子どもの頃、釘で遊んだことを書いているうちに(別稿「釘遊び」参照)、釘以外にも遊び道具があったことを思い出し、それにつながる「もどかしさ」が今でも私の体に残っていることに気づかされ驚いている。恐らく小学校低学年のころの記憶のカケラだと思うのだが、73歳になろうとしているこの身にとってみるなら、そのもどかしさは大げさに言うなら生涯を通じて感じ続けてきた「もどかしさ」ということになるかも知れない。とは言ってもそれほどの大げさな事件ではない。むしろ、どうでもいいような瑣末なできごとである。

 それは子供の頃の遊び道具だった「ピー玉」の記憶である。今のようにゲーム機があるわけでないし、そもそも遊び道具を買ってくるということ自体が発想になかった時代のことである。

 そうした中でビー玉を使うゲームは、どこかでビー玉を手に入れる必要があったから、買うか勝負で勝って友達から取り上げるかしかないから、それなり貴重品だったような気がする。ビー玉にも色々な遊びがあったような気がしている。大きなものから小粒なものまでさまざまなものを持ち、その大きさに応じた遊び小さい玉が大きい玉を打ち負かすような遊びまで色々な種類があった。

 こんなのもあった。地面に手のひらより少し大きい星型の線を書きその中に友人数人と一緒に自分のビー玉を一個置く。そして1〜2メートル離れた位置から別のビー玉を転がして、その星型に入っているビー玉を弾き飛ばすのである。ビー玉の正面にうまく当てると置いてあるビー玉は星型の中から弾かれ、放った玉はそのまま星型の領域内に止まることがある。それこそがゲームの狙いである。弾かれたビー玉は私のものになる・・・、そんな遊びだった。

 こんなビー玉遊びをしたことがもどかしいのではない。我が家が夕張の炭鉱住宅で、しかも長屋住まいであったことは前にも書いたことがある(別稿「少年と秘密の基地」参照)。4〜5軒が一棟になっていて通称ハモニカ長屋呼ばれていたからそれほど立派な住まいではなかったが、そんな我が家にも、玄関、台所、居間、寝室の四部屋を仕切っている中心に大黒柱ともいうべき太い柱が立っていた。

 その柱のちょうど1メートルほどの高さに、なぜか大きな節穴が開いていた。ほじくって穴を開けたような記憶はないから、始めから空いていたのだろう。別に特別な意味のある節穴ではなかったが、穴が開いているいる以上その穴へ指を突っ込むことは子どもの気持ちとしては当然の行為である。けっこう深い穴で、指の半分くらいまでは入ったような気がしている。

 そしてある日、もどかしさの原因とも言える事件が発生した。何歳の頃だったのか、その事件の犯人が私だったのかそれとも兄弟だったのかも忘れてしまったが、この節穴に子ども心では直径1センチもあろうかと思える比較的大きなビー玉を押し込んだのである。「すとん・・・」、音はしなかっただろうが、ものの見事にビー玉はその節穴にはまりこんだのである。

 ビー玉が貴重なゲーム用品だったとしても、そのビー玉がもったいないと思ったような記憶はない。それでも我が家の柱の節穴にビー玉が一個、ものの見事にはまり込んだのである。はめ込むことが目的ならば、それが成就したことで満足するのだろうが、はまってしまったのだからそのビー玉を取り戻そうと思うのは当然のことである。

 だが節穴は柱の中央に向かって空いているだけで、柱を突き抜けているわけではない。取り出すためには押し込んだのと逆方向に力を加えなければならないことくらいは、子どもにも分る理の当然である。ダイヤモンドの指輪や紫真珠の珠なら、場合によっては柱を切り倒してでも回収したかも知れない。だが現実は単なる遊び道具でしかないビー玉である。私も兄弟もそれなりの数のビー玉は自分のものとして持っていたから、そのビー玉がどうしても回収しなければならないほどの貴重品ではない。

 それでも「押し込まれたビー玉の存在」は結果であって目的ではないのだから、取り出そうと思う気持ちもまた当然である。だが挑戦する相手は柱である。しかも節穴は真横ではなく少し下向きに開いていたような気がしている。とんとん叩いて、重力で回収するような手法はとれそうもない。

 こんな場合にはどんな方法を使ったら回収できるか、その答えは今でも見出せないでいるのだが、とりあえずはもう一度指を節穴に差し込んでみるのが誰でもやる行動だろう。指先に吸盤でもついていない限りそうしたことで解決するとは思えないし、場合によってはさらにビー玉を奥へと押し込めることにもなりかねない行為である。それでも、「ビー玉を取り出したい」と思う気持ちと「節穴に指を突っ込む」との行為とは、矛盾することなく両立するのである。

 ところでそれだけの話なら70数歳までこのビー玉の記憶が残っていることなどないだろう。もどかしさが今でも続いていると言った理由には、この事件がある結果を生んだことがあげられるのである。
 実はこのビー玉が節穴の奥でくるくる回ったのである。指先でどうまさぐろうともビー玉を外へ取り出すことなどできないことは分っていたが、それでも指先でまさぐるような行為は毎日のように続けていた。それは一つにはビー玉が節穴の中で回っていたからである。きちんとはまり込んで身動き取れない状態にビー玉がなっているのならそこで諦めもつくのだが、指先で触るとくるくる回るという状態は、ビー玉の回りに僅かにもしろ隙間というかゆとりがあることを示している。

 その隙間というのはまさにビー玉と節穴の接点に空白部分があることの証拠である。つまり、なんらかの方法でそのビー玉にホンの僅かの力、力とは言えないほどの小さな力であっても、引き上げる方向への力をかけることができるなら、空中浮揚よろしくビー玉はこの手に戻ってくることを意味している。

 指先一本でそんなことが不可能なことくらい子供心にも分っていたはずである。それでも触れる指先でくるくる回るビー玉は、どこか引っ張りあげる可能性、もしくは「やれるならやってみろ」みたいな揶揄の意思を示唆しているようであった。その「やれそうでやれない」状況、「取れそうで取れない」そうした状況こそが「もどかしさ」の原点であり、そのくるくる回る感触が私の記憶から消えてくれないのである。

 私の幼い頃に住んでいた炭鉱住宅は、両親の退職や炭鉱そのものの閉山などの歴史に流されつつ、今では跡形もなくなっている。木造ではあったものの廃材として再利用できるような材料ではなかったような気がしているから、ビー玉をはめ込んだままあの柱は恐らく焼却されたかチップ材として細切れになってしまったことだろう。

 ただ私の指先にかすかに残るビー玉のくるくる回る感触だけが、あたかも川端康成の「雪国」の島村が覚えていた指先のような記憶(別稿「雪国との出会い」参照)を私の中に今でもとどめ、折に触れてふっと湧いてるのである。それは単に記憶であって、もどかしさとは少し違う感触なのかも知れないけれど、どこか気持ちの中で引っかかったままになっているのである。


                                     2013.1.16     佐々木利夫


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今でも残るもどかしさ