老眼に加えて耳にまでトラブルが拡大してきているようだとのエッセイを、先週ここへ発表したばかりである(別稿「目と耳の造反」参照)。そんなときにこんな本にぶつかった。

 「皺がよる、黒子(ほくろ)ができる、腰曲がる、頭ははげる、ひげ白くなる。
  手は揺れる、足はよろめく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。
  身に添うは、頭巾、衿巻、杖、眼鏡、たんぽ、温石、しびん、まごの手。
  聞きたがる、死にとうながる、淋しがる、心は曲がる、欲深くなる、くどくなる、気短かになる。
  愚痴になる、出しゃばりたがる、世話焼きたがる」(仙(せんがい)和尚作)

                            加藤秀俊「ヒマつぶし隠居学」P227より孫引き

 これらの全部が我が身に当てはまっているわけではないけれど、一つ一つ身につまされる言葉が続いていることは間違いがない。著者の仙腰a尚の名は聞いたことがなかったので、ネットで調べてみた。それによると、今から約260年ほど前の江戸時代の禅僧であり、今でも人気が続いている日本画の画家であった。この言葉はその絵に添えられている言葉らしいが、いつ頃の作品なのか分らない。ただ彼は87歳で没しているので、けっこう長命だったといえるだろう。だとするなら、全部が全部ではないとしても、こうした言葉には彼自身の実感も含まれていたのかも知れない。

 この言葉には、上記の引用に続いてこんな一言も付け加えられていたという話もネットで見つけたが、確認ができたわけではない。

 「・・・またしても同じ話に子を誉める。達者自慢に人は嫌がる

 今から300年近くも前の時代ということは、恐らく当時の人たちの平均寿命は50歳くらいだったろうか。そんな時代にその倍近くも生きていた彼のその時の思いとは一体どんなだったろうか。「老い」は一種の恐れでもあろう。だからこそ、人は長命を願い、長命であることを賞賛したのだろうと思う。そしてそれは時に不老不死、不老長寿といった「永遠の命」への願望へとつながっていくことになったのかも知れない。

 そうした思いは、今でも私たちの中に消えることなく残されている。人がなぜ自らの子孫を残す役目を終えてしまった後までも、更に生き残るという人生を選んだのか。それについて私はこれまでもここに書いてきたけれど(別稿「孫の顔を見るまでは」、「昔話のおじいさん、おばあさん」など参照)、必ずしもそれを生物学的に理解できるまでには至らなかった。

 生物学的には人の寿命はせいぜい30歳くらいではないか、との話を聞いたことがある。縄文時代の平均寿命は10歳台ではなかったかとの情報もあるし、1940年代でのそれは50歳代、もう少し前の1890年代では40数歳だと、ネットでの情報は教えてくれる。

 もちろん平均寿命とは0歳児の余命年数の推定値にしか過ぎないから、どんな時代にだって60数歳、70数歳まで生き延びた長寿の人はいたはずである。それでも織田信長は舞いながら「人生50年・・・」と謡ったとされるが、彼自身が思っていたよりも当時の人の一生は短かかったのかも知れない。

 最近の風潮は、単に長生きすることを超えて、いわゆる「健康寿命」が話題になっている。病床でスパゲティ状態にされたまま「単に生かされている」だけでは、「真に生きていること」にはならないのではないかとの思いであろう。こうした思いは「ポックリ寺参り」みたいな伝承が多く伝えられていることからすれば、昔からそれなりの形で人々の願望の中にあったことがうかがわれる。

 仙腰a尚の言葉はその全部が、必ずしも現代にそのまま通用するとは言えないだろう。「老い」もまた、時代によりその人の老いに対する思いにより、更にはその人の年齢によって感じ方は様々なのかも知れない。だがその多くが、我が身につまされることもまた否定できないような気がする。

 私にとっての老いは、こうして掲げられた項目のいくつに我が身が当てはまるかということよりも、「老い」そのものを我が身のものとして考えることが多くなったことにある。私のエッセイにも、いつの間にか「老い」のテーマが侵入し、ときに「老い」を彷彿させるような構成になっていることに気づくいてしまうからである。それはもちろん「時間としての老い」は、本人の意思とは別に時の経過という強制を伴うものだから、当然といえば当然のことかも知れない。

 ただ、「老いを考えることが多くなったこと」からくる老いの実感は、若いときに感じていた「老い」の感触とは少し違うようである。もちろん若いときは「老い」そのものを深く感じることはなかったし、またそれを「我が身の老い」として捉えることはなおのこと少なかったことは事実である。

 そういう意味での「老い」は、今はそれほど恐怖でも嫌なものでも、そして避けたいと逃げ出したくなるようなものでもなくなっている。納得とは必ずしも違うのかも知れないけれど、老いを「事実として承認する」ことがそれほど不自然な思いではなくなっているのである。

 それを言葉にすることは難しいけれど、どこかで読んだ本の中にあった一節「いつお迎えが来てもいいよ、でも今すぐでなくてもいいよ」程度の感触にはなっているのである。まだまだこの世に未練を残しているこの身であることは自認している。酒も飲みたいし映画も見たい、読みたい本も多いし食いたいものもまだ残っている。趣味というほど高尚でないにしても、やりたいことはいくつも残っている。ただ、「たとえできなかったとしてもそれはそれでいいや」くらいの思いにはなっているのである。

 「叶ったなら儲けもの」というほど達観しているかというとそうでもない。まあ、いわゆる「未練」の範疇に入るのだろうとは思っている。それでも、足が痛いとか、胸が苦しいとか、寝たきりなったり認知症に陥るなど、痛いとか苦しいとか他人に迷惑をかけるような意味での「老い」は、どこかで敬遠したいと思っていることは一種の贅沢なのだろうか。

 もしかしたら「老い」とは、我が身にとって都合のいい部分だけを寄せ集めて近寄ってくるものではなく、いろんなことがごちゃ混ぜになって襲い掛かってくるものなのだろう。だとするなら、私の抱いている「老い」感とは、自分の意思ではどうにもならない、まさに「都合のいい贅沢」なのかも知れない。だとするなら「願うこと」など、許されないのが「老い」なのだろうか。


                                     2015.4.23    佐々木利夫

 前回発表した「目と耳の造反」で右耳の聞こえが左耳の半分ぐらいなって、私にも難聴がはじまったと書いた。ところがそのエッセイの末尾に希望的観測で書いた風邪引きとの関連が本当だったのだろうか、24日になって突然回復していることに気づいたのである。まだ気分的には90%くらいの戻りかなとも思っているのだが、「そのときに感じた落ち込みはなんだったのだろう」と思えるほど安心しています。治ったのか、それとも単なる一過性の回復に過ぎないのかはもう少し付き合っていかないと分らないのですが、時々左耳を指で塞いでみて「ああ、右耳だけでもちゃんと聴こえるわい」とホッとしています。ご心配かけました。                        2005.4.24


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老いの確かめ