今年最初のエッセイがこんなタイトルで始まることに自分でもいささか驚いている。とは言っても、それが加齢による影響なのか、それとも我が身の本質の中に最初から潜在していたものの顕在化なのかはよく分かっていない。ただ、ここ数年どことなく色々な形で怠惰が次第にこの身を侵食しつつあることには、どことなく気づいていたような気がする。

 使用人なしで掃除から郵便出しまで、たった一人でこなさなければならない税理士事務所を開いて15年が過ぎた。開業平成10年、最初はそれなり仕事に励んでいたつもりであるが、それまでの公務員生活40年と比べるなら、「税」にかかわる似たような仕事にも関わらず「自営業」としての税理士稼業はまったく異質な世界であった。

 公務員になって間もない24〜5歳の頃からコンピューターに興味があり、インターネットの世界はウインドウズ95の時代から手を染めていた。とは言っても、自分でブログやホームページを作成したり、チャットで交信するなどの方面へ向かうようなことはなく、もっぱら受身の情報検索みたいな方面での利用が主たる興味の対象であった(別稿「私のパソコン事始め」、「コンピューターがやってきた」参照)。

 税理士開業の頃に、税法改正で内規として職員に周知されていた法人税基本通達の一部が法律に格上げされたことや、商法の改正で税効果会計や資本金が1円での有限会社設立が設けられたことなどの変化があった。しかし職場が長くなるにつれて現場に出かけるような分野の仕事は減っていき、やや管理職じみた分野へとシフトしていくのはどこの職場でも同じような傾向かも知れない。そうした環境の変化は具体的な実務から少しずつ離れていくことを意味していたから、改正税法の現場的解釈や申告書の自力作成と言った場面への直面は、「一から勉強」みたいな世界へ突然の放り込まれたことと同じであった。

 うまいぐあいにコンピューター好きがさいわいして、会計ソフトへのスムーズな移行や慣れない「法人税申告書」の作成などもなんとかこなすことができるようになった。またもともと勉強好きだったことに加えて、ネット検索の利用や一緒に退職した仲間の手助けなどもあり、顧客からの難問や複雑な会計処理もどうやら対処することができた。

 ただ公務員時代と自営業たる税理士とでは決定的な違いがあった。もちろん税法は一つである。そして税法も法である以上、その解釈も一つのはずである。だとするなら、税務職員たる立場と税理士としての立場は、「法の執行・適用」という場面に関しては同じはずであった。税法はもとより中立であり、「税金は法で決められたものより1円高くてもいけないし、1円安くでもいけない」はずだからである。

 私の意識の中ではこれまで、「節税」という言葉にすら違和感があった。同じ利益であるなら同じ税負担になるのが当たり前で、納税者や税理士など税に関わる人たちの知識や解釈によって、その負担が変わってくること自体あってはならないことだと思っていたからである。

 ところがこれに対立する考えに開業間もなく直面することになった。それは「そこをなんとか・・・」に代表される立ち位置の違いであった。例えば個人の必要経費の考え方の中に「家事関連費」というのがあり、個人事業主が支出した費用の中に、事業用と生活費とが混在しているような支出がある。そうした支出は基本的に「その全額を必要経費としない」と税法で定められているのであるが、事業用と生活費の部分とが合理的に区分できるときは、「事業用部分は必要経費として認める」とされている。

 こうした理屈はよく分かる。だから家賃や光熱費や新聞代など、私的な部分と事業部分が混在するような支出があるときは、可能な限り事業用と家計用に分ける必要がある。それがきちんと分けられる限り、税務署にとっても事業主にとっても納得した区分経理が可能である。だが例えば理容店で新聞を購読していて、開店前に店主がその新聞を読み開店後は客用として待合席に置いておくような場合がある。果たしてどんな基準で分けたらいいか明確に公私の区分がつけられないケースが多発するなど、日常的な出来事が混乱のもととなる。

 店主が読む新聞代金は家事費である。しかし、客が読むのだとすればそれは必要経費である。この差を厳密に区分するのはそれほどたやすいことでない。ましてや、店舗兼住居を一括して借りている場合の家賃などの区分はとても難しい。住むだけだったらもっと郊外の安い賃料の住宅でいいけれど、商売のためには中心地の高い賃料の店舗を覚悟しなければならないなど、様々な思惑みたいな要素が複雑に入り込んでくるからである。

 そのほかにも、ある収入が課税されるのか非課税なのか、商売の雑収入に入るのかそれとも営業外の所得として事業所得以外の所得の収入なのか、5年分の代金を一括して受け取ったときそれは今年だけの収入にしていいのかそれとも5年に分割して課税すべきものなのかなどなど、文字で書かれた法律と現実に起こる経済事象とのギャップはあらゆる場面に発生する。

 そして納税者は自らに有利なように解釈し、課税庁はこれと対立する。その渦中でこれまで過ごしてきた税務署の職員としての思いと、報酬をもらっているのだから納税者の有利なように解釈すべきではないかとの思い、そして税法は中立であるとする私の信念のはざまで、「そこをなんとかして欲しい」、「そこをなんとかできないのか」といった思いに日夜さらされることになる。

 こうしたジレンマに遭遇するにつけ、私は税理士という職業にいささかの嫌気がさしてきた。そして私の仕事は、次第にこうしたジレンマとぶつかることのない、例えば二つの給与の合算申告、配当控除の適用、医療費や住宅取得控除などの還付申告などと言った、極めて機械的で個々人の思いや複雑な解釈などの入り込まないような分野の仕事へと向かうことになっていったのである。だがしかしこうした嫌気への方向は、どちらかというと税理士として顧客から要求されている仕事内容からは、離れていくことを意味していた。

                                       「怠惰への誘い(2)」へ続きます。


                                     2015.1.3    佐々木利夫


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怠惰への誘い(1)