給与所得の性格と課税上の問題点(11)
  

第二節 判例の考え方

 1 板橋事件(1)

 この判決は、パイオリニストの楽団から受ける収入が給与所得となるか、それとも事業所得になるかについて判断を下したもので、「給与所得の意義ならびに事業所得との差異についての初めての判示として注目すべき判決」(2)であるとされている。原告の主張は多岐にわたるが、ここでは給与所得の意義を中心に展開してゆきたい。

 (事実の概要)
 控訴人板橋順は日本フィルハーモニー交響楽団(以下日本フィルと略称する)に所属するパイオリンの楽団員である。昭和37年分の確定申告において。日本フィルからの収入936,359円、日本グラマフォン他2社からの収入41,209円の計977,568円を事業所得の収入金額とし、必要経費35%(経費率についての立証はない)を控除して、635,420円を申告した。これに対し税務署長が日本フィルからの収入を給与所得とし、他の収入を雑所得であるとして、給与所得控除、標準率をもとに所得を計算して更正したのが本訴の起りである。

 (控訴人の主張)
 (1) サラリーマンのように七曜表に基づく勤務時間的な拘束はなく、楽器、モーニング、楽譜等全て自己負担であり、自己の計算で演奏を行っているから日本フィル等との関係は雇用契約や労務契約ではなく、無名の混合契約である。従ってその収入は交響楽団の演奏公演による収益の還元、又は控訴人の芸術的価値に対する出演謝礼的な性質をもつところの請負報酬金である。
 (2) 給与所得控除を大巾に超えることが通常であるような職業の者の収入を、法は給与所得者として予定していない筈である。
 (3) 職業野球選手の所は事業所得とされているが、本件収入もそれとなんら変るところがなく、又労働組合に加入していないのは労働組合法上の労働者でないことからくる当然のことであり、賃金生活者ではない。

 (判示事項)
 控訴棄却(国側勝訴)
 (1) (原審における契約書、就業規則等から、演奏、練習の従事義務、勤務、休暇、欠勤等の服務規律による拘束、毎月定額の基準賃金や諸手当の支給、出張旅費、賞与、退職金の支絵があること、健康保険や厚生年金保険料が基準賃金から控除されていることなどの事実認定を引用し)、控訴人がバイオリニストとして高度の技術を有し、かつ日本フィルから受ける報酬が控訴人主張のごとく雇用、請負、委任などの要素の混合した楽団参加契約ともいうべき無名契約に基づくものであるとしても、それは控訴人が楽団に所属し、そのスケジュールに従ってその指揮拘束を受ける従属的立場において提供する役務の報酬として支払らわれたものであり、控訴人が右楽団を主宰するものでないことはもちろん、そのスケジュールの企画・策定・実行にも直接参画するものでもないことは弁論の全趣旨から明らかであるから、右楽団の一員として控訴人が活動することは、自己の危険と計算による企業性を有するものとはいいえないことはもちろんであって、ひっきょう控訴人が日本フィルから取得する収入について被控訴人においてこれを給与所得と目して課税したことには、なんら違法の点はない。
 給与所得は、雇用またはこれに類する原因に基づき非独立的に提供される労働の対価として受ける報酬および実質的にこれに準ずべき給付を意味するのであって、報酬と対価関係に立つ労務の提供が、自己の危険と計算によらず、他人の指揮命令に服してなされる点に事業所得との本質的な差異がある。したがって、提供される労務の内容自体が事業経営者のそれと異ならず、かつ、精神的、独創的なもの、あるいは特殊高度な技能を要するもので、労務の内容につきある程度自主性が認められる場合であっても、その労務が雇用契約等にもとづき他人の指揮命令の下に提供され、その対価として得られた報酬もしくはこれに準ずるものである限り、給与所得に該当するものといわなければならない(原審判示引用)。

 (2) 音楽演奏家は職業費ともいうべきものが一般の勤労者より多くかかり、それが給与所得控除額を上廻るものもありうることは否定できないけれども、所得税法は所得の発生態様ないし性質の如何によって所得の種類を分類しているのであり、必要経費の多寡を所得分類の基準としたものとは解されない(原審判示引用)。定額以上にいわゆる職業費を要する職種であって、それが消費的支出と判然と区別できるものについては、資料を提出させ、申告に基づいてその控除を認めることは徴税技術の上からみて、さして困難であるとも思われず、…高度の学識や技術を要し、日夜これが研鑽に努めなければその給与所得の維持、増額が期待できないために、右定額以上の経費を要する職種にあっては、その必要経費の負担を問題にする必要がないほどに給与自体が高められない限り、税法の問題としては右の如き制度を採用するか、または、控除額を増額するかのいずれかの方法を講ずることが、税負担公平の見地から見て望ましいことであるとはいいうるであろう…しかし、この点についても原判示の如く事は結局立法政策上の問題に帰着するのであって所得税法の解釈としてはやむを得ないところというべきである。

 (3) 職業野球選手の場合にはチームの成績とならんで選手個人の技能と個々のプレーが興味と関心の対象となり、選手が球団から受ける報酬も当該選手の技能の進歩、成績、人気の高低によって大きく左右されるものであることは成立に争いのない(証拠)に徴し明らかであって、それはあたかも一般芸能人の出演料などと同様、選手個人が契約に従い自己の責任と計算において提供する具体的なサービスに対する報酬たる性質をもつと認められるに反し、前認定の事実と原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告ら日本フィルの一般楽員については、右のような個人的色彩はほとんどなく、その報醐も楽団の定めたとおりに労務を提供すること自体に対して支払らわれるもので、原則として勤務年数に応じて逐年増額され、生活給的要素を顕著に有する点において、職業野球選手の報酬とは異なることが認められる(原判示引用)。

 (評釈)
 以上のように判決も給与所得について、「雇用又はこれに類する原因」、「実質的にこれに準ずべき給付」というように、かならずしも断定した判断を示していないが、当該事案の解決としては判旨に賛成である。判旨の給与所得の把え方は二つに分けて考えることができよう。一つは「企業性を有しない」、「自己の危険と計算によらず」とし、「非独立的に」と主張される労務提供の形態であり、二つは、「他人の指揮命令に服し」、「指揮拘束を受ける従属的立場」のように労務提供者の地位の形態の問題である。

 前者を非独立性と浮び、後者を従属性と呼んで良いと思われるが、この両概念の交錯として判旨は給与所得を把えたとみてよいであろう。併し、非独立性というのはとりもなおさず自からが事業体を持たないことを意味するのであり、労務提供における収入で、自からが事業体を持たないものが給与所得となるごとはむしろ自明である。非独立的であるための要件こそが必要とされるのであり、非独立性が単独に説明され得るならば従属性の概念をもち込んでくる必要はないといえる。そうするとこれはむしろ従属性のゆえに非独立的性格が派生してくると考えてよく、従属性の解決が給与所得の性格を決める上での重要な要素となることを示唆したものとみてよい。
 本件は上告され、最高裁で審議中であり、その判断が注目される。

 2 通勤定期券事件(3)

 (事実の概要)
 上告人は、労働契約により労働者の通勤費を負担することを定め、従業員に毎月通勤定期券または購入代金相当額の金銭を交付していたが、給与所得に含めて源泉徴収をしていなかったことから税務署長の徴収決定を受けた。

 (上告人の主張)
 通勤費は負担者の費用たるだけで、勤労者の所得(労働の対償)ではない。

 (判示事項)
 勤労者が勤労者たる地位にもとづいて使用者から受ける給付はすべて…給与所得を構成する収入と解すべく、通勤定期券またはその購入代金の支給をもって給与でないと解すべき根拠はない。…若し右の支給がなかったならば、勤労者は当然に自らその費用を負担しなければならないのであって、かかる支給のない勤労者とその支給のある勤労者との間に税負担の相違があるのは、むしろ当然であって、通勤費の支給を給与と解し、勤労者の所得の計算をしたのは正当である。

 (評釈)
 給与所得の意義を中心に考えると、判旨は勤労者が勤労者たる地位にもとづいて使用者から受ける給付はすべて所得税法上の給与所得であるとする点にある。ここでの勤労者たる地位というのはかならずしも明らかではないが、前提要件として通勤定期券の支給を受けた者は従業員に確定しているから判決もそれについては深く追求していない。併し判旨をもって給与所得を説明づけるとなると、この文言は重要な意味をもってくる。判旨の考え方が「…賃金とは…名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」とする労働基準法の条文と非常に似ていることに気付く。勤労者というものを判旨にある使用者との対立概念として考えるならば労働法の労働者と同じ意味になり、勤労者たる地位とは、とりもなおさず労働契約関係下における地位を示し、労働契約の本質は第二章三節で触れたように使用従属性に根拠を求めうるからである。

 本件の控訴審判決(4)は「労働条件として従業員の通勤費の実質を控訴会社の方で負担することを定めた労働契約にもとづいて従業員に交付する本件通勤定期乗車券またはその購入代金相当額の金員も、上叙の賃金体系の一内容を構成する実質的な賃金の一部にほかならない」として労働契約上のものであることを稜極的に肯定し、第一審(5)も「労働契約により使用者に規則的に請求しうべき労働者の権利たる性格をもつものであるから、まさに労務の等価関係においてこれに準じて評価せらるべき給付というべく、したがって右通勤費は労働者の取得する俸給、給料、賃金と同一の性質を有する給与として…給与所得に該当する。」と、労働法上の考え方をその説明の根拠としている。

 3 大島事件(6)

 (事実の概要及び原告の主張)
 訴訟は昭和40年改正前の給与所得規定並びに関係諸規定がすべて憲法14条1項(法の下の平等)に違反するとし、主として給与所得控除をめぐって提起された。
 ここでは給与所得の意義に関してのみ引用するに止める。

 (判示事項)
 給与所得とは、使用者との間の雇用契約に基づいて、非独立的に提供する労務の対価として使用者から受ける金銭的給付をいうものと解することができる。…給与所得者は使用者との間の従属的な雇用契約に基づいて労務を提供するものであるが、給与所得はその労務提供の対価として使用者から受ける反対給付であって…(以下略)

 (評釈)
 この判決では給与所得をこれまで触れてきた判決よりかなり狭いものとして把えている。即ち、雇用契約に限定している点で前述した板橋事件と比較するなら狭きに失すると考えて良いであろう。勿論裁判は当該事案の解決のための最短距離を通ることになるし、かつそれで足りることでもあり、加えて本件における原告は雇用契約上にある者である以上、それ以上の追求は不必要であったといえる。

 併し給与所得というものが雇用契約上のもののみに限定されるものでないことは今迄繰返し述べてきたところであるし、この判示においても矢張り、非独立的であるとか、従属的な雇用契約という文言が使用されていることは、給与所得の性格を決定する上での重要な要素であることを示唆しているものといえよう。

 4 その他
 以下、給与所得の意義に関して判示したものをいくつか掲げてみる。

 (1) 「給与とは人の勤労の対価として期間に応じ勤労の多寡に即して支給する金銭的給付を意味し、俸給、給料、賃金、歳費、年金、恩給、賞与はもとより、名義の何たるかを問わずいやしくも右の性質を具有するものは一様にこれを給与として所得税の課税対象とするというのが前記法条の趣旨であると考えられる。…給与と見るべきかは、更に支給範囲、支給額の多寡、額の恒常性の有無、支給形式等、支出の具有する経済的、経理的特質から判断を加えて決定せらるべきことがらである。…役員及び古参職員に対する加俸的給与であると認められる節があり、…支給が毎月給料の支給と同時になされ、しかも定額支給の形をとって行なわれたこと、支給に対し清算が行なわれた形跡のないこと、それが生活費の部として消費されていること等を併せ考えれば、これを給与と解するのか相当であろう。」(7)

 (2) 「(所得税法は)『これらの牲質を有する給与』をも包括的にその課税対象とする旨定めているから、労務の提供に関連して受くべき給付も、給付の性格等を検討してそれが労務の対価に準じて評価せらるべき場合には、これを俸給、賃金、と同一の性質を有する給与として給与所得に包含せらるべきものと解する。」(8)

 (3) 「所得税法上給与とは雇用契約またはこれに準ずる関係に基づいて使用者に従属して提供した労務の対価として使用者から受ける給付であると解すべきである」(9)

 (4) 「従業員の責に帰すべき事由により労務の提供がない場合においても、使用者がある程度の期間引き続き給料を支給するという事例は十分あるけれども、それが労務に対する反対給付たる意義を有せず、かつ使用者の義務に属さない支出である以上、…右期間中雇用契約がなお存在していたとしても右金員を原告の損金とすることはできず、又従業員の給料でもなく、受給者に対する寄付金とすべきが相当である。」(10)

 給与所得の意義に関する判決は極めて少なく、それも殆んどの場合が確定的に雇用関係にある者の受ける種々の名目の給付が給与所得となるか否かについて争われたものである。従って前述した板橋事件以外には本格的に給与所得の意義にとり組んだ事例はないとみてよいように思う。

 只、(4)の事件は雇用関係にありながらも、従業員の責により具体的な労務の提供(第二章三節における労働者の義務)を果さなかった時においては、使用者が給与として支給しても、給与所得ではないと判断したもので、第四章の問題ともからみ、興味ある判決となっている。

 これまで本章において給与所得規定の分析と判例の考え方を見てきたわけであるが、事実上の問題として給与所得とそれ以外の所得のポーダーラインに近い者の牲格を類型化してみる必要がある。以下節を改め、役員の受ける給付と自由職業者の所得のそれぞれについて検討し、給与所得を考える上での足がかりとしたい。
 
(1) 東京高判 昭47.9.14 税資66号P245
    猶、一審は東京地判 昭43.4.25 税資52号P731
  (2) 野崎悦宏 事業所得と給与所得との差異 税務弘報16巻12号P103
  (3) 最判 昭37.8.10 民集16巻8号P1749
    これに対する評釈としては
    塩崎潤 租税判例百選P72
    金子宏 法学協会雑誌 82巻2号P148
  (4) 大阪高判 昭35.12.15 本件最判に収録
  (5) 大阪地判 昭34.12.26 行集10巻12号P2501
  (6) 京都地判 昭49.5.30判例タイムス  No309 P113
  (7) 東京地判 昭34.5.27直接国税関係刑事判決要旨集
     国税庁 44年8月P10
  (8) 大阪地判 昭34.12.26行集10巻12号P2501
  (9) 盛岡地判 昭46.4.8行集22巻4号P465
  (10) 東京地判 昭47.3.2 シュトイエル121号P33



                                     文責 佐々木利夫



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