給与所得の性格と課税上の問題点(9)
  

第三節 労働法における賃金(承前)

 4 労働法上の賃金

 労働法上、賃金の定義は様々な形でなされており、時には報酬なる名称も用いられる。

 労働基準法「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」(11条)
 最低賃金法〜労働基準法を準用(2条)
 失業保険法「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず労働の対償として事業主が労働者に支払うすべてのものをいう。」(4条1項本文)
 労働保険の保険料の徴収等に関する法律。失業保険法と同内容(2条1項)
 健康保険法「本法二於テ報醐ト称スルハ事業二使用セラルル者カ労務ノ対償トシテ受クル賃金、給料、俸給、手当又ハ賞与及之ニ準ズペキモノヲ謂フ」(2条1項本文)
 厚生年金保険法(報酬とは)「賃金、給料、手当、賞与その他いかなる名称であるかを問わず、労働者が、労働の対償として受けるすべてのものをいう。」(3条1項8号)
 勤労者財産形成促進法(賃金とは)「賃金、給料、手当、賞与その他名称のいかんを問わず、勤労の対償として事業主が勤労者に支払うすべてのものをいう。」(2条2号)

 これら法上の規定は、それぞれの法の目的に叶うべ<、微妙なニュアンスの違いを示しているものの、いずれも労働なり勤労の対償として使用者なり事業主が支払うものとして表現しており、概ね労働基準法に準ずるか、又は同一の内容を示しているとみてさしつかえない。(37)

 労働基準法上、賃金の中心概念は、(イ)名称の如何を問わないこと、(ロ)労働の対償たること、(ハ)使用者が労働者に支払うすべてのものであること、の三つである。(ハ)の労働者概念については既に触れたので、ここでは労働の対償性を中心とし、名称の如何を問わないとする考え方を検討したい。

 労働の対償とは労働の対価、即ち民法624条における、報酬後払制のごとき、ノーワークノーペイを意味するものではない。つまり、「単に対価的牽連関係において示される有償双務契約上の問題として把えられるに止まらず、労働者の生存維持との直接的関連において把握すべきもの」(38)であり、「労働力の再生産費として労働者の生活費と生殖費(妻子を養う費用)から成り立つものである」(41)とされている。

 勿論、対価的な部分が存在しないとはいえないであろうし、現象的には労働の対価たるイメージが強い。併し賃金には二つの性格があると考えた方が、より具体的な賃金の位置づけに役立つであろう。

 つまり、賃金には報償的な部分と、交換的な部分の二要素が基本としてある、とする考え方である。報償的性格をもつ賃金の実際例としては、いわゆる生活給的なもの、すなわち固定給のうちのある部分、出来高払制保障給(労基法27条)、家族手当、物価手当、教育手当、勤務地手当、住宅通勤手当(欠勤の場合も控除されない慣行のもの)、別居手当、独身手当などが考えられる。一方、交換的牲格をもつものは、いわゆる労働の対価に直接結びつくものであって、能率給・能力給的なもの、すなわち時間給、出来高払給、皆勤手当、精勤手当、業績手当、生産報償金等が考えられる。

 この区別は一見明解であるが、個々の賃金形態や経営規模、経営慣行に相当部分依存することも否めず、これらを全て賃金であるとして労働の対償性に包含せしめることには若干疑問がある。その原因は、一つに報償的性格のウエイトが余りにも高すぎるところにあると考えられる。つまり、生活給的要求それ自体を否定することはできないが、現在の賃金水準の格差を充分説明し得ないのである。

 労働者としては、すべての労働者が生活の必要をある程度等しくしている筈であると考えるほかはないが、実際の賃金はそれを強調したのではとうてい解決できそうにないほどの差が、異なった産業、経営規模の違い、更には異なった職種の間にも存在しているのである。この格差をそれ故に報償であるとすることはたやすい。併し、その報償性を恩恵的なものと考えることは、少なくとも労働の対償性を前提としている限り許されないであろうし、支払者の一方的恣意に委ねることも妥当でない。つまり、いかに労働者の生活がそれによって保障されているとしても、単に贈与によるものは決して賃金とは言えないということである。

 とするなら、賃金は「支払らわねばならぬもの」として考えざるを得ず、使用者における財産的出捐が義務付けられる根拠として、そこに有償契約性をもう一度振返って検討してみる必要がある。既に有償契約性を労働との対価的牽連関係において把えることのできないことは前述したが、労働者の権利としての請求権を賃金の性格の中に求めようとするならば、派生的に労働契約に伴う有償牲を認めてよいことになるし、ここにこそ賃金の法的意義があると思われる。従って「労働の対償たらざる利益は、労働者にとって如何に大なる利益価値があっても、それを賃金と認めることは許されない」(41)であろう。

 そもそも、労働者概念なるものが労働契約上のものであり、労働者が受けるものとして賃金が存在する以上、それもまた労働契約(たとえば労働協約、就業規則等を含めた)上のものとして把握されねばならない。労働者が受けるものなのではなく、労働者が労働契約に基づいて請求しうるもの、換言すれば労働者たる地位に基づいて受けるものが、名目の如何にかかわらず賃金なのである。

 5 賃金請求権と労務供給

 労働契約から発生する請求権といっても、単に労働者であるのみで賃金請求権が発生する訳ではない。全面的にではないにしても、ノーワークノーペイは基本的に賃金請求権の基礎をなしている筈である。ここでは労働者がどのような状態にいたった時、具体的に賃金請求権が発生するのかを考えてみたい。

 労働と賃金の関係は希薄化しており、「一般的に初任給と定期昇給とにより決定される本給に「労働の質」と対応する保障はなく、一時間または一日にとれだけの労働をしたら良いかという労働強度について具体的でないから、たとえ時間給であっても「労働の量」とも対応するものではない。又、奨励加給部分においても生産実績には経営責任も混入し、更に配分方法についても労働者の実際に提供した労働の質や量とは対応していなく、労働の成果に対応するごとく見える能率給の場合でさえ、賃金と労働は結びついていない」(42)ことが指摘されているように、使用者へ帰属せしめた付加価値の分け前としての請求でない以上、労働者のある種の義務の履行が賃金請求権を生むと考えてよい。

 労働者の負担する義務とは、「(イ)使用者の指揮圏内に入ること、即ち、使用者の従業員たる地位ないし職務につくこと、(ロ)日々労働力を使用者の処分に委ね、かつ、その状態を一定時間保持することによって従属労働に従事しなければならない。しかし、この義務の中核は、企業の組織的拘束に服し、使用者の指揮命令に従うところにあるのであって、必ずしも現実に労働がなされることを要しない」(43)として、この二面性のもとに把えるのが普通である。
 そして「労働関係が継続的法律関係たるところから、労働力と賃金との交換的部分のほかに、従業員たる地位を定める固定的部分が生じ、労働者は使用者の指揮圏内に入り、従業員たる地位に就くことによってすでに労働契約上の第一次的な義務を履行している」(44)のであるから、この時すでに賃金請求権は部分的にではあるが、具体的に成立していると考えてよいであろう。

 更に第二の義務を果したことにより、労働者は全面的な義務を履行したことになるから、この時点で賃金請求権は全面的に発生するといえる。従って使用者がその労働力の提供された状態をどのように処分するかについての問題は、すでに労働者側の賃金請求権とは無関係であるといえる。この意味で休暇や休憩も、委ねられた労働力の使用者による処分であると考えてよいであろう。

(1) 津曲蔵之丞 賃金(一) 労働法講座第5巷
    労働基準法所収 P1141〜1142
  (2) 柳川真佐夫 戦後の仮処分の反省と展望 法律時報27巻8号P34
  (3) 津曲 前掲 P1150
  (4) 荻沢清彦 解雇の制限と民法理論 ジュリスト413号 P86
  (5) 水島密之亮 賃金の法律上の意義 経済学雑誌18巻4号P69
  (6) 外尾健一 労働契約 賃金・労働条件と労働基準法 所収 P261
  (7) 浅井清信 労働契約の基本問題 P97〜98
  (8) 高島良一 労働契約と団体交渉 P113
  (9) 松岡三郎 条解労働基準法 P91
  (10) 片岡昇 労働契約の法的性質 季刊法律学23号P5
  (11) 有泉亨 労働契約に関する若千の問題点 討論労働法34号P20〜21より要約
  (12) 林信雄 雇用契約と労働契約 契約法大系(W)所収P6
  (13) 来栖三郎 契約法、P419
  (14) 木村五郎 労働法の判例 所収、ジュリスト別冊 P71
  (15) 国武輝久 労働者の概念 労働判例百選第三版P23 別冊ジュリスト 45
  (16) 山本吉人 雇用形態と労働法 P144
  (17) 蓼沼謙一 労働関係と雇用契約 討論労働法38号 P3
  (18) 門田信男 労働契約の法構造 季刊労働法21巻3号P29
  (19) ジンツハイマー 来栖三郎 前掲P413〜414より
  (20) 津曲 前掲P1148
  (21) 片岡昇 前掲P12〜13
  (22) 石井照久 新版労働法 P9 このほか、吾妻光俊氏も従属性を否定している。
  (23) 隅谷三喜男 日本の労働問題 P4〜5
  (24) マルクス 資本論 長谷部訳 第一部第二分冊 P315
  (25) 日雇労働者の定義は、日雇労働者健康保険法第3条1項各号
     勤労者の定義は、勤労者財産形成促進法第2条1項1号
  (26) 山本吉人 前掲はしがき P2〜3
  (27) 以下の分類は、国武輝久 前掲P22〜23によった。
  (28) 広島地労委命令 昭36.6.30 労働法律旬報428・429号P12
  (29) 広島高岡山支部判 昭38.9.23高民集16巻7号P514
  (30) 広島地判 昭41.8.8労民集17巻4号P932
  (31) 東京地判 昭43.10.25
     労民集19巻5号P1335 東京12チヤンネル事件
  (32) 山本吉人 前掲P97
  (33) 浅井清信 証券業者の外務員につき労働基準法第26案の適用
     がないとされた事例 法律時報 34巻3号P103
  (34)  幾代通 注釈民法(16) P9
  (35)  滝川誠男 解雇の法理 P176
  (36) 労働省労政局 労働法規課編
     労使関係法運用の実情及び問題点 P197、201
  (37) 船員法は「給料とは船舶所有者が船員に対し、一定の金額により定期的に支払う報酬のうち基本となるべき固定給をいう」(4条)として狭く限定している。これは大型船舶や漁船など複雑な給与体系があり、且つ乗船中と下船時の差などから陸上労務者と異なった表現を用いたものといえる。
  (38) 窪田隼人 労働基準法上の賃金 季刊労働法13巻1号 P43
  (39) 来栖三郎 前掲 P433
  (40) 以下の分類及び説明は、本多淳亮 労働契約と賃金 季刊労働法7巻3号
     P87以下によるところが多い
  (41) 水島密之亮 前掲 P68
  (42) 氏原正治郎 日本の労使関係 P222〜225
  (43) 窪田隼人 前掲 P35
     なお 本多淳亮 前掲P91も同旨
  (44) 本多淳亮 前掲 P91



                                     文責 佐々木利夫



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