自分ではさほど音楽好きだとは思っていないのだが、クラシックを中心とした音楽への興味は私の人生にそれなりの彩りを与えてくれている。聴くことに関しては既に何度かここへ発表してきたところだが(別稿「回転しない音楽」、「1940年のファンタジア」、「ショスタゴヴィッチ第五番」、「あゝレコードプレーヤー」、「12月8日の鳥の歌」、「物忘れが始まった」参照)、必ずしもそれだけが音楽とのかかわりではなかった。

 聴くことと自らが演奏することとは必ずしも結びつくものではないとは思うけれど、私の場合はそれが下手の横好きの域を超えるものではなかったにしても、この歳になるまでけっこう様々な楽器と付き合いがあった。そうした楽器のほとんどが今では手元になく、単なる記憶だけになってしまっているものも多いけれど、その僅かな欠片を振り返ってみるのも私の人生の一ページでもあろうか。

 @ クラシックギター

 恐らくギターは多くの人にとって、いわゆる自分で触れる最初の楽器としての意味を持っているのではないだろうか。私の場合は高校を卒業して税務職員としての訓練を受けた札幌の研修施設でのことだった。寮生活で、同室になった4人のうちの一人が持ちこんできたものであった。手近とは言え楽器なのだからそれなり高価だったと思うけれど、触れたことすらなかった私にも親切に貸してくれたし、弾き方の手解きさえしてくれた。
 最初は調弦とドレミファくらいから始まったのだろうと思うのだが、残念ながらその当時の記憶はあまり残っていない。ただ、その当時ギターの人気曲だった(今でもそうだが)映画「禁じられた遊び」のテーマ曲を彼が器用に弾いていて、私もまるでついてはいけなかったものの追いつくべく練習をしていたことを思い出す。それから数十年、私はその間に何台のギターを自分のものとしたことだろう。
 古賀メロディーなどの流行歌も含めて何冊かの楽譜を頼りにけっこう頑張ったつもりなのだが、「禁じられた遊び」も含めて、きちんと弾けるようになった曲はいまだに一つもない。それでも今も事務所に一台、自宅に一台、時折遊びにくる孫がいたずらするくらいでほこりにまみれたままではあるけれど、ギターはひとり部屋の片隅にぽつねんとたたずんでいる。

 A 電動オルガン

 クラシックへ興味を持った動機については既に触れたところだが(上記「回転しない音楽」、「1940年のファンダジア」参照)、それが契機となったのだろうか突然ピアノが欲しくなった。まだ20歳前の月給6千数百円の独身である。欲しいと思ったところで、手に入るはずのないことはあまりにもはっきりしている。そんな時に何を血迷うたか最初の赴任先の夕張で手にしたボーナスをはたいてオルガンを買おうと思い立ったのである。
 私の知っているオルガンは、小学校の教室などにある足踏み式である。ただふいごのように足で踏んで風を送り音を出すのではなく、電動式のものが売られていた。これが私が手に入れた念願のピアノである。音の出し方も音色もピアノとはまるで違うけれど、白黒の鍵盤の配列はまさに「マイピアノ」である。せいぜい4〜5オクターブくらいの鍵盤数だったと思うし、大きさも重さもそれほどではない。それでも茶褐色の木製のオルガンは独身寮の個室に鎮座する私の最初の宝物になったのである。
 やがて数年を経て私は稚内へと転勤になった。背広一着に僅かの本、そして布団程度の荷物と一緒にこのオルガンは遥か北の果ての独身寮へと住いを変えたのである。どんな曲を練習していたのか、折から二十歳を過ぎて酒を覚え始めた身にとって、それほど熱心に取り組んだ記憶はない。それでもオルガンは二年後の次の転勤先苫小牧へも確実に運ばれていったのである。

 B 横笛

 横笛と言っても源氏物語や歌舞伎などに出てくるようなそんな器用なものではない。プラスティックで出来た安手の笛である。どうして興味を持ったのか分からないのだけれど、とにかく音が出ないことだけは記憶に残っている。例えばリコーダーなどは上手い下手は別にして、吹けばそれなりの音が出る。これはこれまで触ってきたオルガンもギターも同様である。だが横笛は吹くだけでは「スー、スー」と息が漏れるだけで音になってくれないのである。歌口に向けて半分外へ半分内側へみたいに微妙に調整しながらゆっくり息を吹きつけることでどうやら音らしいものが出てくるのである。
 こうした音の出し方は、後にチャレンジすることになった尺八やフルートと同じである。だが、目の前にある楽器たる横笛がウンともスンとも音を出してくれないのはなんとも癪である。数日か数十日か、努力の甲斐あってどうやら音は出るようになった。さてその笛で私はどんな曲を演奏したのだろうか。子供も小さかったことだし童謡みたいなものが多かっただろうとは思うのだが、その記憶も残念ながら残っていない。あの笛は一体どこへ消えてしまったのだろうか。

 C 尺八

 横笛が和楽器だからと言っても、それに触発されて尺八に手を出したというほど器用な動機があったとは思えない。恐らく尺八の持つ独特のかすれたような音にどこか魅力を感じたのだろうことと、職場の先輩が勤務時間後に仲間を集めて尺八教室みたいなものを開いていたことなどがあって興味を持ったのだろう。だが、和楽器店を覗いてみるがとても小遣いで手に入れられるような価格ではない。今のようにリサイクルショップが発達しているわけでもなく、とりあえず質流れ品でもと質屋を訪ねてみた。だが本物の尺八はいかに中古でもかなり高価である。とても趣味でいたずらできるような値段ではない。だが質屋の主人の言うには「ねりもの」と言って合成樹脂で作られた類似品があるというのである。
 これは新品でも安かった。だが安価であることと音が出る出ないは必ずしも結びつくものではないと思うのだが、横笛で訓練した程度の努力ではまるで歯が立たなかった。「スースー三年、首振り八年」だったろうか、尺八の演奏にはそれほどの長い時間の練習が必要であることを示した言葉だが、「めりはり」の語源が音の出し方の一つである「メリカリ」からきていることを知ったところで、それがそのまま演奏結果に結びつくものではない。五線譜の代りに「ロツレチハ」(西洋音階の7音階ドレミと同じような意味を持つ5音階の表記)で記譜した童謡なども含んでいる易しい教則本を手元に残したまま、楽器は今も書棚の奥に残されている。時折気まぐれに触れてみるが曲どころか音出しさえも覚束ないままである。


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                                     2009.4.18    佐々木利夫


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