つい最近エッセイと写真とを組み合わせた「女人・石の仏」(長谷川聡子・青娥書房)を読む機会があり、その中に私が40年近く前に訪れたのと同じ石仏が載っていて、図らずも再会に恵まれた。再会はその一枚だけだったが、その写真集を眺めながらふと私もかつては石仏を訪ねて東京界隈をカメラ片手にうろうろしたことがあったことを思い出した。

 タイトル横に掲げた写真が再会した石仏(私自身が撮影したモノクロ写真で、B5に拡大して額に入れ今でも事務所に飾ってある)である。著者の紹介によるとこの石像は「マリア観音」と名づけられていた。だが私にはこの像の傍らに記されていた慈母観音の名称の記憶しかない。江戸時代の商人から寄進されたものらしいが、マリア観音という名前からするなら隠れキリシタンによる信仰対象のように聞こえる。ただそうだとするなら仏像の所在は埼玉県秩父の金昌寺であり、九州天草などのそれらしき場所でないのが少し気になる。もっとも私のキリシタン弾圧に関する知識は皆無に近い上に弾圧は全国に広がっていたのだから、この地方にも隠れキリシタンが存在していたとしてもそれほど変ではないのかも知れない。

 ともあれ石仏を訪ねてあちこちさまよった話なんぞを書こうとすると、いかにも私が仏教を信じているかのように聞こえるかも知れないが、残念なことに私は無神論のつもりでいる。これまでここには例えば聖書、例えば神話、例えば信仰や祈りや儀式など宗教に関係した様々な思いをいくつも発表してきている。だがそれらは単に興味の対象としての宗教もどきの意見であって、どれ一つとして「信じている」こととは無関係であると思っている。だから無神論というよりはむしろ無関心と言ったほうがより正確なのかも知れない。
 だからと言って昨今の葬式仏教や神主のお祓いの姿などを見ていると、あまりにも形骸化した儀式にはいささか否定的にはなってしまう。とは言っても宗教そのものの様々について頭から毛嫌いするようなことは決してなかったと思う。石仏についてもそんな無神論者の興味の一つである。

 私が石仏に対して僅かでも興味を抱いたのは、30歳を過ぎて職場内部の試験を受けて東京で約1年間の研修を受ける機会に恵まれた(別稿「大阪弁とわたし」参照)ことがきっかけになっているような気がしている。妻と幼い子ども二人を札幌に残しての32歳であった。独身の頃から多少カメラに凝っていた私は、この機会に東京を撮ってみようと思い立ち、どうせなら東京に残っている江戸を見つけたいものだと思いながらカメラを持ち歩いていた記憶がある。

 単純に江戸を探すと言っても、始めて東京へ出てきた歴史の知識など皆無に近いお上りさんである。簡単に100年、200年前の江戸の面影など探しようもなかった。最初に気づいたのはいわゆる「坂」であった。新宿若松町に研修のための寮と校舎があり、そこから地下鉄東西線「早稲田駅」を利用してあちこち巡り歩くことが多かった。その駅へ向う途中に「夏目坂」という標識を見つけ、それが夏目漱石ゆかりの坂だとの解説に出会ったのが、どことなく現実とは違う世界を感じた最初だったような気がしている。そんなこんなで江戸を探して東京23区をどこでもいいから一箇所ずつとりあえず一年かけて歩こうと思いついた。考えてみれば夏目漱石は明治から大正初期にかけてのいわゆる明治の文豪であり、江戸とは必ずしも結びつくものではない。その辺の錯覚については、東京なんぞほとんど知らないお上りさんの身勝手な思い込みとしてご容赦願おう。

 さて「坂」まではなんとかたどり着いたが、石仏はまだである。この寮から利用できる最短の地下鉄は夏目坂を下った早稲田駅だったが、バスも多方面につながっていた。一番多いのはもちろん新宿駅西口行きだったし、休日には電気街秋葉原行きバスも使うことが多かった。ただそうした身近なバス停からの路線の中に「中野哲学堂・下田橋」行きというのがあった。もちろん東京にはド素人の私だから、その行き先がどの辺であり、どんな名所旧跡があるのかなんてことはまるで知らない。それでも「哲学堂」の文字がどうにも気になった。これでも高校生時代は青臭い哲学青年の振りをしていた思い出があったからである。何も分からないくせに、「分からないことが哲学だ」みたいな理屈を勝手に我が身に被せていた、どこか幼稚で愛らしい過去が私にもあったからである。

 その「哲学」の文字がついた場所がバスの目的地にあるのである。しかも「堂」とついているからには、なにかの建物がそこにあるような気がする。当時の東京のバスは均一料金制だったような気がしている。ある日私は「行けるのだったら、元の乗車場所(つまり寮の近く)へ戻る反対ルートのバスもあるはずだ」を胸に、流浪のバス乗客になったのである。下車して哲学堂はすぐに見つかった。比較的こじんまりした公園だった。そしてそこで「鬼灯」に出会ったのである(別稿「鬼灯・東京でのある日曜日」参照)。それは鬼の姿をした高さ40〜50センチほどの石像で、頭部に灯火を載せるようになっていた。もしかしたら標識には「鬼灯篭」と書いてあったのかも知れないけれど、私の頭の中では「鬼灯」として残っている。その表情というかスタイルが、その傍らの添えられていた「鬼にも良心の灯がともる」の一文とともになぜか心に沁みたのである。それが私の石仏への興味の始まりだったような気がしている。

 ここでも私は夏目漱石と江戸を結びつけたように、「単なる石像」を勝手に「石仏」にしてしまう錯覚に陥っている。石仏と言うからには基本的には石で作られた釈迦如来であるとかなんとか如来、なんとか菩薩などの仏像を指すのが常識であろう。場合によっては一歩譲って、仏になるために修行している地蔵さんや羅漢さんを含める程度なら、まだ許されていいかも知れない。しかしどう考えても鬼を仏と一緒くたにしてしまうのは、いささかかけ離れ過ぎているような気がする。まあ、言ってみれば石仏ではなく、単なる昔の石像に心惹かれたと言うべきなのかも知れないけれど、ともあれ私の頭は石仏というキーワードで溢れ、石で彫られた地蔵さんの類に魅せられることになったのである。

 話はまたまた飛んでしまうが、私の東京での研修は32歳と時とそれから1年置いた34歳の時の2回あった。最初は本科と呼ばれ研修所で講義やゼミ方式で一年間学ぶものであり、もう一つは聴講生として国立の大学へ通って単位をとるとともに、税に関する論文を一本仕上げる研究科と呼ばれる1年3ヶ月の研修である(別稿「私のくぐった赤門」参照)。ともに40年近くも前のことであり、どの研修のときにどこへ行ったかはだいぶ記憶から薄れてしまっているが、この隣接した通算2年の東京生活であちこちの石仏に会うべく出かけることになったのである。

 そんな中からいくつかを紹介してみよう。調布市の深大寺では小さな地蔵像のほかにキリシタン灯篭が気になったし、近くの祇園寺ではほぼ等身大の石人が目を惹いた。日野市の高幡不動にも沢山の石仏を見ることができたし、日野市の平山近くの道端にも朽ちかけた石像がひっそりと佇んでいた。都内でもあちこちに石像は見ることができる。文京区本駒込の富士神社や天祖神社、田端不動尊や大久寺などにも見る人も少なく目鼻も定かでない石像があった。中には赤い紙切れがべたべたと貼られた田端の東覚寺の赤紙仁王、縄でぐるぐる巻きにされた地蔵さん(葛飾区、南蔵院、しばられ地蔵)や参拝者がふり掛けた塩で全身が真っ白になっている地蔵もあった(足立区、西新井大師、塩かけ地蔵)。本郷の南谷字、徳生寺、潮泉寺、駒込の吉祥寺などなど、暇に任せて私は石像探しをしていたような気がする。

 先に書いた慈母観音を見た秩父では金昌寺のほか、波久礼(はぐれ)の少林禅寺にも足を延ばした。近くの円良田湖(つぶらたこ)へ向う小道では多くの小さな羅漢像が木漏れ日にひっそりと語りかけてきた。更に私は千葉県にも足を運んだ。館山の那古寺や崖の観音、鋸南町の日本寺は五百羅漢の宝庫であった。そして埼玉県川越市の川越大師喜多院の境内を埋め尽くす五百羅漢像は、その一つ一つの表情がまるで生きて微笑んでいるように思え、まさに圧巻の思いがした。

 こうして石仏を訪ねて歩いていくと、日本人にもかつてはきっと信仰する心が深くあったのだということが分かってくる。そうした信ずる心を、私たちはいつの間にか忘れてしまっているように思えてならない。私たちは、ボタン一つで世界中とつながるという便利さを得た。原子力発電は、無尽蔵ともいえるエネルギーを生みだし、そのエネルギーを湯水のように使うことが文明であり文化であり豊かさなのだと思ってきた。そして一方において信仰は宗教という名の下に家内安全・商売繁盛のご利益を与える企業として形骸化していったように思える。

 私は無神論者、無関心論者だと冒頭に書いた。そのことに偽りはないつもりだが、私のエッセイの中には時々祈りや信仰が出てきてしまう。外国人に日本人が「私は神を信じていない」と言うと、奇妙な顔をされるという話を聞いたことがある。どこかで私たちは「信じる」というひたむきな思いを、置いてけぼりにしてしまったのかも知れない。

 ともあれ、昔のアルバムを引っ張り出して石仏の写真を眺めてみた。なんとネガフィルムもまだ保存してあった。写真やフィルムをデジタル化する手段はパソコンなどで簡単にできる。100枚を超える枚数だが、そのうち暇になったらこのホームページの「気まぐれ写真館」にでも発表しようかと密かに考えた。いつのことになるか、今のところ見当もつかないけれど・・・。


                                     2012.9.7     佐々木利夫


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