今年の8月15日は戦後70年の節目として世間を賑わした。70年前の敗戦の日としてのこの日を、その一週間ほど前の広島・長崎への原爆投下と結びつけることで、更なる話題性を提供した。70年という節目をどう理解するかについてはすでに触れたところであるが(別稿「日本人の戦争責任」参照)、そこで私は日本人が単なる被害者に甘んじていることにも疑問を呈した。だからこの場でまた同じようなテーマを持ち出すことは屋上屋を重ねることになるかも知れない。だが12月に入って再び多くのメディアが「被害者日本」を強調していることにどこか素直についていけないものを感じ、もう少し考えてみたいと思ったのである。

 12月は昭和16(1941)年に日本がこの太平洋戦争を始めた月である。これを機にもう一度日本人、というよりも戦争そのものの責任の所在を考えてみたいと思ったのである。昭和16年12月15日未明のハワイ真珠湾攻撃、日本のアメリカ・イギリスを敵とした戦争はこの日に始まった(別稿「真珠湾?」参照)。

 私はこの真珠湾攻撃が、宣戦布告なしに行われたかどうかなどの責任論を展開したいのではない。繰り返される報道、そして戦争や戦後を語る新聞への投稿などを読むにつけ、あまりにも「日本が戦争の被害国」であったこと、「日本人がいかに戦争の悲惨な被害者であったか」に論点が集中していることが気になったのである。つまり日本、そして日本人に加害者としての自覚がまるで欠如しているのではないかとの思いが強くなってきたのである。

 だからと言って私は、広島・長崎での原爆投下で被災した人たち、沖縄戦で逃げまどい自死にまで追いやられた多くの人たち、東京大空襲、各地の艦砲射撃、更には満州や樺太に居住していた民間人の避難(例えば別稿「麻山があった」参照)、シベリヤや南方諸島で戦死した無数とも言えるほどの兵隊や看護婦などなど、そうした人たちを「戦争の責任者だとして責める」つもりはさらさらない。また、その被害や死亡を「自己責任」や「自業自得」など抽象論の中に押し込めようとも思わない。ただ、戦争の責任を一握りの開戦論者や軍部の強圧のみに負わせ、「日本は被害国」、「私は被害者」、「日本人の多くは被害者」だとする思いにはどこか抵抗が残ったのである。

 前にも述べたようにこうした個々人に直接的な戦争責任が存在するのかと問われるなら、恐らく否定せざるを得ない。ならばどうして被害者であるという思いに抵抗感があるのだろうか。つまりそれは、「被害者」と「加害者」の距離感の位置にあるのではないだろうか。ゼロの位置にいる「被害者」を完全な無罪、100の位置にいる「加害者」を絶対的な悪と置いて、ある者をその両者のいずれかに分割しそのまま独立併記して理解しまうからなのだと思う。そしてそうした評価は、例えば太平洋戦争における日本及び日本人という位置にも深く関わってくる。

 例えば原爆によって人生のすべてを失った「ゼロ歳児」たる赤ん坊がいたとしよう。その赤ん坊に個人としての戦争責任があるかと問われるなら、もちろん答えは「ノー」である。むしろ「全く責任がない」と言ってもいいかも知れない。そうした延長上に多くの子どもや一般市民が存在するだろうし、その解釈に否やはない。

 ただ、そんなことを言ってしまったら、これまでの人類の歴史で起きたあらゆる戦争に「責任のない者」が常に存在したこと、しかも多数であったことは否定できないだろう。現実の戦争は、一握りの権力者や専制君主の思い込みが、呼称はともかく「軍隊」という力を利用して他国を凌駕していくことだったからである。

 ならば戦争責任はそうした「権力者・専制君主」のみに負わせることで解決するのだろうか。兵士の中にはその戦争に反対しつつ参加した者だっていただろう。反逆罪として処断されることを恐れて、いやいや命令に従っただけの者もいただろう。ならば、そうした兵士は仮に銃を構えて敵兵へ突進したとしても戦争責任という点では「無実」なのだろうか。

 私は戦争責任を個々人の責任に還元してしまうことの危うさを言っているのである。国に責任があったとしても、それをそのまま構成員たる国民個々が戦争責任で裁かれるべきだと言っているわけではないからである。ただ私は個人という立場を超えて、「国の構成員たる国民としての責任」は避けられないのではないかと思っているのである。

 戦争を起こす国の多くは正義を旗印として掲げている。そして仕掛けられた国もまた自らの防衛を正義の下に位置づける。つまり戦争の多くは「正義と正義の葛藤」という形をとる。そうした正義がどこまで本当の意味の正義として承認されるべきなのかは疑問であるにしても、恐らくあらゆる戦争が正義と正義のぶつかりあいの形をとっていることを否定できない。ならば、共に正義であるなら、「戦争は悪である」という定義そのものを否定しなければならないのだろうか。こうした考えを突き詰めていくと、「戦争は必要悪である」ことを超えて「必然であり当然だ」と位置づけることにまで及んでしまう恐れがある。

 私は正当防衛などの場合を除いて「自力執行」を許されないと教えられてきた。盗まれた財布や車を、警察などの力によるのではなく自分だけの力で犯人から取り戻すことは許されないのだと教わってきた。だが、自力執行は正当防衛や緊急避難を超えて国家の意思としてなら認められるのだろうか。戦争はまさに自力執行としての意味が問われる場面が多いだろうからである。

 戦争が悪だとする背景には、恐らく多数に対する善悪を超えた無差別な加害性がある。そうした意味では日本もまた戦争の加害者である。もちろんその悪を陸軍大臣や独裁者や天皇陛下などの個人の責任として押し付け、国民にはその責任を追及しないとする考え方もあるだろう。だが果たして特定の個人を断罪することで、戦争の責任は霧散し解決してしまうのだろうか。

 敗戦国にのみ賠償を求める仕組みが、どこまで正義として通用するかは疑問だけれど、敗戦国へ課された賠償は、そのまま敗戦国の国民の賠償責任になるのではないだろうか。国に賠償を認めつつ国民が賠償金の支払を拒むのは現実として自己矛盾だし、相手国に頭を下げることを拒否することがどこまで可能なのかは更に疑問である。

 こう考えてくると、「国としての責任」を認めるということは、そのまま「国民が責任を負う」ことと同義なのではないだろうか。そうしたとき、その国民とは個々人それぞれを指すのではない。それは国の構成員としての個々人になる。たとえ仮にその人が戦争に反対したとしても、無関心だったとしても、更には積極的に関与したとしても、そうした差に関わらず国民であることそのものの中に責任が含まれてしまうのではないだろうか。それはもしかしたら戦争当時まだ生まれていなかったとしてもなお、国民として生まれてきたことだけで責任を負わなければならないことを意味しているのではないかと思うのである。

 ところで、果たしてその責任はいつまで続くと考えればいいのだろうか。それにも答えはないのかも知れない。日本が責任のないことを諸国に説得できるときまでか、世界がその責任を責めなくなるときまでか、それとも「もういいよ」と許してくれるときまでか、それともそれとも戦争が歴史年表の記載だけになって、世界がすっかりそうした事実や加害者としての責任を忘れてしまうときまでなのか・・・。
 私にはどうしても、日本の戦争責任にヒトラーの犯罪とドイツの今とを重ねてしまうのである。


                                     2015.12.26    佐々木利夫


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戦争加害者と日本