それほど熱心ではないけれど、科学、SFなどに連なる宇宙世界への話題にはそれなり興味がある(別稿「午前3時の輝き」、「星座を作る力」など参照)。そしてそうした宇宙を垣間見ることのできる天体ショウの一つに流星群がある。ペルセウス座流星群、しし座流星群、ふたご座流星群などなど・・・、これまで何度そうした情報に夢を膨らませたことだろうか。
 記憶しているだけでも30年以上も前に職場研修で一年を過ごした東京の寮の屋上や、夜中にもそもそ起きだして車で自宅近くにある手稲山の中腹で数時間を過ごしたことなどがすぐに思い出される。

 観測に適した高原に泊りがけで出かけるとか、テントを張って夜通し観測を続けるなどと言った準備を整えての挑戦でなかったことは否定できない。それでも住いの近くからであっても発生の日時や方角を調べるなど、それなり覚悟を決めた観測を心がけたはずである。にもかかわらず私には、「流星群を見た」と胸張って報告できるほどの成果は実は今まで一度も経験したことがなかった。その原因が全天厚い雲に覆われている日であるとか雨降りに観測したからではないにしても、中には雲のすき間から僅かに星が見える程度の場合もあったから、流星群が出現するであろう星域付近がこちらの望むような晴天の条件を満たしていなかったこともないではない。

 それにしても流れ星は矢張りロマンである。「願い事が叶う」ことなど信じているわけではないし、流れ星の生成原因だって常識の範囲ではあるが単なる物理現象であることくらい知らないではない。それでも不意打ちのように現われるたまさかの姿は、それがたとえ地球の大気圏内と言う身近な場所で発生した宇宙のゴミの燃える姿に過ぎないのだとしても、きらめきく星々の中の一瞬の光芒は、やはり「星が流れる」のであり天体ショーであり、まさに宇宙と重なるロマンを私たちに与えてくれる現象である。

 その流星群が今年も巡ってくるとのニュースがあった。「オリオン座流星群」である。太陽を回る彗星の尾の僅かな残骸が太陽を巡る地球の軌道に漂っていて、そうした残骸の中を地球が通り抜けるときにそのいくつかが大気圏に飛び込んでくる、それが流星群の正体である。だから毎年同じような時期に同じような方向から飛び込んでくるため発生時期の予測が可能であり、発生する位置も予測できることからその場所に星座名を重ねているのである。

 しかもオリオン座流星群の原因となっている宇宙の塵は約3000年前に通過したハレー彗星の名残りだと言うではないか。3000年前と言えば紀元前千年、西洋ではダビデ王やソロモン王の時代であり、日本では縄文から弥生時代への移行期でもある。そんな久遠とも言うべきはるか昔に通過したハレー彗星の名残りが今でも地球とともに太陽の周りを回っており、年に一度地球自身と交差するのである。これをロマンと呼ばずしてなんと呼んだらいいのだろうか・・・。

 そして更に国立天文台は「今年は条件が良く(10月18日が新月だったので月明かりがない)観測に最適。次に活生化するのは70年後」と言っているのである。だとすれば私にとっての最適は今年が最後のチャンだと言われているようなものではないか。

 だがそんな奇跡みたいな出会いが目前に迫っているにもかかわらず、天気予報によればこの期間、本州方面は晴れる可能性が高いものの北海道は曇りまたは雨で観測には不向きだと言われていた。どんなに努力したところで曇天や雨天に星空を観測することなど不可能だし、観測適地を目指して旅するほどの気力も持ち合わせていない。
 天候がすべてであることは、今年7月22日の悪石島(鹿児島県トカラ列島)での皆既日食観測の結果からでも分かる。島の人口を越えるほどの観測者が押し寄せたにもかかわらず、結局は大雨と大風で観測不能だったことは記憶に新しい。万が一の僥倖を頼みにして何日も徹夜するような熱心さは残念ながら今の私には欠けているので、夜中に起きて観測することなど最初から諦めていた。

 ところで流星群は皆既日食のように「何時何分から何分間」というように短い時間に限定されているわけではない。オリオン座流星群の今年の発生予想は10月19日の深夜から23日の未明にかけてだと言われていた。しかし今週の天候は毎日のように曇天と雨続きで、はなから期待薄の毎日だった。それでも一昨日(22日)の事務所からの帰り道は少し星が見えていたので「もしかしたら・・・」の期待はあったのだが、布団に入る頃には観測のために夜中に起きようとすることなどまるで忘れてしまっていた。

 ふと夜中に目が覚めた。枕もとのデジタル時計は真夜中の2時24分を青く浮かび上がらせている。夜中にトイレに起きることなど滅多にないことなのに尿意がこの時刻を知らせてくれた。起き上がって用を足すと同時に、この時間帯が流星群観測の最後のチャンスであることに気づいた。やや寝ぼけ眼ながらベランダに向い窓越しに夜空を眺める。

 このマンションに入居した頃は界隈に視界を遮るような建物はほとんどなかったのだが、ここ数年マンションがいくつも建ち、それにつれて近くに大きなショッピングモールなどもできて、6階の我が家から見える空もいささか狭くなってきている。それに連れてそうした建物や街灯などからの明かりも多くなってきて、星空の観測には必ずしも適さなくなってきている。それでも南に開けた窓からはいくつかの星を見ることができた。どうやら空は晴れているようである。

 流れ星はオリオン座の近くから放射状に発生する。オリオンは私の中では冬の星座である。12月、1月の厳寒期、午後7時少し前の帰り道をこの星座が背中から覆いかぶさるようにして昇ってくるからである。その姿は夏のさそり座(別稿「アンタレスの赤」参照)と並ぶ三ツ星を中心とした一番分かりやすい形の星座でもある。とは言え理屈からすれば夏のオリオン座は昼間昇っているから見えないだけに過ぎず、星座は年を通して規則正しく同じコースを回っているはずである。

 この季節の札幌におけるオリオン座の昇る時間帯や方向を確認しておかなかったのは残念だが、「深夜から未明にかけてオリオン座とふたご座の中間点辺りが放射点になる」というのだから、この時間帯に星座は見えていることが前提になっている。しかも常に定点として確認できる北極星を真北にして真冬のオリオンは南天の中ほどに見えているのだし、真冬には少し早い今の季節なら私の知る時刻よりも遅く昇ってくるはずだと見当をつける。だとすれば正確な位置はともかくベランダからの南天から同じように見えるはずだと、北極星の位置を想像しながら咄嗟に確信する。

 だが室内からベランダ越しには、上の階のベランダがひさしの役を果たしていて中天まで確認することはできず、オリオン星座の姿を見ることはできなかった。ならばベランダへ出るまでのことである。見事な姿である。ふたご座の形を私はきちんと知らないが、真南に近い地上45度くらいに三ツ星を抱くオリオン座はその勇姿をどっかととどめていた。この姿を見るためだけに起きてきたからなのかも知れないけれど、オリオンがこんなに大きな星座だったのかと息を飲む思いである。見る限り星が輝いている。恐らくは全天快晴である。

 10月23日午前2時半、北海道札幌市。吹きっ晒しのベランダは、風こそそんなに強くはないものの寝巻姿では寒さが一段と身に染む。一眠りした朝のニュースで知ったのだが、この日は二十四節季の「霜降」(そうこう、霜の下りる季節の意)であり、節季どおりに札幌における初霜の観測日でもあった。数分空をにらんでいたが星は流れない。ここまできたのだからどうしたって見るまで布団に入るわけにはいかない。寝床から毛布を引っ剥がしてベランダへ持ち込み首からすっぽりと体を覆う、これで良し・・・。

 流星の発生頻度は新聞などで一時間に50個くらいと知っていた。だから縦横無尽、雨あられと降り注ぐなどと思っていたわけではない。それでも心のどこかではかつて読んだことのあるジョン・ウインダム原作のSF小説「トリフィド時代」(真昼のように輝く緑色の流星群の光で人類のほとんどが失明し、地上を移動する三本足の怪奇植物が跋扈する)のように、「休む間もなく降り注ぐ」みたいな期待は持っていたのかも知れない。それでも一時間50個というのは1分に1個弱なのだから、ゆっくりではあるにしてもある程度続けざまに見えていいはずである。だが待てど暮らせど星はなかなか流れてくれない。何と言っても範囲が示されているだけだから一箇所を見据えるわけにもいかず、目を凝らすべき視点が定まらないのはいささか心もとないものがある。

 三ツ星の斜めに並んだ直線方向の左下遠くで青白く瞬いているのは大犬座のシリウスだろうか。・・・と、オリオン座の右の隅を掠めるように左下に向かって一つ流れる。見えたと思う間もないほどの一瞬である。それがオリオン座流星群に属するのかどうか私には分からないけれど、ともかく見えたのである。
 すわこそと身構える私に二つ目はなかなか姿を現さない。明るい流星もあるが暗いのもあると聞いた。街灯や近隣マンションからの明かりが邪魔しているのかも知れない。毛布を口許まで引き上げ回りからの光線をなるべく遮るようにして夜空に目を凝らす。10分ほど経っただろうか三ツ星の少し上を右から左へと真横に流れた。二つ目だ。寒さは足元からだんだんと忍び寄ってくる。二つ見たんだからもういいか、と思わないではないがどこか未練は捨てきれない。「あとゆっくり100数えてから寝よう」と数え始める。見えない。「もう一回数えてから寝よう」。更にもう一回数える、来た・・・。三つ目である。オリオンの左上から地上に向かってキラリと走る。

 私のオリオン座流星群観測日誌はこれで終わりである。夜風に長く晒していた毛布は、布団に入ってもなかなか暖まらない。枕もとの時計は2時57分を指しているから、ベランダ滞在33分間の観測であった。少し本を読みながら体を温めているうちに目覚めたのは6時を過ぎていた。

 「1時間に20個ほど流れたが、暗い流星が多く、写すのが難しかった」と語ったのは、10月22日の午前3時半頃から夜明けまで、富士山を背景にこの流星を撮影していた写真家真鍋秀敏氏の言葉である(10.24、朝日新聞)。22日と23日が同じ条件だったとは言えないだろうけれど、撮影に適していると狙って準備し夜を徹した彼にして一時間20個ほどの成果である。
 だとすればたまたまトイレに起きたことをきっかけにして、しかも自宅のベランダからと言う横着な観測による結果が、30分で僅か3個だったとしてもそれほど悔やむことではないのかも知れないと、今朝の新聞記事に私はひとり納得したのである。その成果を「群」と呼ぶにはいささかの気恥ずかしさを伴うけれど、「2009年秋、私は確かにオリオン座流星群を見た」のである。そしてそれは疑いもなく3000年前の名残りの姿でもあったのである。



                                     2009.10.24    佐々木利夫


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たった3個の流星群