コロナウィルスの感染拡大が止まらない。医師会も医療崩壊とまでは言ってないものの、もう自分達の手では限界に近いと宣言している。

 飲食店は営業時間短縮の要請で混乱し、観光地のみならず商店街も含めて多くの企業が、:経営不振の只中にある。そのため失業者の増加は止まるところを知らず、自殺者も急増するなど国民の多くに生活破綻の恐れが迫ってきている。

 もちろんこうした事態に政府も自治体も手をこまねいているわけではない。国債頼りの政府には財政再建こそ急務ではあるが、そんなことに構っていられないほど対策のための財政支援が必要とされている。

 政府も含めて行政の数ある施策の中で当面私に関係のあるのは、国民全部に一人10万円が一律支給された特別定額給付金と、マイナンバーカードの普及とクレジットカードを連動させたマイナポイントのポイント加算5000円くらいのものだろうか。

 このほかにも、内容はキチンと理解できていないのだが、失業や売り上げ減の補助や家賃の援助など様々な給付金等の制度がある。

 ところが様々あると書いたものの、具体的にどんな場合にどの程度の支援がされるのか、そこのところは私は少しも分っていない。それは恐らく、その給付金が我が身とあんまり関係がないと思っているからなのだろう。それならそれでちっとも構わない。私に関係のない給付金があったとしても、その内容を知る必要などほとんどないからである。

 でも、でもである。給付金全体の概要を知った上で、我が身と関係のない部分について無関心になるのなら、それはそれでいいと思う。別に他人に給付内容などをアドバイスする立場にいるわけではないのだし、まさに自分かせいぜい身内に関係のあることくらいに、関心を持つだけで足りると思うからである。

 でも、私が無関心なのは我が身に関係のないものだけなのかと問われるなら、私は給付金制度の概要そのものをほとんど知らないのである。私に受給資格があるのかどうか、そのそもそもからして知らないのである。これは言われるまでもなく、まさに自己責任の結果である。

 そうした制度について、政府も行政も広報しているはずである。申請があってから制度が動き出すのか、それとも制度に該当することを事前に行政がチェックして該当者に連絡してくるのか、そこはそれぞれの制度のシステムで違うことだろう。

 それにしても、要件と手続について政府なり行政は、該当するであろう対象者が理解できるような形で広報しているはずである。そしてそれは私にも届いているはずである。にもかかわらずそのことが分っていないのだとしたら、それは少なくとも該当者本人たる私の責めに帰すと言うべきだろう。

 知らない人は救済しない、申請しない人は救わない、これが行政である。以前ここに、そんな方法で救われない人はどうすればいいんだと書いたことがある(別稿「困ってる人よ、取りに来い」参照)。また、同じような思いで、行政が御用聞きのように動くことはできないかについて書いたこともある(別稿「御用聞きとしての国?」、「行政を頼る」参照)。

 政府や行政が、様々な手法を凝らして国民を救おうとするのは行政の本質だろうから、当然の動きである。だが、そのための窓口が余りにも多様であったり、名称や手続や条件が複雑であったりすることは、逆に救済を拒否していることと同じではないかと感じてしまう。

 私自身が理解していないことをとりあげて、ことさらに行政が不親切だと断じることは間違いだとは思う。でも様々な救済制度の内容を、私が知りたいと願っても、果たしてどこへ相談に行けばいいのか分らないのである。恐らく多くの人も、見当がつかないのではないだろうか。相談する窓口が分らないのではないだろうか。

 恐らくその窓口には、制度に詳しく親切な職員が、優しく待っていてくれるだろう。何度も足を運ぶことなく、その場で問題が解決されるようになっているに違いない。でも、私はそこを知らないし、知らないのだから電話をかけることすらできない。

 こうした戸惑いは、行政だけに限るものではない。弁護士や司法書士、更には労働団体やボランティアなどなど様々な団体が、「困っているあなたの電話相談はこちらへ」の窓口を開いている。今時電話のない家庭は少ないだろうから、誰にでも窓口は開かれていると言っていい。だがその相談は、窓口が多様であるばかりでなく、相談時間は午前○時から午後△時まで、土日は休み、期間は○月○日から×日までなどなど、まさに多様かつ複雑なのである。

 窓口が多様であるということは、それだけ相談者もまた多様であることを意味している。だからと言って、窓口の数だけ専門の担当者が必要だとは限らない。例えば私は半年ほど前まで税理士をやっていたけれど、一人で多くの税目を扱ってきた。分らない分野は税法なり参考書を調べたり、場合によっては仲間の税理士や税務署の相談室に頼ることもできたからである。

 相談者は多様と言うけれど、相談のパターンは決まるはずである。今回掲げたテーマでの相談の基本にあるのは恐らくたった一つ、「コロナで経済的に参っている。助けて。」である。もちろん中には医療関係の相談もあるだろうし、子どもの教育相談などもあるとは思う。

 それらの多様な相談を、一人の担当者がこなすことは無理だろう。でも逆に私は、一人で足りるとも思うのである。

 つまり、「助けて」の一言に対応できる行政の窓口は、たった一つで足りるのではないかと思っているのである。もちろん一人の担当者が、医療、経済、教育、福祉、災害、自殺などなどのあらゆる分野を解決できるとは思わない。でも、その担当者が次なる専門家につなぐ手段を持つことで、こうした問題は解決できると思うのである。

 あたかも泥棒の110番、火事の119番のように、行政にも「とにかく助けて」を受付ける窓口が、今の世の中には必要になってきているのではないだろうか。電話がなかったり、電話をかける動作のできない人もいるだろうから、これで万全とは言えないとは思う。

 しかし、「助けて」をいつでも受ける窓口が、今まさに必要とされているように思うのである。せめて給付金だけでも、「国と地方の制度で、あなたにはこれこれがあります」くらいの助言と相談のできる窓口がいつでも私達に開かれていたら、自己責任から解放されて世の中もっと楽に生きていけるような気がする。



                        2020.12.25       佐々木利夫



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給付金と窓口