給与所得の性格と課税上の問題点(13)
  

第四節 自由職業者の性質、
 ここでは種々の自由職業者のうちからいくつかを取りあげ、それらの者の職業の特異性を検討しつつ、前節に引き続き給与所得を把える上での判断材料を描出してゆきたい。

 1 外交員、外務員、集金人

 昭和23年1月9日付労働省労働基準局発13号通牒によれば、生命保険外交員には次のような区別がある。
 (1) 保険外務員 所属会社との契約は委任契約で経費及び報酬を受けるが、労働時間及び場所(但し募集区域の制限を受けることがある)等の制限を受けない者。
 (2) 募集職員 所属会社との契約は雇用契約で、保証給(労基法27条)を受け、就業規則により拘束される者。

 この区別は証券業の外務員においても実情は同様のようであり、集金人にあってもその集金額を基準として報酬を受ける者、集金そのものを従事内容とする者及び通常の事務と集金を兼務する者とがあり、その実態は前記生命保険外交員と変るところは少ないので以下、外交員等として検討を加えたい。

 募集職員と呼ばれる形態の者は明らかに属用契約に基づくのであって、いわゆる賃金労働者としての性格を典型的に持つと考えてよいから、その受ける報酬の給与性について疑問はない。併し保険外務員、通常外交員と呼ばれる者の受ける報酬は簡単に割り切れないものがある。その原因には、受ける報酬の性格が、一種の出来高払制に酷似しているところにあるといえよう。つまり能率給よりも更に請負型の委任へ一歩近づいているといえ、この請負型の故に募集職員と区別せられているからである。

 この出来高払給と請負報酬の差に関して昭和26年6月基本通達119は「雇用契約に基づく収入であるかどうかによるべきものとし…」と、もっぱらその契約形態を中心において考えていたようである。併し、現実の契約形態が請負又は委任の形をとっているとしても、それは事実上、使用者と外交員等との間が「労使」という形式をとらないための一種の擬制であり、「企業が使用する労働者を、労働法上の労働者として処遇する場合には、労務管理上さまざまな面倒な問題があるが、これを民法上の請負ないし委任という契約関係下におけば右の負担から免れうる。しかもこの関係には、企業にとって最大の魅力である低賃金=歩合給が密着している。

 そして当然のことながら、歩合給である以上当該労働者は労働時間を顧慮せず、自からが使用者の監督なしに最高の能率をあげるべく最大の努力をなす」(1)とされるように、その非労働者政策の故であることは充分考えられる(2)。しかもこれら外交員等は特定の企業下のみにあるのであって、労働時間の無制約もその外交員等が自からの事業として欲しているのではなく、歩合給であるための必然性からくるものであろう。このことは例えば「多くの企業にあっては、外務員の成績・能率の如何によっては『非労働者政策』の対象から除外し雇用関係に移すという制度がとられ…雇用制であっても三カ月ないし六カ月ごとの査定があり、一定の成績をあげていなければ委任制に変更させる」(3)ことからも推察することができよう。

 確かに現実には相当高額な報酬を受けている者の存在を否定することはできない。併しそれはあくまでも特殊な才能を有する、限られた人物に過ぎないのであって、多くの者が無拘束の勤務時間の全てを費しても、なお僅かの収入しか得られないことは、外交員の廃業率の高さからも知れよう。(4)

 外交員等の傾向として山本氏は次のように述べている。(5)
 (1) 従来、独立性、時間的場所的自由を認め、企業規則、職場規律に無縁であったものも、経済的変化等から企業との結びつきが緊密になる傾向を示し、指揮・命令下に労務を提供するという実態をとるものが多い。
 (2) 外務員の質の良否が会社利益に直接影響するため、固定給を出し、定着性を高めようとしている。研修も活発に行なわれ、この研修制度は一つの使用従属性のあらわれである。
 (3) 外務員と全く同じ内容の仕事を社員、従業員に行なわせ、両者とも同一の職場規律に従わせる場合がある。
 (4) 支社、支部ごとのノルマ達成のためには外務員の掌握が必要となり、外務員のノルマの遂行状況について報告を要求するため、出社制をとる傾向にある。
 (5) セールス関係が敬遠されがちのため、打開策として労働条件が良くなり、企業の指揮・命令下に編入していこうとする。
 (6) 対外信用の面等から外務員を従業員化、職員化する傾向にある。
 (7) 労働法的知識の普及から、歩合制のみではモラールが低下するため、また組合結成、要求提出等のため、対抗策として優遇することを余儀なくされ、その代償として出社制をとり従属下におこうとする傾向もある。

 このように見てくると外交員等にも、若干の例外を除き極めて強い使用従属性が認められると解してよいであろう。

 最高裁は証券会社の外務員につき「上告人は外務員として、右会社の顧客から株式その他の有価証券の売買又はその委託の媒介取次又はその代理の注文を受けた場合、これを右会社に通じて売買その他の証券取引を成功させるいわゆる外務行為に従事すべき義務を負担し、右会社はこれに対する報酬として出来高に応じて賃金を支払う義務があると同時に上告人がなした有価証券の売買委託を受理すべき義務を負担していたものであり、右契約には期間の定めがなかったというのであるから、右契約は内容上雇用契約ではなく、委任若しくは委任類似の契約であり、少くとも労働基準法の適用さるべき性質のものではない」(6)として労働者性を否定したが、これについては学説の反対が多い(7)。

 勿論、労働法上の学働者と所得税法における給与所得者の概念が同一であるという保証はないから「被控訴人は控訴人の如き歩合外交の外務員契約はむしろ請負に類似し、徴税上も通常の使用人とは別の扱いを受けていると主張するが…いわゆる歩合外交員が徴税上別異の扱いを受けているとしてもそれは単に徴税上の目的からでた取扱の相違に過ぎずX-Yの法律関係の性質を左右するに足らぬと考える」(8)こともあながち無理なことではない。

 また、「事業所得税を賦課することの当否は、民法典のどの典型要約に該当するかにとらわれずに、税法の見地から決すべきことである」(9)との主張は、昭和36年初めの衆議院大蔵委員会で当時の原国税庁長官が、契約の種別、従って所得の種別について、中労委その他の機関が判定したとしても、税金については、税法上の立場で判断すべきであると発言した(10)こととも共通するものであり、労働法と租税法が目的を異にしている以上正当であるといえる。併し、賃金給与は普遍的には労働者の受けるものであり、又そのようなものとして税法上考えられているといえるから、この両者を完全に別個のものとして扱かうことはできないであろう。

 結局は前述した外交員等の現在の傾向なり位置から判断してこれらの者を営業主体として呼ぶにふさわしいか否かが考えられなければならず、その上に立って所得税法が勤労所得という範疇ではなく、給与所得という形で所得を区分した目的とも併せて考えてみなけれぱならぬであろう。

 2 大工・左官等

 請負契約と未分離の状態を持つ、もっとも典型的なものとして、これら大工・左官・トビ・石工等のいわゆる職人の職業があげられよう。これらの者の収入について、昭和19年、分類所得税事業所得丙種新設に際し、「法人、常時3人以上の使用人を使用する個人、常時5人以上の労務者を使用する個人」から支払を受けることを要件に、外交員等と同じ事業所得として扱かった。

 併し、この所得計算が命令で定める金額を控除しているにもかかわらず、同じ事業所得丙種とされていた原稿料、作曲料の収入にはこの控除の適用がなく、明らかに純粋な意味での事業所得とすることには躊躇があったこと、換言するなら一種の給与所得と事業所得の接点にある所得、もしくは交錯した所得であるとの考え方がそこに認められるといえよう。

 その後もこの点はしぱしぱ問題となり、「(大工、左官等の所得が給与となるか事業となるかは)実際問題としてなかなかむずかしい場合が多いと思います。ただやはり、大工・左官といたしまして、主として自己の労務を提供して仕事をする場合におきましても、普通の労働者と違いまして、雇用契約に基づいて一定の賃金、給与等を得る場合と違って、自己がやはり独立してそういうサービスを提供して、それに対する対価の収入があるという場合におきましては…事業所得に該当すべきものではないかと考える」(11)、「いかんせん、一人大工の方の仕事自体がときには勤労所得者になったり、ときには事業所得者請負業者になるのであります。…こういうふうに実態がかわってくるのであります。私は実態がかわってくるときにどうするかというとやはり徴税の便宜ということも考えねばならぬし、納税者の立場も考えて適当な措置をとらねばならぬと思うのであります」(12)など模索が続けられている。

 昭和26年の基本通達119は雇用関係以外のものを事業所得としながらも、その判定基準を、(1)当該契約の内容が他人の代替を容れるかどうか、(2)仕事の遂行にあたり、個々の作業について指揮監督を受けるかどうか、(3)未だ引渡を了えない完成品が不可抗力のために滅失した場合等において、その者が権利として報酬の請求をなすことができるかどうか、(4)所得者が材料を提供するかどうか(5)作業用具を供与されているかどうか、を掲げている。

 その後昭和28年、(1)その対価等の請求が工事代として一括してされているか、また、材料代、手間賃等に区分されているかどうか、(2)店舗を有し、一般顧客の求めに応じているものかどうか、(3)使用人を有している者であるかどうか、(4)労働組合に加入している者であるかどうか、を加えた(13)。

 更に昭和30年には、(1)その年中を通じ職人として一定の親方に所属している者の受ける労務の報酬は原則として給与所得とする。(2)常時使用人その他の従業員を有しないで、また職人として一定の親方に所属もしていないいわゆる一人親方の受ける報酬は(3)に掲げる場合を除き、その年収が100万円以下であるときは金額に応ずる一定率を収入に乗じて計算した金額を給与所得とし、その余は事業所得の収入金額とする。(3)店舗等を有し、常時一般顧客の求めに応じていると認められる者の受ける報酬は、雇用契約によって受けたことの明らかな個々の報酬を除いては、原則として事業所得とする、とされるにいたる(14)。

 この中で特徴的と思われるのは、昭和30年(2)における収入を一定比率により給与所得と事業所得に分離するという考え方であろう。給与所得と事業所得とが事実上混在しているとしても、このように通達による画一的な割切りには疑聞を感ずるが、少なくとも理論的には困難な分離を行政的に解決したいとする願望の結果とみてよいであろう。ともあれ「事業所得と給与所得との限界に関しては場合によっては実務上の問題があると思われるが、勤労性の高い事業(大工、とび、、左官等)について、その収入の一定部分を給与所得の収入とみて課税するという現行の取扱いは、実情に即した適当な措置である」(15)として支持されている。

 ここで再び前述した基本通達及びその後の通達における考え方を整理してみることにする。
 昭和26年(1)の代替性は表面的には民法625条2項における意味をもつに過ぎないが、他面、給与所得の本質に迫る面をも有していると考えられるので次節において検討することにしたい。同年(3)は、いわゆる危険負担の問題であり、契約の当事者として自からが事業体を有するか否かを判断する際の材料となるものである。この意昧で同年(4)における材料、(5)における作業用具も共に同じ次元における判断材料と考えて良い。また昭和28年(1)(2)、昭和30年(3)も共に自からが事業体を有するか否かの表象の一つとして考えられているとみてよいであろう。他方、昭和26年(2)は明らかに今迄幾度となく触れてきた使用従属性をその中心にすえているし、昭和28年(3)も事業体としての表象以外に従属性を裏から見ていると考えられ、昭和30年(1)において明らかにその従属性が確認されているといえる。

 異質に見えるのは昭和28年(4)における労働組合加入の有無であろう。今迄のところ労働組合と給与所得を結びつけたのは、この通達以外には発見できなかった。ここでは、労働組合に加入しているか否かをそのメルクマールとしているが、厳密には労働組合に加入すべき資格を有しているか否かを、もしくは労働組合を組織することができる者であるか否かをそのメルクマールとすべきであろう。

 なぜなら、加入の有無は単なる事実であってその者の地位を明確にあらわしているとはいい難く、加入の条件を備えているか否かの方に、より本質的なものがあるといえるからである。いうまでもなく、労働組合に加入し、もしくは組織できる者は労働者である。ここにも労働法と租税法の接点があると考えてよいであろう。そして「大工、左官等建築工事を行うものは、一般に請負契約により業務を遂行する独立自営業者であるが、雇用契約により使用従属関係に立つ場合は労働者である。

 なお、これらの職人はしぱしば徒弟をもつことがあり、その関係で労働者性に疑問を生ずるが、徒弟との関係は使用関係でないとして、これらの職人の組織する団体を適格の労働組合であるとした例がある」(16)など従属性が労働組合の問題においても避けることはできないことを示唆していることは興味深い。

 3 職業野球選手

 本章2節における板橋事件において判決は、「職業野球の場合はチームの成績とならんで選手個人の技能と個々のプレーが興味と関心の対象となり、選手が教団から受ける報酬も当該選手の技能の進歩、成績、人気の高低によって左右されるものであ(り)…それはあたかも一般芸能人の出演料などと同様、選手個人が契約に従い自己の責任と計算において提供する具体的なサービスに対する報酬たる性質をもつと認められる」として事業所得としての取扱を是認している。

 昭和26年基本通達108は、固定給である等、給与所得であることの明らかなもの、を除いては事業所得とする旨定めていたが、同年8月には「最近における選手の所得の実態が、(1)球団指定の野球に出場して契約料、出場料を受けるものであり、旦人気の高低に応じて出場料も増減するので一般芸能人に何等差異ないこと、(2)用具は待定のものを除き自己負担であること、等にかんがみ、昭和26年分以降の職業野球選手の所得についてはすべて事業所得として取扱うこととせられたい」(17)と改め、以後現在まで全面的に事業所得として課税している。

 現実問題として職業野球選手の個牲の強さは一般芸能人に匹敵する部分のあることは否めない。併しそのことが職業野球選手の全てについて普遍的にいえるかとなるとかなり疑問であり、現在のようにマスコミの発達した時代においてはノンプロにあっても同程度、もしくはそれ以上に人気を有する者のいることは事実である。

 それでは前掲判決も示すような個性と報酬の結びつきはどのようになっているであろうか。報酬額の具体的な根拠はかならずしも明確でないが、打者メリット、投手メリットの二つが重要な要素となっている。打者メリットとしては打撃率、出塁率、塁打率、本塁打率、三振率、打点率、得点寄与率、稼動係数等の加重平均とされ、投手メリットとしては被安打率、被出塁率、被本塁打率、三振奪取率、被得点率、防衛率、換算稼動率等の加重平均が用いられているようである。これらは決して人気や個性に対する報酬ではなく、純粋に個人の能力に対する評価、チーム全体に対す貢献度の評価であって、いわばタレント性よりも能力給としての性格を顕著に示しているとみてよいであろう。確かに日本待有の年功賃金、終身雇用の基盤からするなら異質な面をもっていることを否定できないけれども、むしろ純粋な意味では能力給というものが、賃金給与の本質であると考えてみる余地もあるのではなかろうか。

 契約形態から見ても職業野球選手は極めて大きな特異性をもっているといえよう。日本プロフェッショナル野球組織統一様式による選手契約書によれば、球団が契約の申込みをなし、選手がこれを承諾する形式をとっている(第2条)が、そもそも契約に到達するまでの間に昭和40年からスタートしたドラフト制が立ちはだかっているのである。又、その契約文言は球団名、選手名(第1条)、及び参稼報酬額(第3条)以外はすべて統一様式として固定文字化され、本人の意思が介入しない極端な附合契約的性格を与えられ、当事者の対等な立場における契約とはいい難い。

 選手は球団のトレーニング、非公式試合、年度連盟選手権試合、日本選手権シリーズ、オールスターズ試合に参稼しなければならず(第4条)、契約した参稼報酬以外には実費支弁を除き支姶されない(第6条)。写真映画、テレビ等には球団の指示に従がわなければならず、著作権もまた球団所有となっている(第16条)。このほか球団試合以外の参稼を禁じられ(19条)、他種のスポーツも全面的に禁止されている(20条)。

 加えて特徴的なことは、球団は選手の意思に反してもその契約を他球団へ譲渡することかでき(第21条)、ウェイパー制のもとに選手譲渡の公示も認められている(第27条)。更に球団と選手における紛争は最終処理をコミッショナーに一任されている(第30条)ことは重大である。なぜなら「コミッショナーはプロ野球機構を代表し、野球に関連することにつき指令を発し、紛争を裁定し、協約違反を裁決し、制裁を加えるほか種々なる職権をもつ強大な存在であるが、その選出方法はセパ両連盟の構成球団の四分の三以上の選任によって選任されるため選手側の意向は反映されていない。……コミッショナーの衡にあたる人々の主観的意図如何にかかわらず、協約が球団側の一方的な意思表示である以上、その上に立つプロ野球機構内の一機関たるコミッショナーの権限行使は、協約の構想の枠内にとどまることが必然的であり、かかる意味において、選手の従属的地位に変化をもたらすものでないどころか、ますます、プロ野球機構に従属せしめられることになる」(18)といえるからである。

 勿論、職業野球選手というものが二つ以上のチームの存在を基本とし、プロポクシングやプロレスリングのごとき重量別による力の平均化が自然につくりあげられるのと異なって、その興行性を充分発揮させるためには人為的な球団の力の平均化を計らねばならず、そのためにこそ球団を超えた次元での調整が必要なのであり、その結果としての契約面での個人の意思埋没であるとも考えられる。又、球団経営の面からみるなら球団数の無制約な増加は、プロ野球全体が破滅することをも意味するから、球団数を制限するような統一機構を形成して独占を保持しようとしたものであろう。新たな球団を発足させるとしても相当程度の力を持つ球団となることは至難であり、いきおい既存選手の引き抜きということも起りうるから、この防止策のためにも選手を強く球団に従属せしめる契約を必要とするのであり、通常の労働者におけるよりも更に強力な従属関係がそこにみられるようになる。

 併しその反面、選手は試合及びトレーニソグに要する野球用具のうちボールとユニホーム以外は全て自弁であり(第8条)、必要経費の存在を義務づけているから、結局はこの条項が現行取扱の根にあるのではなかろうか。このことを裏付けるものとして次の税調資料があげられよう。「…職業野球選手等の報酬はその契約の法律的性格が必ずしも明らかでないが、実体として給与所得に類似しているにかかわらず、給与所得控除ではカバーできない経費がかさむことから給与所得とみるのは酷なるとして、事業所得として課税している。」(19)。併しこのことが給与所得でないことの理由にならないことは「多種多様な給与所得者につき収入額に応じた一定の給与所得控除しか認めないことの立法政策上の当否はともかく、給与の支給を受ける者の支出する経費が右の控除額を超えるからといって、それだけで給与所得者に当らないとすることはできない」(20)以上明らかである。給与所得の牲格は必要経費の有無、又は多寡から決定されるべきものではないからである。

 4 その他

 以上のほかにも芸能出演者や家内労働者等、様々な事例が枚挙にいとまのない程存在する。特に内職を含む家内労働等は自営業者でありながらも「自営所得の問題として解くよりは労賃問題として解くほうが、はるかに理論的でもあり、現実的でもある」(21)とされるまでにいたり、家内労働法ともからんで面白い問題を含んでいる。又放送出演者については、専属契約から優先出演契約へと移行するに伴い様々な問題が発生しており興味は尽きないが、本節で述べた三形態の共通する部分もあるので詳しいことは野村、植林氏の論文(22)を参照していただくこととし、ここでは省略したい。
 
(1) 山本吉人 雇用形態と労働法 P142
  (2) 同旨 浅井清信 判例評釈 法律時報34巻3号P103
  (3) 山本吉人 前掲P145、209
  (4) 生命保険外交員についてであるが、年間30万人が採用され、
     そのうち廃業率が95%にも達するという資料がある。氏田博 セールスマンの処遇 労働法学研究会報761号P49
  (5) 山本吉人 前掲P230以下を要約した。
  (6) 最判昭36.5.25民集15巻5号P1322
  (7) 判例評釈
     浅井清信 法律時報34巻3号P102
     近藤正三 民商法雑誌45巻6号P90
  (8) 名古屋高判昭33.9.4 前掲(6)最判に収録
  (9) 来栖三郎 契約法P458
  (10) 週刊国税広報 昭36.3.30 292号P2
  (11) 平田政府委員 昭25.3.6 第26回
     大蔵委員会答弁 第7回国会、税法改正関係質疑応答録
     税法改正資料集第三集上巻 衆議院P101
  (12) 池田大蔵大臣 昭25.3.9第29回大蔵委員会答弁 前掲(11)P219
  (13) 昭和28年 直所5-20
  (14) 昭和30年 直所5-8
  (15) 税法整備小委員会 昭38.10.8
     税法整備小委員会の審議結果の税制調査会への報告P20
  (16) 労働省労政局労働法規課 労使関係法運用の実情及び問題点P200
  (17) 昭26.8.21直所2-82、5-23
     なおこれは解釈上明らかであるとして45・7・1廃止されている。
  (18) 下山瑛二 専属契約(職業野球の選手契約) 契約法大系W所収P109〜180
  (19) 税制調査会昭39.3 税制調査会関係資料集 税法整傭小委員会資料P148
  (20) 本章2節 板橋事件参照
  (21) 氏原正治郎 日本の労使関係P37
  (22) 野村好弘 放送出演契約の今後のあり方 ジュリストNo405 P46
     植林弘 ラジオ・テレビの出演契約 契約法大系Y所収 P130



                                     文責 佐々木利夫



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