私の子供の頃の公道のイメージは、夕張という石炭街で石炭や荷物などを運んでいる馬車の行き交う風景である。もちろんトラックやオート三輪車なども走っていたけれどそんなに多くはなく、公共交通機関は鉄道が主流で、それをバスが補充していた。
 だが、昭和30年代後半、二十歳を過ぎた頃からテレビが家庭に普及し始めるようになり、それと共にマイカーもそれなり身近なものになってきた。

 職員の中にもマイカーを持つ者が次第に増え始め、それは爆発的と言ってもいいほどあっという間に日本中に広まっていったのが実感であった。

 にもかかわらず私は、頑なと言ってもいいほどに運転免許をとろうとはしなかった。別に意地を張っていたわけではないと思っているのだが、誰も彼もが車を持つようになってくると、どこかでそうした流行というか皆がやっていることに流されてしまうような風潮に、どことなく抵抗を感じていたのかも知れない。

 別に特殊であることに特別な意味を持たせていたのではないと思うのだが、そうした傾向は運転免許に限らず芥川賞や直木賞の受賞作品は絶対一年以上経ってからでないと読まないとか、例えば仲間と昼飯を食いに行って一人が言い出した料理に他の人が追随しだすとどうしても逆らって違う食い物を注文してみたくなる、ゴルフはやる気が起きないなど、探してみるとけっこうあちこちに見つけることができる。

 もっともそればかりでなく、仕事場が国税局でどちらかと言うと税務署の運営などの企画立案に携わる職場で、いわゆる残業が常態化していたし必然的に土曜日も半ドン返上で仕事をすることが多かったなど有給休暇もなかなか取りにくかった。だからたとえ車を持ったとしても利用できるような環境になかったことも影響していたのかも知れない。

 東京での研修2年余なども含めて、そうした車をあんまり必要としない環境が13年も続いたある日、札幌から帯広への転勤を命ぜられた。中間管理職ではあるが、久し振りの一線と言うか現場での仕事であった。

 何と言っても現場である。基本的には残業など今までと比べるなら皆無と言っていいほどの環境である。しかも中間管理職としては部下に率先して定時退庁や有給休暇の取得に努めなければならない立場にある。
 それに加えて生まれて始めての単身赴任である。仕事のなんにもしなくていい時間が、突然山のように増えたのである。この時間を無駄遣いする手はない。新しい任地は私の管轄する地域でもある。任地を知るということは、やはり実地にその地域を知ることである。

 ところで当時の帯広税務署は一市十一町一村、管轄面積全国一を誇っていた(別稿「十勝はじめてですか」参照)。管轄面積が広いということはそれだけ田舎だということでもあるのだろうが、それでも全国一との事実はどこか誇らしいものがある。

 だが当時の私の行動能力は自分の足と自転車と公共交通機関だけである。帯広市は管内のほぼ真ん中に位置しているし、管内で一番大きな街だから他の地区へのバス網もしっかりとしているのでどこへでも行くことは可能である。
 それにしても全国一の管内は広い。時速10キロ足らずの自転車や場所によっては一日数本のバスしかないなど、簡単に行って帰ることなど不可能な地域も多い。かくして自力走行の手段の確保が必要だと厭でも知らされる。

 それで運転免許の取得を思いつく。年齢46歳。赴任1年目はバスや仲間の車への便乗などで過ごしたものの、2年目に入ってとても気楽に管内巡りをすることなど無理だと分かった。

 ところが昼間の会議や打ち合わせ、夜の懇親会などけっこう仕事上の付き合いも多く、自動車教習所に1ヶ月も2ヶ月も真面目に通うことなど事実上困難である。
 それにこれが一番の原因だったのだが、仮に時間のやりくりがついて教習所通いができたとしても、仮免許や本試験に一発で合格するかどうかは心もとない限りである。
 もちろん落ちることは必ずしも恥ずかしいことではないのだが、だからと言って自慢できるものでもない。しかもそのことで部下に冷やかされ酒の肴にされるというのもなんとなく癪である。

 色々研究した結果、原付バイクにはペーパーテストだけで実技試験のないことが分かった。しかも教習所通いもなく、自力で参考書に取り組むだけで何とかなるのである。
 この方法なら、仮に何回か落ちたとしても部下に冷やかされる恐れもないから、内緒で受験することができる。原付免許といえども立派な自力走行の運転免許である。これに決めた。
 書店で買った問題集が師である。ひたすらに知識を詰め込み暗記するしかない。試験は月に何度か実施されている。模擬テストで実力診断し、後は密かに有給休暇をとって試験場に臨むだけである。

 努力の甲斐あって、帯広2年目の5月にどうやら一発で合格することができた。手にした免許証は部下が持っているマイカーのそれと同じ形、同じ色であり、ちゃんと顔写真もついている。密かに試験を受けたのだから誰に合格を吹聴するでもない。だが、内心は有頂天である。

 バイク探しは試験勉強をしている時から始めていた。原付とは排気量50ccまでの原動機付自転車のことである。そうは言ってもスクーター型から買い物用の自転車もどきのものまでさまざまな種類がある。
 だが、別に250ccを超える大型のバイクであるとか中高年に人気の高いハーレーダビットソンなどを真似るつもりはない。しかし、これで風を切りともかくも十勝平野を駆け抜けようと言うのである。できれば本物のバイクに似たものがいい。

 探しているうちに一種類、ホンダのスーパーカブと言う名の車種が見つかった。なんと足で踏み込むシフトペダルの三段式変速機がついている本格仕様である。色は黒、少なくとも見かけ上はオートバイそのものである。しかも見つけたバイク屋には中古品があるというではないか。

 免許を手に入れたのは21日水曜日、同じ週の金曜日の夜にはガソリン満タンのバイクが配達されてきた。一階の各戸に割り当てられている物置に密かにしまい込む。ヘルメットも用意した。明日は土曜日だが、実は既に休暇をとってある。準備は万端整った。

 さて今夜は酒も飲まず早寝することにして、気持ちは既に遠足を明日に控えた小学生である。こうして翼を得た男はその翼で天翔る夢を見ることになるのである。

 「調子に乗るな」はいつの時代も自戒への警告になるはずだけれど、有頂天の耳にはなかなか届かない。男はその翼であまりにも太陽に近づき過ぎた。蝋で固められた鳥の羽根、イカロスの翼はやがて溶け出し、その報いとして男には間もなく免許停止と鎖骨骨折が待っていたのである。さてさてその話は後編で続けることにしようか(後編へリンク)。



                            2006.9.18    佐々木利夫


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