こんなことを書いたら、それこそとんでもない奴だとほとんどの人から顰蹙を買うかも知れないけれど、自殺を巡る討論や論者の意見などを聞いていて、こんなことを考えてしまった。

 発端はNHKテレビの「地域発!ぐるっと日本」(7.19 10:05〜)であった。この日は自殺をめぐるレポートや対談などで構成されていた。けっこう長い番組だったから、その中の一部分を取り上げてあれこれ言い募るのは軽率の謗りたるを免れないかも知れないけれど、放送の中にこんな部分があった。

 自殺の原因をいくつかに分類していた。
 「健康問題」、「家庭不和」、「借金」、「職場の人間関係」・・・、他にもあったかも知れない。そうした要因から人は「うつ」へと移行し、やがて「つらい」、「自分なんていない方がいい」、「生きている目的がない」・・・などの思いが重なって自殺へ進むというのである。

 私はそうした経過の心理分析の解説や批判をここでしようとしているのではない。自殺についてはこれまでも何度かここへ書いたことがあるけれど(別稿「ひとつのいのち」、「死と自然死」、「増えていく『うつ』」など参照)、カウンセラーだの精神科医などは世の中に溢れるほどいるし、「うつ」に効くとされる薬の開発もまた目まぐるしいものがあるらしい。
 ただそれにもかかわらず日本だけで毎年3万人を超える自殺者が発生し続けていると言う現実は、やっぱりどこか変なような気がしてならない。

 もちろん最近の不況や、競争社会の激化、それに経済環境の変化などが追い討ちをかけているのかも知れないし、それより以前に例えば日本人そのものの哲学であるとか宗教観にまで踏み込んで考えていく必要があるのかも知れない。

 私はこの「うつと自殺」を取り上げたテレビ番組を見ていて、もっと簡単に自殺を減らせる手段があるのではないかと思ってしまったのである。
 それは先に掲げた、人がうつへ移行する要因とされているその多くが「お金」で解決できるのではないかと思えたからである。もちろん金ですべてが解決するとは思わない。だが少なくとも劇的に減少させることぐらいはできるのではないかと思ったのである。

 「健康問題」だって、不治の病に金銭は直接的には何の効果もないかも知れない。だが患者が抱く不安の多くは死へ向かうことの意味や、介護なども含めた医療に必要とされる費用の問題が影響しているのではないだろうか。望む限りの存分なカウンセリングや治療を受けることができ、それで心の平穏や健康を取り戻せることができるとすれば、恐らく多くの「うつ」は自殺にいたる前に雲散してしまうのではないだろうか。

 「家庭不和」にも不倫や性格不一致など様々な要因があることを否定はしない。だが「貧困」と呼ぶか「貧乏」と呼ぶかはともかく、「金がない」ことだって家庭崩壊の大きな理由、もしかしたら大半の原因になっているような気がする。

 「借金」、これはお金そのものである。たとえマチ金からの借金で暴力団からの取立てに怯え、逃げ隠れするような耐えられない生活があったとしても、その借金が全部消えてしまったならうつになったり自殺したりする背景は皆無になることだろう。

 「職場の人間関係」だってそうである。もちろん人間関係は複雑である。だがその背景には、ある人が職場にしがみつこうとしている現実があげられるのではないだろうか。今の地位を維持したい、もう少し上の役職につきたい、リストラ対象にはなりたくない・・・、色々な思いはあるだろうけれど、現在そして将来の自分の身分の保証や生活を維持することへの思いが、人間関係に対する問題を惹き起こしているのではないだろうか。好きな人と結婚することや、マイホームのローンを支払ったり家族で年に数回の旅行に行くなどの、安定しこれからもきちんと生活していけるだけの給料や退職金が保証されるなら、または宝くじにしろ親からの遺産にしろ安定した生活を支えるに十分な資産があるなら、そうした職場での悩みの多くはうたかたのごとく解決されるのではないだろうか。

 繰り返すけれど、金ですべてが解決するとは思わない。解決しない問題も多々あることだろう。だが、金で解決する問題は思ったより多いのではないだろうか。

 こんな意見は荒唐無稽だと言われるかも知れない。それはそうである。医療費を国がまるごと負担し、マチ金からの借金を国が棒引きを命ずるか肩代わりするようなことは、恐らく実現不可能だろう。それは特定の個人に対してだけ援助することは国の施策として認めてはいけないことだからである。国は国民のための組織であり、決して特定された個人の利益のためのものではないからである。

 警察庁の統計(平成17年)によれば、自殺の原因別内訳は次のような構成になっている。家庭問題(10%)、健康問題(40%)、経済・生活問題(31%)、勤務問題(6%)、男女問題(3%)。これを見ていると、その多くがお金の問題で片がつくような気がする。荒唐無稽は承知の上でもう一度言わせて貰えば、自殺者の半減など、あれこれ理屈をこねるよりは金で解決できるような気がしてならない。

 私がこうしたことを書いたのは、特定の利害や正論じみた意見を背景に、多くの「お金」の要求が政府や自治体に対してなされている現実があるからである。
 教育こそが日本を救う、防衛なくしてなんの日本の自立か、経済対策や貧困対策、医療や介護政策が充実してはじめて日本は世界に冠たる国になれる、この山村の峠に道路をつけることこそが災害時等の救急に必要な投資であり弱者救済になるなどなど、現代は日本中が「金寄こせ」の大合唱である。

 例えば今朝の新聞である(朝日、7.29 「私の視点」)。

 難民保護・政府は包括的な支援策示せ・多文化問題精神医学会理事長
 「(難民申請にも)、日本人と同等の社会保障など・・・政府の包括的な支援策(が必要)だ。それなくしては日本が国際化することも多文化共生社会に踏み出すことも絵空事であろう」

 研究医の不足・思い切った投資で育成策を・東大大学院医学部長
 「東大でも、・・・研究医の確保策をとり始めているが、個々の大学での試みには限界がある。国は危機感を共有して積極的に支援策を打ち出して欲しい。・・・年間40億円の投資をすれば、・・・毎年200人程度の研究医の育成が可能であるとの試算もある・・・。」


 そして福岡や山口で多数の死者が出たゲリラ豪雨による被災に対して、視察に向かった麻生総理大臣に対して、各自治体の長はこぞって特別な予算の要求を繰り返すのみである。復旧にも予防にも金しかからんでこない現実がある。

 私はこうした意見に反対と言うのではない。だが政府に支援を求めるとは国としての予算をつけるということであり、政府は税金を背景とした金を使うことにその役目を持っている。ならば、そうした金寄こせ運動の中に自殺企図者への救済を含めたところでそれほど無謀な意見とは言えまい。

 荒唐無稽な要求だとは十分理解しているけれど、もし仮に自殺企図者に対してふんだんに国からの金銭的な補助、もしくは必要とする限りの介助や治療などの支援が与えられるとしたら、間違いなく自殺者の数は劇的に減少することだろう。政府も自治体も「命の電話センター」などを設けて様々な対策を講じているものの、その効果は遅々として進まない。そのことは最近10年近くも自殺者が3万人を超えて横ばい状態にあること、しかも日本の自殺者割合は世界平均の2倍に近いことなどからも分かる。
 今年の1〜6月半年間の自殺者数は17,076人で、これまで最悪だった1903年の34,427人の半数に迫ろうとしていると報じられている(7.28 朝日新聞)。現下の不況とも相まってもしかしたら自殺者数はこれまでの最悪を更新するかも知れない。

 「自殺企図者にお金をばらまこう」は、実現不可能な施策でありまたやってはいけないことだと私自身も内心では思っている。ただあれこれの要求に八方美人を装って結局効果的な結果を得られないでいる現実が目の前にあからさまであること、そして今の日本が余りにも「金銭万能」の風潮にまみれていることから、「お金」とは一体何なのだろうか、お金の使い道とはなんなのかについてもう一度考え直す必要が出てきているのではないかとふと感じたのである。



                                     2009.7.29    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



自殺とお金