(1)からの続き

 昭和46(1971年4月26日(月)  那覇到着

 4時半頃目が覚める。窓はまだ真っ暗。もう一眠り。6時半、何となく薄明るいが、この時間にしては暗すぎる。デッキへ出てみる。雨だ。霧のような細い雨、やれやれ沖縄第一目は雨のようだ。向かい風のせいか風も強く肌寒い。7時半〜8時半、奄美大島・徳之島あたりを通っているのだろうが何も見えない。波は穏やかだが、雨の船旅は気が滅入る。琉球放送が入ってくる。那覇はにわか雨で今は降っていないが天気下り坂と告げている。船のせいだろうか、半そででも嘘寒さが忍び寄ってくる。12時〜12時半にかけて伊平屋島、伊是名島が見えてくる。雨はすっかり上がったようだが曇り空で雲が厚い。那覇まで2時間ちょっと・・・。左側に遠く沖縄本島が眺められる。船旅48時間、遠くへ来た感じがする。ここで船の食事を紹介しよう。一等と特一等は同じだが、2等と特2等は全食弁当である。

                朝                 昼                夕
 24日            −              幕の内弁当         刺身・鮭切り身他
 25日   海苔、卵、鮭切り身、大根オロシ    エビフライ、ハム     パン2枚、ステーキ、サラダ
 26日      サンドイッチ、コーヒー         うな丼                 −

 ご飯は盛りきりがちょっと淋しいが、専用食堂での雰囲気はまた格別である。
 同室の人物紹介をしよう。
 小山氏。32歳くらいだろうか、小柄で背の低い浅黒い人物。観光で一週間程度の旅だそうだ。電気の照明関係の会社に勤めているらしい。以前は浅草の帝劇の照明をやっていたことがあるとの話で、倍賞美津子と並んだ写真を見せてくれる。
 伊藤氏。22〜23歳の若い好青年。純粋の東京っ子とのこと。東京の会社勤務で、同じ職場の女性と5月に結婚するという。その彼女がコザから来た人で、結婚準備のために沖縄に帰ったのでこれから迎えにいくところである。皆から冷やかされて赤くなっている。
 中宮氏。25歳くらいの背の高い人だ。170センチ以上あるだろう。大学生かとも思ったがそうではもなく、公務員らしい。無口な人物で当たらず触らずの話しかしなかった。

 降り止んだ雨だったが、また霧のように降り出し、ほとんど何も見えない。2時少し前、伊江島通過(雨で見えず)、続いて水納島(ミンナジマ、無人島)の傍を通る。本島側は本部付近。2時半、皆なんとなくそわそわしだしたが、入港は3時半か4時ころになるようだ。3時過ぎいよいよ那覇港が見え始め、3時半右手に空港や基地が見えてくる。税関の船が着いて検査官をおろす。船はほとんどエンジンを止め、ゆっくり湾内へ。4時頃から入国手続きを食堂で日本人と米軍人らしい2名の前で受ける。更に船室に戻り、聴取だけであったが税関の荷物検査を受け証紙をべたべた荷物に貼られて手続き完了。4時半頃下船する。下船すると、船は冷房が効いていたものか、ものすごく暑く雨上がりの蒸し暑さも加わってどっと汗が噴出してくる。あわててジャンパーを脱ぐ。

 そのまま琉球観光へ行って旅館の手配。ホテル・レインポーを頼む。ホテルは琉球立法院の目の前で、車が少しうるさいけれどいい所だ。部屋はツインでバス・トイレ付き。一人旅にはもったいないが、ペッドが二つ並んでいるのはちょっとわびしい感じがする。ぼやぼやしているうちに5時半、バック一つで街へ出る。ものすごく暑い。暑さよりも湿度が高いという感じで、歩いているとそうでもないが止まると汗がどっと噴出してくる。風も全然ない。香港飯店で夕食。ウェイトレス同志の話は沖縄語らしく、何の話をしているかぜんぜん見当がつかない。喫茶ドレミでコーヒー、夕闇が迫ってきたので国際通り三越の近くから平和通りへ、更に新栄通りへ抜ける。開南あたりから方向がよく分からなくなる。沖縄は住宅の隙間に道があると言われるほど、小路が入り組んでいるので迷ったらしい。国際通りへ戻ろうと見当つけて進んだが、ぜんぜん違う方向へ向っていたらしく、市民会館、主首公邸、与儀公園あたりの与儀町をぐるりと一回りしたらしい。

 近くのスナックに飛び込んで聞いてみたら丸っきり見当違いの方へ歩いていた。ビール小50セントを払って道を教えてもらい出る。9時半、やっと国際通り三越へ出る。1時間ばかり歩いていたらしい。場所も方角も分からない中を歩いていたが、あちこちから琉球民謡が聞こえてくる。結婚式の会場からの合唱、旅館の中や料亭らしい場所からの蛇皮線と艶のある声、赤い蛍光灯のくすんだ居酒屋からの男の胴間声、バーからのミュージックボックス、タクシーの中からも聞こえるところをみるとラジオ放送もしているらしい。不思議な島だ。民謡が生活に密着し、生活の中に溶け込んでいる。それに何の不自然さもない。民謡の不毛地帯の北海道から来て、つくづく遠くに来たるものかわ・・・、の感が深い。

 それほど遅い時間でもないのに、与儀にはそこここの小路にポツンと立っている女性がいる。車が通るたびにライトの中にポツンと浮いている。そういえば沖縄には売春防止法がなかったな・・・と改めて気がつく。小路の中にひっそりとライトに浮かぶ人待ち顔の女、夜の闇では顔も歳も定かではないが、白いスーツが多くそのポツネンとした様はまた侘しい。国際通り三越の前から桜坂へ、狭い路地が続きそれに横道が交差している。戸口戸口に女が2〜3人たむろしていて、しきりにスナックへと呼び込む。何となく慣れないせいか入りずらく、何件か通り過ぎ、とある1件のバーへ。女の子が3人いて、ジュークボックスがある。ジョニ赤の水割り1杯とストレートW2杯飲んで2ドル10セント、ボックス料も指名料もサービス料も不要ならば通しの料金もいらない。それにジョニ赤でこの値段、まったく信じられないほどだ。

 ここ沖縄の飲食店は酒の料金以外はほとんどかからない。どの店にもジュークボックスがあってそれほど目新しいものはない。女性も割りとおとなしい。もっともそれは僕がヤマトンチューのせいかも知れないが・・・。大体の料金はブラックラベルで1ドル、ホワイトホース60〜70セントといったところ。ナポレオンも2.50〜3ドル程度で飲める。ショーが入っているところはショー代として3〜5ドルぐらいかかるが、税金もサービス料も必要ないから安心して飲める。ビールはオリオンビールで大ビン1ドル、キリンビールが入っているが、他の本土のビールはない。飲むときは、もっぱらホステスにはビール預けて僕は滅多に飲めない舶来洋酒ばかり・・・。

 10時半頃になったので何となくの疲れもあってホテルへ戻る。ボーイに明日の夕7時から、料亭松の下での食事と琉球舞踊の予約を頼む。7ドル。入浴、靴下の洗濯、金銭出納帳をつけて寝る。11時半だ。明日は8時の観光バスだ。冷房のある部屋で風呂上りだがとても気持ちがいい。ラジオは米軍放送だろうか、英語はとんと分からない。

                                  沖縄旅日記むかしむかし(3)に続きます。


                                     2012.6.6     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(2)

 これは昭和46年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけたときの旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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