係が支配しているので、これらの人達の受ける報酬の性格が問題となる。
ともあれ、「雇用契約の機能は労務を支配的に統制された全体のうちに編入せしめてこれを組識化するにあるのに反し、請負契約は独立の企業的労務を第三者に利用せしめる手段である。だから雇用契約は組識行為であり、請負契約は交換契約である」(10)と考えられ、その意味において自からが事業体を持たないものを雇用、持つものを請負としてよいから、法律的な形態が実社会においてもそのままに適用されている場合には、民法上の区分を税法に適用することも充分考えられる。ただ、これが単なる法律上の割り切りであって。「実際上雇用と請負との区分が曖昧であるとするならば、それを一刀両断に雇用か請負かのいずれかの類型に区分した上、それに典型契約の法理を当てはめて問題を解決することは甚しく不当な結果を生ずる場合がある」(11)ことは否めないし、事実このような場合が多々ある以上、民法上の典型契約概念で割り切ることは危険であろう。
3 雇用と委任
委任は本来無償であり(民法648(1))、特定の目的のために労働をなすことが契約の対象とされつつも、労働そのものは価値をもたないと考えられていたとみてよい。併し現在では「本来商品にあらざる労働それ自体も取引の対象とされ、その結果特約による有償委任がむしろ原則化しているが、これとてもその労働と報酬が対価的牽連関係に立つと見るべきでない」(12)とされながらも、報酬が単なる期待権を超えて具体的な金銭債権と化した以上、有償委任を基本的に考えざるを得ず、それも民法上無償委任が原則であるという考え方に立てば、むしろ「雇用型の有償委任、請負型の有償委任」(13)として類型化する必要があるといえる。
委任というものが「本質上相手方の人格・識見・知能・技量等を信頼する精神的要素を中核とするものであり、この対人的信頼関係の絶対性において同じく他人の労務を目的とする雇用、請負契約等と質的に異なる」(14)面をもつことは否めない。
併しそれが最も顕著にあらわれるのは無償委任においてであって、このような対人的信頼関係が報醐と直接結びつく有償委任においての質的差異としてどれほどのウェイトを持つかは疑問である。
更に自己の責任をもって補助者を使用することもさしつかえなく(15)、復委任(民法104)の制度により労務の代替性が認められ、準委任(民法656)により単に法律行為のみならず、事実行為をも包含したことが、更に有償委任としての独立性に水を差していると考えられる。この結果「行為の種類にではなく、行為される目的や態様」(16)にメルクマールを求めようとする学説も多い。併し、委任の規定の中の最も中核をなすと思われる「解除(民法651(1))」の適用されない類型の有償委任というものがあり(17)、受任者は自から事業体をもつ(18)ことからも考え併せて、少なくとも「解除に関しては有償委任は民法の適用を受けないと考える方が一般に近代契約法のいわば市民法的要請にほかならない」(19)として良いであろう。そして前述した「雇用型」、「請負型」に有償委任を分けて考えることの方が、より問題の解決に近づくのではないかと考える。
4 雇用、請負、委任の交錯と無名契約
以上述べてきたように、現実の労務供給は一義的にこれら三契約の典型にそのまま当てはまるという訳ではなく、交錯する部分を持っている。更にいずれかの典型契約へ押し込めようとする努力が逆に不当な結果を生むおそれのあることは前掲判決(11)も示すところである。
加えて、経済的社会的関係の発達に伴い、大量取引の多様性や、類型的な行為の反覆継続性、更に契約自由の原則と債権契約の非強行法規性により様々な無名契約(非典型契約)の発生が見られ、「それらは法典の制定時においては予期しなかったような契約形態であり、その法的処理に関しては、法学的な検討が強く要請されている」(20)のである。勿論、基本的には典型契約が事実上、最も多いであろうし、その枠内で処理され得るものも多数存在するであろうが、上記のように労務供給の形態は雇用、請負、委任相互間においてすら交錯している上に、更に多くの無名契約の出現は、典型契約の枠内で処理することの困難さを示しているといえる。しかも多様化する経済現象を、その最先端において把えようとする所得税において、その給与所得概念を民法の形態の枠内でのみ処理しようとするのは大きな困難があるといわなければならない。
又民法上の契約自体が本節1で述べた私人相互の対等性を基礎としているが故にさまざまな特別法を生み、基本法としての理念はもちつつも形骸化しているといわれ、「契約を学ぶということは、契約自由の原則がいかに修正を受けているかを学ぶにひとしい」(21)とされるまでにいたっている。
この意味において労務供給契約も、使用者被用者の対等ならざる人間関係として特別法のもとに規制せられ、新たに労働法の分野へと展開してゆくのである。
注(1) 星野英一 日本民法に与えたフランス民法の影響 日仏法学3号
(2) 川島武宣 日本人の法意識 (岩波新書) P2
(3) 津曲蔵之丞 賃金(一) 労働法講座第5巻 労働基準法 所収 P1146
(4) 契約というものが目本人にどう受けとめられていたかは川島武宣前掲
P87以下に興味深く語られている。
(5) 田中整爾 解雇をめぐる民法と労働法の交錯 阪大法学77・78号P1-2
(6) 来栖三郎 契約法 P464
(7) 津田蔵之丞 請負契約の研究 法学14巷3号p20〜21
(8) 我妻栄 債権各論(民法講義)中二 P531
(9) ジンツハイマー
蓼沼謙一 労働契約と雇用契約 討論労働法38号 P5より
(10) O・Vギールケ
浅井清信 法律時報34巻3号 P104より
(11) 東京地判 昭43・10・25労民集19巻5号 P1335
(12) 本多淳亮 労働契約と賃金 季刊労働法7巻3号P92
(13) 広申俊雄 委任と「解除」 契約法大系(W)所収P293
(14) 申川高男 受任者の善管注意義務 契約法大系(W)所収 P267
(15) 大審判 大3・3・17民録20編 P182
(16) 森島昭夫 委任と代理 契約法大系(W) 所収P302
(17) 広中俊雄 前掲 P293
(18) 浅井清信 前掲 P103
(19) 広中俊雄 前掲 P294
(20) 野村好弘 放送出演契約 注釈民法(17)所収 P549
(21) 遠藤浩 別冊セミナー 基本法コンメンタール民法I P18
文責 佐々木利夫
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