久し振りにショパンを聞いている。ひとりの事務所にもいつの間にかテレビが侵入してきて、特に見るでもない番組にスイッチが入ったままの時間が多くなってきている。とは言え、時にMDやCDをバックミュージックにうつらうつらするのも悪いものではない。

 私のクラシック好きに関してはこれまでも幾度か発表してきたけれど(別稿「私の楽器遍歴」参照)、最近はオーケストラ曲よりは弦楽四重奏やピアノ小品集などの室内楽や独奏曲を聴く機会が多くなってきている。それを年齢と共に好みが変化しているせいだなどと言ってしまえばもっともらしく聞こえるけれど、どうやら交響曲やオペラなどと言った重い作品に、真正面から向き合うだけの気持ちと言うかゆとりが加齢と共に欠けてきているのが本音のようである。

 ショパンにはポロネーズと名づけられたピアノソナタが10数曲ある。それらは祖国ポーランドの栄光や愛国心など二つの大きなテーマに分けられると言われているが、残念ながら私の耳はそこまで聞き分けられるような能力には達していないようである。それでもショパンの生まれた時代のポーランドなどに思いを馳せるなら、作曲者が抱いたであろう祖国に対する気持ちを多少は作品に重ねることができるようになってくる。

 ポロネーズとはポーランド風舞曲と言う意味の通称みたいなものだから、特にショパンの作品に限るものではない。もっともかく言う私にだってポーランドがどこにあってどんな国かなんてことすら、例えば「ショパンが生まれた国」だとか「ナチスドイツやロシアなどの迫害を受けた国」などくらいの意味でかろうじて分かっている程度で、ほとんど理解していないままに過ごしてきているのが現状である。

 ロシア領と言われたところで、私なんかのイメージでは北方領土や樺太・シベリアなどと言った日本に近い地域はすぐに浮かんでくるものの、改めて地図で確かめてみると首都モスクワは遥か西の果てヨーロッパに近く、フランスやドイツなどが目の前にあることなどに改めてその広大さを思い知らされる程度の乏しい知識でしかない。
 さてそのモスクワの目の前のロシア国境西端に隣接して、バルト海に面していわゆるバルト三国(エストニア、ラトビア、リトニア)があり、その南側にベラルーシ、ウクライナなどがロシアと国境を画している。それらの国々を隔てた西の隣国がポーランドであり、そのまま西へと視線を移すならドイツ、フランス、スペインへと続いていく。そしてポーランドの南にはチェコそしてスロバキアが接しているのである。

 ショパンが生まれたのは、生誕200年を記念する演奏会などが今年あちこちで開催されたことからも分かるように1810年である。つまりショパンは今から200年も前の人物だと言うことである。それにもかかわらず私にはポーランドと言う国の立場や歴史を、取囲んでいる国名を知るだけで想像することができる。つまりボーランドは戦乱と切り離せない国であったドイツやロシアとのはざまに位置しているのであり、それはそのまま現在のEU経済圏の拡大、そしてソ連勢力との軋轢の地域であることとも無関係ではないことに思い至るからである。

 もちろん現代の軋轢は必ずしも領土拡張と言ったあからさまな侵攻や侵略の形はとっていない。しかしながらアメリカ・イギリス的な西欧化の波とソ連共産圏の勢力拡大の思惑との対立は、現在でもエネルギーや国防などの名を借りて依然として続いており、その接点にバルト三国やポーランドなどが位置していることはこの地域がこれまでの歴史の中で幾度となく戦乱を繰り返してきたことと無関係ではないと気づかされるからである。

 ショパンはサロン風な作曲家として知られており、その作品はピアノの詩人とも呼ばれるにふさわしく穏やかで静かな作風が特徴でもある。
 だがポーランドは隣国やロシアなどからの侵略によって何度も世界地図から消えた歴史を持つのである。ショパンは1830年、20歳でボーランドを離れて隣国ドイツのウイーンへと旅立つ。それは音楽を学ぶためではあったけれど、その間に故国では圧政下にあったロシアに対する反乱や独立革命が絶え間なく続き、しかもそうした動きはことごとくが失敗に終っていた。

 ポーランドの首都ワルシャワの陥落は、1939年第二次世界大戦下のドイツ侵攻によるものが有名だけれど、ショパン21歳つまり1831年にも同化政策を目的としたロシアの侵攻によってワルシャワは陥落しているのである。ショパンはその陥落をウイーンを出てパリへと向かう途中に知ったという。

 ショパンのポロネーズには「英雄」のほかに「軍隊」と名づけられた作品もある。ワルシャワ陥落に直接触発されて作曲したのは「軍隊」のほうだと言われているが、どちらの曲を聞いてもそこに流れているのはショパンの「祖国」に対するひたむきな思いである。

 私たちの住む日本が、少なくとも私たちにとって「祖国」であることに違いはないだろう。だが私たちはどこまでこの国を「祖国」だと感じているだろうか。日本という国が、たとえ元寇と呼ばれたモンゴルからの侵攻があり、近くでは65年前の沖縄戦や東京大空襲、そして原爆投下などアメリカからの侵攻があったにしても、先に書いたようなポーランド周辺国や更に古くはローマ帝国やトルコなどを巡る歴史を待つまでもなく、海と言う天然の要塞に囲まれた平穏な国であったことは事実である。少なくとも日本人は国内における戦争を体験したことはなかった。だから日本には、もちろん厳密な意味ではないけれどヨーロッパの国々やそこに住む国民が理解しているような「祖国」を形成する意味での国境はなく、日本国民にも祖国意識が育つことなどなかったような気がする(別稿「祖国」参照)。

 だとすれば私自身にもそうした切羽詰った祖国意識は欠如しているのかも知れない。私が仮に英雄ポロネーズの中にショパンが抱いたであろう「祖国」を感じたとしても、それは甘ったるい一種の感傷でしかないのかも知れない。たとえ私がシベリウス作曲の「交響詩フィンランディア」に涙するほどの感動を覚えたとしても、当時自治権を掌握していたロシアが民族意識を高揚するとしてこの曲の演奏を禁止したほどの感動をフィンランド人に与えたとするその感動を、一枚のCDやラジオのスピーカーなどから味わうことなど到底できないのかも知れない。

 「祖国」のイメージは、もしかしたら「領土を失うほどの侵略を伴った戦争」を抜きにしては考えられないのだろうか。自らが守り抜いた結果としての「領土としての我が祖国」の存在は戦ったことの結果であり、つまるところ銃や大砲や原爆に連なってこその民族意識の醸成になるのだろうか。

 間もなく原爆投下、そして敗戦から65回目の8月15日がくる。それは戦争を知らないまま65歳を迎えた人が存在していることの証でもある。祖国と戦争をどう結び付けていけばいいのか私には答が出せないでいるけれど、日本の今の若者に祖国意識が薄れていっていることは事実のようである(別稿「戦争と若者」参照)。
 もちろん僅かにしろ戦争を知っている私にしてみたところで、口惜しいけれど戦後の空腹やせいぜいがショパンの中に「祖国」のイメージをかすかに感ずるような、そんな甘っちょろいものでしかないのではあるけれど・・・。

 聴いてるCDは、ウラジミール・アシュケナージのピアノである。たかだか6分少々の英雄ポロネーズだけれど、祖国を知ることのなかった日本人には作ることなどできなかった曲なのかも知れない。一曲リピートをマシンに命じ、少し音量を下げ目を閉じしばしショパンの世界に浸ることにでもしようか。



                                     2010.7.28    佐々木利夫


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