人の命が有限であること、つまり「人は必ず死ぬ」ことくらい誰でも知っている。不老不死を求めて世界を巡ろうと、また山ほどの大金を積もうと、神に祈ろうとも例外となるどんな不死もこの世には存在しなかった。だがしかし、こんなにも明らかな事実を前にしながら、「その人がいつ死ぬか」は、どんな時にも明らかにされることはなかった。たとえ未熟児で生まれたとしても、または小学校の帰り道に交通事故に会うことになっていたとしても、はたまた老衰で臨終を告げられようともである。

 そんな中で不確定な幅を持った期限ではあるが、余命宣告というシステムが出てきた。それは必ずと言ってもいいくらに医師の手に委ねられている。それだけ医学が発達したと言うことなのかも知れないけれど、死の判定は常に医師に任せられている。だからつまるところ医師が判断すればどんな病気や状態にでも宣告できるのであろうけれど、具体的な宣告という場面は多くの場合「がん」に集約されているような気がする。理屈としては医師が「治療の方法がない」と判断したあらゆる場面になるのだろうけれど、具体的な宣告というのは「がん」に限られているように思える。それはもしかしたら「がん」という病に対しては、医者自らが「自分の力の限界」を認めることが社会的にも許容されていると思い込んでいるからなのかも知れない。

 盲腸炎だって心筋梗塞だって、医者が「私の手には負えない」と思うケースがあるだろうと思う。そんなときに、「あと3日で死にます」とか「10日生き延びるのがやっとです」などと宣告することは少ないのではないだろうか。ただ「がん」に関しては、死までの期限を医師は割りとあっさりと宣告し、患者もまた受容してしまうような環境が今では整ってきているような気がする。

 以前にも私は余命宣告についてここに書いたことがある(別稿「余命宣告の意味するもの」参照)。それはがんと闘いそして力尽きた柳原和子の「がん再発日記・百万回の永訣」という手記を読んだことに端を発したものであった。そしてそれは同時に医師と患者の、死に対する思いの乖離が埋められないことへの隔絶感でもあった。

 更にもう一冊、がん宣告を受けた女性作家、上坂冬子のエッセイ「死ぬという大仕事 がんと共生した半年間の記録」を読んだときも、患者の抱く余命宣告の受け取り方には様々なものがあると感じた(別稿「わがままな死」参照)。それは主として彼女の語る「気の済むように手当てしてもらえれば、治らなくてもいいの」の一言の中に、どこか傲慢な思いを感じたからでもあった。彼女はこの著書の中で余命宣告について、残された自分の人生をきちんと管理できるから、宣告のない他の病よりも幸せだとの思いも披露していた。

 この本を読んだときは、彼女の考え方が理解できるような気がした。がん宣告によって残された人生を、自分なりに、そして自分らしく生きることができるのだから、「一つの幸せ」であると感じるという考え方に同調できたからであった。たとえ彼女の受けた死までの経過が、彼女だけが受けることのできた例外的で恵まれた環境から生じたものであり、「気の済むように手当てしてもらえる」という自覚された場面から生じた驕りの感情から出た言葉であるとしてもである。

 でも最近別の本(「がん病棟の隣人」 中島みち 文春文庫)に接して、上坂の意見はまさに著名で金持ちの作家が「自分の治療経過を本で発表するぞ」と医者に対して(間接的にもせよ)脅迫もどきに言い張り、著名な医師をあたかも自分の専属医師のように独占できた結果からきているのではないかと思いが湧き上がってきたのである。そしてがん宣告による余命宣告を、「残された人生を管理できるのだから幸せなのだ」とする思いに対しても少し疑問が生じてきたのである。

 この本は小説として書かれているが、実話に基づくものであることは著者自身があとがきの中で認めている。乳がんで同じ病院に入院した年齢的にも近い患者同士の交流を、一方が力尽きるまで書き綴ったものである。死を迎えた患者は、それでも死を受容することなく、「共に病と闘おう」と言ってくれた医師を信じ、そして裏切られる話しである。その医師への頼り切る姿は、著者自身が困惑するくらいにも重たいものがある。

 だがやがて体中の痛みに耐えかね、死を覚悟しなければならないことを自覚した彼女は、救急車でいつも通院している病院へ予約なしに搬送してもらう。そして必死の思いで、医師に向かって「先生、とうとう力尽きました。どんな大部屋の隅でも、この身一つ横たえさせて下さい。お願いします!」(がん病棟の隣人 P168)と手を合わせる。それは担当してくれている医師と「これが最後という本当に苦しいとき、楽に死なせていただく約束」をしてもらっていたからである。そしてその主治医からも「一緒に闘おう」と言ってもらっていたからである。

 でも運ばれた彼女に主治医は顔さえ見せず、別の医師が対応する。その医師はそんな彼女の目を見ることなくきっぱりと言う。「この病院があなたに行うことができる治療は全部終わりましたッ」(同 P168)。主治医も目の前の医師も、そして病院そのものも彼女から逃げ出したのである。入院を拒否された彼女はそのまま病院を後にし、ただ死を待つだけのベッドを探すしかないまま、ついぞ行ったことのない個人病院にその身を横たえるのである。

 彼女の入院を拒否したのは大学病院である。大学病院は研究機関であって、治療を主たる目的としたり緩和ケアや心理的なリハビリテーションなどを行うところではないかも知れない。そうした意味では「治療の手段の尽きた患者」はもはや入院させる必要のない患者である。入院を拒否したがん治療医の態度は恐らく正しかったのだろう。彼女は既に予感していた。「医者にとっては、治らないと決まった患者は目障りな物体のようなものだろうし・・・」(同P119)。それでも彼女は生きることに執心し、「共に闘おう」と言ってくれた医者にすがろうとする。

 この彼女がもし「わがままな死」で取り上げた上坂冬子であったなら、決して入院を拒否されるようなことはなかっただろうと私は思う。上坂冬子は死ぬまで気ままに外食を繰り返し、好きな治療を受け、医師との優しい会話や哲学めいた文化人らしい対話を繰り返すなど、まさに「気の済むような手当て」(治療的にも、心理的にも)を受けることができたのである。それは医者や病院がどんな患者にも同じように接するという姿勢の違いによるものだったのだろうか、それとも上坂が持つ有形無形の力によるものだったのだろうか。


                                後段「余命宣告に思う(2)」へ続きます


                                     2013.11.20    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



余命宣告に思う(1)