G テナーサックス

 パソコンに振り回されていてしばらく楽器から離れていたせいか、上達しないままのフルートが部屋の角に放置されているにもかかわらずまたぞろ新しい楽器に興味がわいてきた。フルートに挫折した原因の一つには、音の出し方、特にオクターブ高い音の発音が難しいこともあった。テナーサックスが欲しいと思う。音の出し方はフルートと違い「リード」と呼ぶ葦の切片を歌口に差し込んで震わせるものである。意味としてはハーモニカなどと似たようなものではないかと思ったのが運のつきで、欲しいと思う気持ちが先行してまっしぐらである。サックスはけっこう高価であるが、安いのを狙えば小遣いをしばらく溜め込んでおくなら買えないほどではない。それに何と言ってもテナーサックスの定番曲である「ハーレムノクターン」を吹きたいと思い込むと、「バスサックス」のように大型なものは別格としても、「テナー」のほかに「アルト」や「ソプラノ」など小振りのものがあるにもかかわらずテナーサックス一辺倒に頭が固まってしまう。ましてや同じような音の出し方をするクラリネットなどもまるで頭に入らなくなる。
 音が大きい(つまり騒音)、下手くそ(つまり聞くに堪えない)、練習する曲も同じ箇所で同じようにトチル(つまり聞いてる方が音ーメロディーについていけない)、さっぱり上達しない(つまり聞いていて飽きる)が来る日も来る日も繰り返される。聞かされる側はいい迷惑だろうが、なんたって楽器は大きいしそれをケースに納めると、そんなに簡単に河原や公園などに持ち運びできるようなものではない。結局は家庭の中で窓締め切っての練習にならざるを得ない。妻子がどんなにその騒音に耐えたであろうことは今となっては想像に難くないけれど、夢中になっている中年男の耳にそうした思いの届くはずもなかった。
 易しい編曲による「ハーレムノクターン」をどうやら吹けるようになって、サックスへの興味を男は急速に失っていった。職場の後輩にサックスの愛好家がいて、彼の友人が欲しがっているとの話を聞いてそっくり提供した。マウスと呼ぶ歌口も二つくらい持っていた。高価なマウスを使えば名演奏家になれるかも知れないとの思いは、結局錯覚でしかなかったのである。

 H ウインドシンセサイザー

 これを楽器と呼んでいいのだろうか。それともパソコンの外付け部品とでも呼ぶべきものなのだろうか。これは単独では音が出ないのだが、クラリネットと同じキー配列になっているまさにクラリネットと同じような大きさの一種の入力装置である。これをパソコンのMIDI端子(別稿「私の楽器遍歴(そのニ)F参照」に接続すると、吹く息の強さやキーの押し方によってなんと6オクターブもの音を出すことができるのである。しかも私は、先のFでも触れたように音源として数百の音色を持っている。パソコンの画面でその中から任意の楽器を選ぶと、このクラリネットまがいのマシンはたちどころにチェロに、オーボエに、パイプオルガンにへと自由に変貌してくれるのである。
 この楽器を手に入れたのは退職してからである。開いた税理士事務所はたった一人のワンルームである。CD音楽を少し高めにかけて廊下に出てみたが、どうやら音漏れの心配はなさそうである。ここでなら誰に気兼ねすることなく気ままに楽譜に向き合うことができるというものである。なにしろ楽器の選択はパソコン任せだし、音を出すのは歌口に普通に息を吹き込むだけである。楽器はストラップで首からぶら下げた。残る作業は音程及びオクターブを決めるキーの両手による操作のみである。音の強弱は吹く息の強さでコントロールできるし、ゆっくり吹けばゆっくりの演奏になる。
 たとえその音がマシンによる合成された音であろうとも、チェロもトランペットもトロンボーンもそれなりの響きと感動を私に与えてくれる。サンサーンスの「白鳥」はチェロで、シューマンの「トロイメライ」はヴィオラで、五輪真弓の「恋人よ」はトランペットで・・・、練習曲は少しずつ増えていく。増えていく曲をそのままマスターした曲だと位置づけるほど自惚れるつもりはないけれど、誰かに聞かせようなどとはまるで考えていない自己陶酔の世界だから、まさにこの事務所は一人天下の壷中である。
 そのうちに合奏するテクニックを覚えた。Fで触れたようにパソコンでは自在に作曲ができる。しかも6っの音を同時に出すことができる。発音の1番をこのウィンドシンセサイザーに割り当て、2番を例えばピアノの高音部、3番を低音部に割り当てて、2番・3番の楽譜を入力する。そしてそれを再生すると同時に、私が1番を演奏することで、単音の「トロイメライ」はなんとピアノ伴奏つきのヴィオラソナタに変身するのである。もちろん、ピアノ伴奏は私の演奏にかかわりなく勝手に進んで行くから、一音でも私がトチろうものなら演奏は滅茶苦茶になるし、数小節置いて途中から合奏を再会することもしばしばである。ただこれによって、自分勝手ではあるけれど、耳にする私の演奏(?)の奥行きというか巾は格段に広くなったと自画自賛しているのである。
 楽器本来とは違う方向だとは思うけれど、ウインドシンセは今でも私に付き合ってくれているのである。

 I その他

 このほかにも例えばオカリナ、例えばリコーダー、そして最も手近な楽器である自分の声(つまりカラオ・別稿「カラオケ、挑戦と挫折の軌跡」参照)なども含めて、様々な楽器が私を取り巻いていた。多分これ以上新しい楽器に手を伸ばすことなどないとは思うのだが、時折新聞広告に載っている楽器の通販記事を読みながら、ふとチェロだとか三味線などに心惹かれている自分を感じるのである。そう言えば擦弦楽器(バイオリンなどのように弦をこすって音を出す楽器)には縁がなかったなあ、チェロもそうだけれど胡弓も同じ仲間だよなー・・・、などと・・・。

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 はてさてこれだけの楽器遍歴を繰り返しながら、私にはどれ一つとして「ものになる」ものがなかった。ただ、これはまさに弁解であり、開き直りであり、正当化でもあることを承知の上ではあるけれど、何も歌手や演奏家としてプロデビューできなかったことが「ものにならなかった」ことではないと今では思える。下手のままではあったけれど、演奏することなどを通じて私の中に少しずつ音の世界が広がっていった。そしてそれは私の人生を形作っているジグソーパズルのピースとして、私自身を豊かにしていることを実感できるからである。

 ところで、最近居酒屋で一緒に飲んでいた70歳になる税理士仲間のポツンと呟いたこんな一言が、なんだが無性に気になって仕方がないのである。

  「俺、もうすぐテナーサックス始めようと思ってるんだ。ダニーボーイが吹きたくてな・・・。」


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                                     2009.4.23    佐々木利夫


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私の楽器遍歴
   (その三)