(3)からの続き

 4月28日(月)  辺戸岬観光、那覇で沖縄デー参加

 昨夜寝たのが12時を少し過ぎていたのに、6時に目が覚める。あれだけ飲んだのに二日酔いのかけらすらなく、気分は爽快だ。泡盛は残らないというが、どうやら本当だ。天気は良い。また暑くなりそうだ。ホテルを8時頃出て、沖縄ツーリストで帰りの船の予約を済ます。
 9時、辺戸岬観光バスに乗る。天気は快晴に近く、恩納〜名護の海岸が青と緑の濃淡に彩られ素晴らしい。ブーゲンビリアの赤紫のツツジに似た花がびっしりと咲き乱れ、デイゴの真紅の花もまた初夏の沖縄にふさわしい。名護での休憩の他はノンストップで辺戸名へ。辺戸名へ入る少し前ころ、空が薄暗くなってきたと思ったら、ものすごいどしゃ降りになる。ワイパーが全然効かないようなものすごい降りだ。傘は持ってこなかったし、やれやれ大変な雨だわいと何となく気分がすぐれない。しかし、30分ばかりも降っただろうか、嘘のようにピタリと止んだと思う間もなく抜けるような青空が戻ってきた。信じられないような早さで、雨は遠のいていく。

 辺戸岬へ着くころはすっかりと上がり、雨に洗われた木々の緑が信じられないほど美しく輝いている。しかも窓からの風も急に涼しく爽やかになり、道も今の雨が丁度よい湿気になったようでほんのホコリ止めの程度だ。そのすっかりと晴れ上がった空の青と、その青をそのまま映し出す東シナ海の美しさ、渚に続く珊瑚礁・・・、岩を洗い砕ける白い波・・・、再び遠くに見え始めた島影や半島・・・、残念ながら風景は写真にはならない。区画されたファインダーの中にバスの窓を走り去る景色を止めておくことはできない。「戻る道」から「茅打ちパンタ」の急な坂道をあえぎながらバスが上がりきると、ここ断崖は辺戸岬である。

 ガイド嬢の声も自然熱っぽくなる。母なる祖国への復帰の願いが、晴れた空と抜けるような海の向こうの水平線に横たわっている。一時間で行けるのに手続きに一ヶ月もかかるという与論島を見ていると、治外法権の遠さをまざまざと感じる。目には見えずとも確かに目の前にある27度線が、あたかもこの真っ青の海のすぐそこに、越えられぬ歴史と戦争の重みとなって感ずることができる。いたるところ蘇鉄の群生、砕け散る東シナ海と太平洋の波、直角の太陽の光、観光設備は何もない辺戸岬だが、この洗われるような気持ちの良さは格別である。

 茅打ちパンタへ寄り、絶壁の上から海を眺めて肝を冷やしバスへ戻る。暑い!。バスを降りるたびに汗がどっと噴出してくる。バスの中で、乗客の出身地の歌を各自歌いながら同じ道を戻る。5時半那覇着。近くの店でホワイトホース1本買う。5ドル。ホテルでシャワーを浴び下着を取り替えて、オンザロックでホワイトホースを2〜3杯引っ掛け、素足サンダル履きで7時ころ外へ出る。

 4.28沖縄デーが与儀公園で開かれ、来年復帰が決まった現在、最後の沖縄デーになるので、ぜひ見物したいと思ったのだ。一昨日迷ったおかげで与儀公園への道はすぐ分かる。ホテルからほろ酔いの頬を夕風になぶらせながら、ぶらぶら歩いて開南から与儀へ・・・。空は青さが残っているが日はすっかり沈んでしまって、与儀公園はものすごい人だかりだ。2万人くらいとの発表だが、ものすごい熱気が感じられる。うずめ尽くす赤い旗とシュプレヒコール、白いヘルメットに焚火が映る。舞台では色々な人間が演説を始め、やがてデモ行進に移る。与儀公園〜ひめゆり橋〜安里三叉路〜国際通り・・・、とデモは続いていく。いくつもの集団が口々に叫びながら、延々と尽きることを知らない。

 ここでデモの行列から離れて、近くの山羊料理店へ入る。沖縄山羊料理は庶民の味とのこと。本土でのヤキトリ級なのだろうか。全然食べたことがないので酒はまず泡盛のオンザロック、料理は「おつゆ」と称するものを注文する。2〜3人の客がいて、皆これを食べているので、つい釣られた。ところがこの「おつゆ」と称するもの、ぶつ切りの骨付き山羊肉の煮込みで、塩気は抜きで野菜と一緒に煮込んである。見たところグロテスクで臭いもあまりよくない。自分で好みの食塩を振りかけて食べるのだが、案外とうまい。しかし、ヨモギがそれこそどっさり入っていて香りは爽やかだが苦くて食べられたものではない。半分ほど残してしまう。ついでとばかり山羊の刺身を注文する。これもまずくはないがちょっとばかりしわく、酢醤油におろししょうがのタレで食べるのだが、少し残してしまった。店に入ってしばらくすると客2人が帰り、あとは一人の老人が泡盛をぐいぐいやっている。相当酔っているし、デモ隊のことをさかんに非難しているようだが、オキナワヤマトグチのため、ほとんど聞き取れない。女将がさかんにうなずき相槌を打っているが、僕には皆目見当がつかない。ここでもふと、旅の孤独を感ずる。料金2.4ドルを払って外へ出る。

 デモはまだ続いている。要所要所に機動隊が盾を持って立っている。国際通りはもうほとんど車は通れないようだ。「アンポハンタイ」、「オキナワヘンカン」・・・。復帰協は沖縄返還反対を唱えている。復帰を願う国民の意思と、復帰に反対する行動とは一見矛盾する。しかし、実際にデモに参加してみて、一つのテーマに対する正反対の意見であるとの感じはしなかった。むしろ、復帰反対のスローガンの中に、本当の、完全な復帰を願う人々の感情があからさまに読み取れるような気がする。「沖縄を返せ」と「復帰反対」には何の矛盾も感じることはなかったのである。10時、デモ隊は国際通りから那覇警察署の前を通って立法院の方へ。パトカーの「予定です。ここで解散してください」の声が何度も続き、2〜3の団体が未練がましいジクザクもあったが、三々五々解散していく。

 ここ解散場所立法院はホテルのすぐ向い。相当歩き疲れたし、アルコールも回ってきたので眠気が襲ってきた。立法院の庭でデモの叫びと真っ暗な空を寝転びながらしばらく眺めていたが、ホテルへ戻る。今日はだいぶ疲れた。

                             沖縄旅日記むかしむかし(5)へ続きます。


                                     2012.6.20     佐々木利夫


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沖縄旅日記むかしむかし(4)

 これは昭和46年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけたときの旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
 他人の紀行文は書いた人との共通体験がないこともあって、私の嫌いなジャンルです。あなたにもお勧めしません。どうかパスしてください。

デイゴの花