(2)から続きます。

 4月27日(火) 安里観光、料亭松の下

 朝6時、ニワトリとスズメの鳴き声、それに6時を告げるメロディーチャイムの「サクラサクラ」に起こされる。・・・サクラ サクラ ヤヨイノソラハ・・・」朝6時の立法院の鐘の童謡はなんとなくうっとりと夢見心地にさせる。ホテルで食事して8時、沖縄観光バスへ。ところが団体客があって満席、急遽安里の琉海観光へ。こちらは席が半分ほどだ。中北部コースを申し込み、明日の辺戸岬も予約する。朝の内は曇りだが、それでも汗が出てくる。9時近くになって段々晴れてくる。暑くなりそうだ。9時半発、暑い、窓を開けてやっとしのげる状態だ。

 牧港、浦添から普天間、コザへ。確かに沖縄は基地の街だ。空に飛行機やヘリコプターの姿の見えない時はない。暗緑色のそれは、まるで我が物顔に飛び交い国道沿線は金網が張り巡らされている。金武鍾乳洞〜地下へ20m、秋芳洞よりは景観としては落ちるかも知れないが、狭い石段と高さ1mたらずの穴をいくつもくぐりぬける。洞内温度19度、でも外から入ってくるとひんやりとする。この中に戦争中、4万人もの人間が隠れていたという。沖縄はどんな場所でも米軍から過去の戦争の亡霊を背負っている。バスガイドまでが祖国復帰を熱っぽく語る。それにしてもよく唄うガイドだ。琉球は民謡に宝庫だとはいえ、民謡、歌謡曲、軍歌・・・色々な唄が飛び出してくる。

 ふとこれは、風景や歴史の説明をするには必ず戦争の悲惨な思い出が出るので、わざと避けているためではないだろうかと思ったりする。本土の唄を歌う。古い唄ばかりだ。「シャンハイ帰りのリル」、「隣組」、「タバコ屋の娘」、「愛馬行進曲」・・・、何となく戦中戦後のイメージが濃い。しかもその唄は節回しが途中で一箇所か二箇所必ずといってもいいほど外れる。音痴なのではない。そう覚え込んでいるのだ。本土と沖縄の海の隔てが強く感じられる。そういえばガイド嬢、本土へは行ったことがないと言っていた。

 名護で昼食のため休憩。一時間使って近くの店でモンキーバナナとチョコレートミルクを買う。バナナは拇指よりちょっと太めで長いのが10本ついて15セント。天然記念物の三府(ヒンプン)カジュマルの根元に腰掛け、昼食代わり。このカジュマルの近くに、羽地朝秀の「首里よりこの名護へ遷港を考えたのは誤りであった」との朝秀詫状文の碑が建っている。ここから2〜3分歩くと那古湾へ出る。空は薄曇りだがとても穏やかな湾である。名護から本部半島へ向い山間のガタガタ道を通って伊豆味パイン園、パインは水分を嫌うとかで排水設備のないこの地区は、山の斜面を利用して育てられている。山の多い地形にはもっともふさわしい商品なのかも知れない。収穫時期は11月頃とのことで、今は刈り取ったあとの葉だけが残っている。もちろん人工的に薬品処理等で今でも実っているものもある。一軒の農家に立ち寄ってパインの試食・・・、美味いけれどとても酸っぱい。

 インブピーチ、グラス底ボートに乗ってさんご礁の海底を覗く。青い海の中の赤・黄・緑の珊瑚の樹木、海上に現れたそれら・・・。その樹海の中を泳ぐともなく漂うともなく動く熱帯魚の群れ、青、黄、黒、大小様々・・・。この美しさを一体何と表現したらいいのだろうか、僕自身の持っている言葉の少なさに淋しくなる。写真もこの美しさを伝えることは不可能だろう。
 万座毛、崖っぷちの草原、風が強い。さしたる感激もないが、見晴らしのいい所だ。海の見える公園と言った漢字か。VOAの受信アンテナが縦横に張り巡らされてあって邪魔である。

 帰途、車内では安里屋ユンタの練習。全員・・・と言っても22名のマイクロバスだが、大合唱となる。乗客の出身地をガイドが一人ひとり尋ねる。北海道釧路と言うとバスの全員が振り向き、羨ましいような、驚いたような歓声となる。北海道は珍しく、また素晴らしいイメージを持っているらしい。5時着。

 朝申し込んだ5月1日〜3日の石垣・西表観光団は、満席で一つの空席もないとのこと。本当に残念だ。喫茶店で喉を潤してから旅館へ。6時、シャワーを浴び、頭を洗って汗びっしょりの下着をとりかえる、テープレコーダーのテープ交換、バッテリー交換やその他に異名目手間取って、ホテルを出たのは7時、立法院の前の売店でタバコを買って車で料亭松の下へ・・・。この波の上地区一帯は旧い遊郭街でゆかりのある土地だ。
 着くと玄関で下足を預け予約席へ案内される。大姫間に予約した席の分だけがあちこちにテーブルが置いてある。しかしひとり客は僕一人らしく、ポツンとある席がちょっと淋しい。予約席は6割方客が来ている。踊りはまだ始まっていなく、レコードだろうかスピーカーから琉球民謡が流れてくる。哀調を帯た独特のメロディー、言葉は全然分からないためか、どの曲も哀しげに聞こえる。客の中で一組、男15名ばかりの団体が、だいぶメートルが上がっているらしく、何となく大声で騒がしい。

 料理が運ばれてくる。7ドルはあまり安くはないが、それでも素晴らしい料理だ。名前はほとんど分からないが、豚肉を主体としたものが多い。2〜3紹介すると、
 ○ ニンジンの角切りを煮含めたもの、チャーシューの薄切りを味噌のタレで食べる。
 ○ 豚肉、それも脂身の多い部分をとろとろに煮込んだものでものすごく柔らかくもお代わりする。
 ○ 豚肉、昆布、大根の煮含め。
 その他全部で8品ほどつく。酒は泡盛一本とビール一本、それに祭儀に味付けごはんが出た。
 始めて飲む泡盛は、ものすごく癖のある酒だ。おまけにものすごく強い。でもだんだん慣れてきたのだろうか抵抗なくのどへ入っていくようになる。仲居にはビールを勧めて小さなチョコでチビチビ始める。

 やがて踊りが始まる。何と言ったらいいのだろう。とにかく素晴らしい。テープに唄をとり、ノートに記録を採りだすと仲居が週刊誌の方ですかと聞くので、「いやいや・・」とお茶を濁す。無表情な顔と小さな手の振り、膝のゆるやかな動きとすり足が印象的だ。泡盛の最初の一合が空になり、ついでとばかり古酒を追加する。土瓶を持ってきた仲居が、「大丈夫ですか、腰が抜けますよ」と心配そうに言う。飲みつけない強い酒だし、少々心配でもあるが、その時はその時とばかりまたチビチビ空けはじめる。

 以下、酔眼に映った踊りを筆の向くまま記してみよう。アルコールが回ってきているのでうまく思考がまとまらない。
 ○ 四ツ竹踊り、もっとも有名な琉装だろう。赤い花笠、背に下る紫の帯、無表情な白い顔とすり足、静かな踊りで短い時間だがとても素晴らしい。
 ○ 上り口説(2才踊り)、黒い着物に金銀の扇、幅広い帯と白い布を額に跳ね上げて結んでいる。白足袋の足が活発に動くが、決して床を離れない。背と両袖、胸に2つの○に二の字の紋、踊り手は女性一人。扇を胸に抱えて退場。
 ○ 貫花(ヌチハナ)、変ったスタイルで出てくる。右袖を抜いて黄色に花模様の着物、中は真っ赤だ。首から2メートルほどの房をかけ、それを手にとって踊る。曲の調子が変り四つ竹を持って踊る。
 ○ 谷茶前(タンチャメ)、よく知られた唄だ。2人の女性、一人は艪を右肩に、一人は笊を持ち勇壮に踊る。歌い手2人は舞台の奥で蛇皮線を手に一生懸命だが、50歳を超えているようだがとても張りのある声だ。
 ○ 花笠、紫の笠を手にとても静かな踊りだ。・・・と、急にテンポが変って調子も変る。黒の衣装がとてもいい。手の動きが何ともいえず微妙で、うっとりと見ている。
 ○ 加那ヨー、天川節(男女打組踊)、一人は黄の絣だろうか。紫の帯、紫の額。一人は少しピンクがかった白の衣装に羽織みたいな右肩に赤の帯をつけている。紫の頭巾。赤い細い帯様のものをもう一人へ手渡す。割と動きのある踊り。曲が変ると、黄の衣装が右肩脱いでもう一人は杓子を持つ。手の小刻みな動き、足首の動きが微妙だ。動きがだんだん早くなる。激しい動きと無表情な顔がいやに対照的だ。
 ○ 馬踊り、馬の張子を腹にしばりつけ、5人の女性が手綱を右手に激しく踊りまわる。やがて馬は客席にも渡ってくる。酔いの回った客が3人、4人と馬の口についた鈴を鳴らしながら舞台へ上がっていく。ものすごい騒ぎだ。1人が終わると次の1人へ、曲は飽くことなく続いていく。相当酔った若者が一人で騒いでいる。
 ○ 安里屋ユンタ、菅笠片手に、それも右肩を脱いで登場。帯の結びが珍しい。・・・なぜこんなにも無表情なのだろうか。
 ○ 花風(女踊)、本当に静かな踊りだ。黒絣の衣装がとてもよく似合う。左手に赤い布、右手の笠、上目使いの視線は宙に止まったままである。

 9時半、外へ出る。泡盛二杯はさすが効いたらしく、ちょっとばかり足もとが乱れるが気分はいい。波の上歓楽街のネオン街の写真を撮る。バーテンらしい男か寄ってきた。「何してるんですか」。週刊誌の記者とても間違えたのか言葉は丁寧だ。「いや何も・・・」、「日本の方ですか?」、「あぁ・・・」、なぜ「あぁそうです」の言葉が出たのだろうか。ここは日本じゃないのだろうか。なぜ相手はそんな聞き方をし、それに対し僕はなぜyesと言ってしまったのだろうか。無意識の底に、ここ沖縄を異国と見る習慣が頭の中にできてしまっているのだろうか。10数冊の本を読んでもまだ、僕自身の内に本土と沖縄の27度線や、東京〜沖縄53時間以上のギャップがあるのだろうか。

 波の上から三越まで歩き、そこからまた桜坂へ。写真を撮ったがあわてたらしく急いで納めた三脚の足を一本折ってしまう。高い桜坂になった。途中サングラスを買う。1ドル50セント。ホテルへ戻って11時。もう一度シャワーを浴び、7時半の起床をボーイに電話で頼みぐっすり寝込んでしまう。今日は忙しかったが楽しい日だった。

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                                     2012.6.13     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(3)
 これは昭和46年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけたときの旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
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