給与所得の性格と課税上の問題点(16)
  

第二節 受領金員の課税関係

 1 パックペイに対する判例の考え方

 仮処分申請なり本訴なりにおいて労働者側が勝訴した場合、解雇から決定・判決までの賃金の支払を命じ、あるいは将来の支払までをも命ずる場合がある。これらは共に執行力があるから、労働者にとって金銭的な満足は一応受けられることになる。併し仮処分はあくまでも本訴に副うところのものであり、また判決といえども控訴、上訴の途が残されている以上終局的な解決とならない場合が多い。

 勿論、仮処分決定のみで使用者側が解雇の意思表示を撤回したり、また一審判決に従がった場合、更には控訴・上訴中でも和解した場合、このような解決後に職場復帰に伴い爾後的に発生する金員が給与所得であることは疑いない。
 問題となるのは決定・判決における過去の賃金支払命令額(いわゆるバックペィ)と、その決定・判決後最終解決までの期問中に支払らわれる金員の性質である。

 バックペイに対してそれが所得税法上の給与所得であるか否かについて直接論じた判決はないようである。ここでは課税面におけるバックペイの性質を考えるにあたって、判例が労働の対償又は賃金としての面からどのようなものとして把えているかをさぐり、給与所得との関連を追求する判断材料としたい。

 バックペイに対する判例は数多く存するが、主要なものを以下5例ほど掲げたい。

 (1) 「使用者の責に帰すべき事由によって解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得たときは、右の利益が副業的なものであって、解雇がなくても当然取得しうる等特段の事情のない限り、民法536条第2項但書に基づきこれを使用者に償還すべきものとするを相当とする。…(労基法26条が)使用者が労働者に平均賃金の六割以上の賃金を支払らわなければならないということは、右の決済手続を簡便ならしめるため償還利益の額を予め賃金額から控除しうることを前提として、その控除の限度を、特約なき限り平均賃金の四割まではなし得るが、それ以上は許されないとしたもの、と解するを相当とする。」(1)

 (2) 「不当労働行為について労働委員会が原状回復の一手段として使用者に命ずるいわゆる賃金遡及支払の金額は、当該不当労働行為によって労働者が事実上蒙った損失の額をもって限度とし、労働者が解雇期間内に他の職について得た収入は、私法上労働者においてこれを使用者に償還すべき義務を負っているかどうかにかかわらず、それが副業的なものであって解雇がなくとも当然取得できる等特段の事情がない限り、これを遡及賃金より控除すべきであって、所論のように、右の控除をすることなく、遡及賃金全額の支払を命ずべきものとすれば、救済命令は原状回復という本来の目的の範囲を逸脱し、使用者に対し懲罰を科することになって違法たるを免れない。」(2)

 (3) 「使用者に命ずるバックペイの金額は、当該不当労働行為によって労働者が事実上蒙った損失の額をもってその限度とすべきことは、申立人ら引用の最高裁判決(前掲(2)のこと。佐々木注)のとおりであって、…しかしながら、労働者が解雇期間中に他から得た収入のすべてをもって、常に解雇により当然取得すべき利得としてバックペイの金額から控除すべきものでない…幾何のバックペイをもって相当とするかについては、労働委員会において不当労働行為時から救済命令を発するまでの間の諸般の事情を考慮し具体的妥当の見地からこれを決定すべく、その裁量に委ねられているものと解するのが至当である」(3)

 (4) 「雇用契約において賃金と対価関係にあった労働力は、使用者の責に帰すべき事由による履行不能によって、雇用契約による拘束から脱し、賃金の対価たる意義を失うのである。したがって雇用契約による拘束を脱した労働力を如何に処分するかは労働者の自由の範囲内のことであり、他の使用者のもとでこれを利用して対価を得たからといって、もとの使用者に対し不当に利得したことにならないのである。また給付義務を免れた労働を他の使用者のもとで利用して得た対価は新たに創造された価値であって、もとの使用者に対する給付義務を免れた労働の変形物でないから…使用者に償還すべき合理的理由はない」(4)

 (5) 「解雇が無効であるにもかかわらず、これを有効であると信ずるにつき相当の理由かあり、かつこれを信ずるについて過失がないと認められる場合には、使用者の就労拒否はその責に帰すべからざるものとして、労働者は賃金請求権を有しない」(5)

 バックペイ自体を否定するのは(5)の事例で、あとはすべて支払を命じている。只、解雇期間中に他から得た収入について(1)(2)(3)は控除すべきであるとしている。この控除すべき金額が(1〉においてはバックペイの基礎となった平均賃金の40%を限度としているのに対し、それから僅か二ヶ月後に出された(2)にあっては労働者の受けた事実上の損害を限度とすると判示するのみでその限度を明示していない。更に(3)は、この(2)をそのまま踏襲しながらも、労働委員会の裁量に広く委ねている。従ってこの理論からゆくなら、労働者の受けるバックペイは零から解雇されなかったとしたら使用者が彼に支払らったであろう額との間で自由に決定されることになる。

 併しこれらにおけるバックペイを賃金と考えるなら、換言すれば雇用関係があり、労働者の労務提供の使用者における仮処分が就労拒否であったと考えるなら、このように控除すること自体が不自然である。労働者の義務は完全に果されているのであり、他に労働力を提供することが禁じられていない以上、就労拒否の故に家に閉じ込もっていることが義務づけられているとは考えられないし、又労働者は使用者の利益のために他へ職を求めた訳ではないからである。

 これは単に労働者は他から収入を得なければ生活してゆけないということや、他から収入を得たことが使用者の債務を減殺させて不当な利益を与えることになるというだけのみならず、パックペイを賃金であると考えるならば固有の賃金債権はすでに発生していると考えるべきであって、控除するという発想はでてこないというべきであろう。

 従ってこれらの判決のようにパックベイからの控除を認めるとするなら、バックペイそのものは賃金というよりは、むしろ(2)(3)に述べられているような「労働者が事実上蒙った損害」としての立場から考えてみる必要がある。更に(5)は、賃金としての疑問をもう少し具体的に示しているといえる。なぜなら労働者の就労請求があった以上、使用者が解雇を正当と信じ且信じたことに過失がなかったとしても、その労働力を就労拒否という形で処分した以上、賃金としての立場に立つなら労働者に賃金請求権がないという考え方は出てこない筈であろう。

 つまり労働者の委ねた労働力は使用者がどのように処分してもかまわない訳であり、その処分を放置したことについて過失があったか無かったかは本来賃金とは無関係な筈である。ここでは過失責任の考え方が背景にあり、これに対応するものとしてパックペイが考えられているとみてよいであろう。

 (4)の判決は最高裁と異なり控除不要説に立つもので、新しく出た考え方として注目されている。ここでの理論展開は単に労働者が完全に義務を果したが故の賃金請求権とするのではなしに、雇用契約による拘束から脱して、労働が賃金の対価たる意義を失うとしている点にある。判示がどのような意図で用いたかは必ずしも明らかでないが、使用者の就労拒否が雇用関係の拘束からの切断を示すとする考え方は興味深い。

 又、労働委員会でのことではあるけれども、「労働委員会は…今後の労使関係を考慮して、原職復帰のみを認めバックペイを認めなかったり(する)…なお労働委員方面から、原職復帰の救済命令を発しても実現困難なことが明らかな場合原職復帰を認めないでこれに代り三倍の損害賠償の支払を命ずる救済命令を発するとの提案がなされている」(6)ことは注目して良いであろう。ここでの前半における職場復帰を認めつつバックペイを認めないというのは、いかに今後の労使関係を考慮したとはいえバックペイを賃金と考えるなら疑問のある理論展開であり(和解ならとも角、労働委員会といえども賃金を強制的に放棄させることはできないと考える)、又後半の意見は労働委員からの提案であって具体的な事例としては起きていないと思われるが、バックペイが賃金であるとする見解に対立するものとみてよいであろう。

 このような原職復帰とバックベイとが常に一体をなしているとはいい難い現状、及び、判例も示す「労働者が事実上蒙った損害」や無過失無責任の考え方などを振かえってみると、解雇をめぐる争いには法律的な割り切り以前の人間臭さがうかがい知れる。

 つまり、両当事者が労働委員会の席上にしろ法廷にしろ「全か無か」の主張をすることはむしろ当然のことといえるが、実際問題として労働者が100%正しい場合や、使用者が100%正しい場合などは稀であって、その中間の微妙な点に位置しているとみてよい。これは終身雇用、年功序列の考えが労働者のみならず使用者にも浸透している以上、解雇はかなり慎重に行なわれているとみてよいからである。

 従って判決なり裁決なりがどちらかの全面勝利を宣言することは当然不合理な結果を生む訳であり、この点で原職復帰とバックベイを分けることができ、更にその各々についてもいろいろなバラエティを認めることができるなら、より合理的な結論を得ることができるといえる。併しこのことが逆にバックペイと賃金の間の疑問を生じさせる原因ともなっているといえるであろう。

 2 給与所得としての取扱とその矛盾

 現在バックペイに対して、課税上は各年分に対応する給与所得として取扱っている。この根拠には、第二章でも触れたように、賃金自体が労働の対価たる性質から切断されており、加えて労働者の就労請求に対して使用者がその受領を拒んだことは民法563条2項により、すでに債務を履行したことになるから賃金請求権を喪うことはないとするところにあり、更には決定・判決により従業員たる地位が仮にもせよ復活したことは過去の期間中も雇用関係にあったことを意味し、従って他の従業員となんら変るところかないとすることがあげられよう。加えて静岡地裁(7)が給与所得として源泉徴収税額の控除を認めたこと、及び理論的ではないが、労働者が賃金講求として訴求し、裁判所が賃金として支払を命じ、使用者もそれに従うといったパターンがこの考えをバックアップしているといえる。

 従ってバックペイはその期間に対応する各歴年の給与所得であり、係争中であっても受ける金員は給与所得であるとするのである。このように、被解雇者は確定判決又は和解により原職復帰した時、形式的にも実質的にも当初から解雇がなかったと同様な位置におかれることになり、他の解雇されなかった労働者となんら変らない立場を得ることになる。

 一方国税通則法15条2項二号は源泉徴収税額の成立時期を「支払の時」と定め、所得税法183条1項も給与所得に対する源象徴収義務を「その支払の際」としていることから、バックペイを各年分の給与所得として扱うことで源泉徴収税額の面でも他の労働者と不均衡はないことになり、たまたま遅延した未払給与の支払のごとき状態となる。

 併しパックペイが未払給与とその性質を異にしていることは明らかである。未払とは、すでにその発生の時に法律上の債務として存在していなければならないし、債権者側からは未収金、売掛金等として課税適状にある資産の形をとっているものである、だから課税庁は、その未払の状況を知り得るか否かの実務上の問題は別にして、少なくとも未払にかかわらず未収者に対して課税し、未払者に対してはその費用性を承認しなければならないのであり、遡及して未収・未払が発生したと考えること自体不自然ではないであろうか。バックペイを未払として考えるなら、仮処分決定があって始めてある数額が仮にもせよ算出されるのであり、課税庁が知り得るのもこの時が原理的に最初なのである。

 このように未払給与と考えることには疑問があるし、たとえそれが決定なり判決なりの一種の擬制であると考えるにしても、現行の取扱いには満足できない面が残っている。

 第一はそのような擬制が第三者にも及ぶかどうかの問題である。たとえば被解雇者が、この決定・判決を受けるまでの間無収入であったとして他の親族の扶養家族になっていたとする。その親族が被解雇者を扶養していることは事実であり、その時点で未収給与は算出されていないから扶養控除を受けることになんら不都合はない。数年後、決定・判決により、あたかもその扶養していた各年に収入があったと考えることが果たして妥当するであろうか。又、被解雇者に資産所得があった時、資産合算の適用を受ける場合があるが、それが決定・判決により解雇期間中も給与所得があったとされ、合算課税から遡及的に外されるのであろうか。更に公務員が免職処分中、他に勤務しつつ争っていたような場合、この勝訴判決免職期間中も公務員としての身分が事実上あったことを示し、国公法103条違反としての有責性はとも角、構成要件に該当するのであろうか。

 第二は除斥期間との関連である。国税通則法70条は3〜5年の除斥期間を定めている。このためバックペイの期間がこれを超える場合、前述した源泉徴奴税額の徴収は可能であるけれども、それ以外の全ての課税が不可能となる。たとえば他に合算すべき所得があったような場合等である。

 そもそも除斥期間とは「権利の上に眠る者を保護せず」の思想からきているものというべきであり、一定期間権利を行使しないことによる長期継続せる社会秩序の、維持、時間経過と共に困難となる証拠保全の救済、権利不行使者の権利放棄意思の推測などがその骨子となるものである。しかも、時効と異なって中断事由がなく、かつまた援用もいらぬまま確定する性質を与えられている。

 翻って考えてみるに、このバックペィの除斥期間満了に対する課税庁の権利行使は果して可能であったろうか。又権利行使のどのような手段があったといえるであろうか。結論をいうなら課税庁のいかなる努力もこの除斥期間満了に対しては無意味であり、その完成を阻止することは不可能である。権利の上に眠っていた訳でもなく、権利を放棄した訳でもなく、そもそも権利自体が存在しなかったにもかかわらず、権利行使の機会が一度も与えられないままに課税権が消滅してしまうということが法律上合理的といえるのであろうか。

 第三は和解による悉意性の問題である。和解は当事者が譲歩することが要件である(民法695条)から、その内容は任意に決定することができる。又、裁判上においても和解は可能であり、むしろ裁判所は訴訟中いつでも当時者に対して和解をすすめることができる(民訴法136条1項)し、紛争解決が当事者間でなされることは私的自治の面からみても望ましいところであるから、その内容も調書に記入されるだけで任意である。

 しかも和解調書は確定判決と同一の効果を有する(民訴法203条、但し既判力を有するか否かについては疑問視されている(8))から、それに伴う種々の問題がおきる。被解雇者の請求通りの内容であるときは前記第一、第二の問題と同じであるが、その任意性からくる別の問題がある。たとえば分割払など、課税庁ではその一部の金額が果して何年分のものであるかを特定できない以上、支払者が源泉徴収をしなかったとき徴収決定が極めて困難である。又、被解雇者が譲歩して10年分の請求に対して最初の5年分を受けることとし、その余の請求を放棄する形をとることもできるし、同じく10年分であっても半額で和解した結果前者と同じ金額になる場合もある。前者では源泉徴収のみしか徴収できないのに対し、後者ではそれ以外に除斥期間満了までのものについては新たな課税関係が生じることになる。

 第四は訴訟費用の問題である。訴訟費用の額は被解雇者の訴訟方法によりその多寡は様々であろうが、少なくとも当該決定・判決のために必要欠くべからざるものであることは疑いない。しかも弁護士報酬などは原則として訴訟費用に含まれないから(9)、相手方に請求することはできず、被解雇者の負担にならざるを得ない。この費用がいわゆる収入を得るためのものであることは明白であり、必要経費の性格を充分もつものであるにもかかわらず、第一章で触れた給与所得控除の中に含まれていると解することには難点がある。

 第五は仮処分の性格からくる問題である。従業員たる地位を定める仮処分は、解雇の合理性を疑うに足る疎明をもって足りる。併し賃金支払は地位保全と密接不離のものとは考えられていない。

 仮処分があらわれ始めた頃は、社会経済状勢が不安定で、賃金不払は労働者の生活を著しく脅かすものであったから、特別の事情のない限り賃金全額の支払を認める場合が多かった。併しその後、賃金の一部のみの支払を認めたもの、平均賃金の60%を限度とするもの、過去の賃金のみを認めるもの、将来の給付についても認めるものなど様々な形があらわれるようになる。賃金支払仮処分の必要性の具体的基準としては、現在生活に困窮していることが疎明される場合、生計費を親戚知人から借り入れて辛うじて生活を賄っている場合、従業員が賃金を唯一または主要な収入源としていた時、があげられる。但し、従業員に相当な資産のある時や、他に収入のあるとき、解雇後組合の専従者として組合から給料を受けている場合は認められていない(10)。

 このように賃金支払仮処分は地位保全仮処分とは別異な基準から発せられている。このことは仮処分給与を賃金として扱い、その原因を地位保全に伴う雇用関係の復活にあるとするなら、雇用関係の下の不就労を使用者の受領遅滞によるものとして、必然的に地位保全と一体に発せられなければならないであろう。併し現実には、地位保全と賃金とは切断されたものとして考えられているということができよう。

 第六は、第五とも関連するが労働者敗訴の場合の問題である。仮処分は一応本案訴訟と因果関係をもたないから、仮処分において賃金支払の決定を得ても、本訴において解雇は有効との判決を受ける場合もある。
 この場合支払らわれた金員は一応返還することとなるが、仮処分給与の支払命令が具体的な生活困窮を中心に考えられていることから事実上、返済されないままになることが多い。この場合の処理が現行の給与所得としての取扱にどのような影響を与えるのかも疑問である。そしてこのことは、例えば既往の賃金を受け取ることで、解雇を正当と労働者が認めて和解したような時にも同様な疑問が起ってくる。


                                     文責 佐々木利夫



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