私にはどうやらネーミングに弱いという性格があるようだ。野麦峠も北岳の見える夜叉人峠も、どちらかというと名称に惹かれて訪ねてみたくなったという背景があるような気がしている。

 九頭竜もそうである。北海道を出るときには訪ねて見ようなどとは少しも考えていなかったはずなのだが、どうしてそんな気になったかを少し書いてみよう。
 旅行の目的である野麦峠宇奈月温泉、そして郡上踊りも風の盆も見終わって富山から名古屋へ向かう途中のことである。帰りのフェリーまであと二泊ばかりゆとりがある。長野側を通ってきたので反対側を通って帰ろうと思っているから、その気になれば滋賀県までだって足を延ばせるだけの余裕はある。まずは手始めに安宅関を見てから東尋坊まで車を走らせ、その後のことはそれから考えることにしよう。

 福井にも見所はそれなりにあるだろうけれど観光地としての福井県というのは私にとってあんまり馴染みがない。加賀温泉郷を泊まらないで湯に浸かろうと若い頃に思いついたことがあって、東京で2〜3泊の研修があったときに休暇をとって少し早めに出発し急ぎ足で回ったことがあった。芦原、粟津、山中、山代、片山津とバスなどを乗り継いでチャポンと湯に浸かっては次へ回ると言う忙しいだけの若さに任せた無茶旅だったが、それとても三国町に近いけれどまだ石川県内である。その後二度ばかり東尋坊や永平寺にも寄ったことがあるけれど、福井県としてのイメージはあんまり記憶にない。

 それで東尋坊をさっと見てから福井市方面へと向かうことにした。越前大野町まで着いたがまだ日は高く、それに有名な朝市は既に終わっているし街そのものもこれと言って特徴はない。名水御清水(おしょうず)も寄ってはみたもののそれほど興味の惹かれる場所ではなかった。
 地図によれば近くに「勝山温泉」があるではないか。大野市のスーパーで食材を仕入れて夕闇の迫る山道を勝山温泉センター「水芭蕉」へ向かう。大野町と勝山町とは川で挟まれた隣町である。温泉へ向かう途中に渡った川が九頭竜川であった。そう言えば東尋坊からの道々から見えていた川はこの九頭竜川だったのである。これが九頭竜川との出会いであった。
 さて川を渡って間もなく温泉センターに着いた。ここの駐車場の片隅を遠慮がちに借りて夕飯を食い、ビールと日本酒を持参して温泉へ向かう。閉店までゆっくりと入浴と休憩場所での酒を楽しみ、車へと戻る。

 翌朝もう一度大野町へ戻り、七間朝市を冷やかしながら歩く。花と野菜が中心の朝市だが、小さな赤唐辛子を20本ばかりすだれ状に編んだ商品がとてもきれいだ。つるうめもどきを枝ごと売っているのも珍しい。

 さて今日の泊まりはどこにしょうか。もう一泊の余裕はあるがどことは決めていない。しかも今はまだ早朝である。ここで渡ってきた九頭竜川の名を思い出す。特に九頭竜の川にもダムにも何かの思い入れがあるわけではない。それでも「九頭竜ダム」と言う名前はどこかで聞いたことがある。地図を見ると大野町からこの川に沿って美濃へと続く道はかつての「美濃街道」であり、その途中に九頭竜ダムがあるではないか。そんなに遠くはない。今晩どこへ行ってどこで泊まるかは足任せ、車任せにして、とにかく明後日の夕方までに名古屋港へ着けばいい。ならばこの九頭の竜に付き合うのも気まぐれ旅の楽しみである。

 目的のできたドライブは気持ちも浮き浮きしてくる。ついでに今夜の泊まる場所も考える。名古屋港は明日の夕方でいいが、それでもフェリーの発着場所も確認しなければならないのであんまり遠くへは行けない。名古屋に近くてできれば昨夜の勝山のような温泉センターがないだろうか。焼きハマグリでしか知らない桑名だが、見当たらないようだし津や四日市にも興味のある場所は見当たらない。
 なんと養老の滝と言う名が目に入る。しかも温泉センターみたいなものもあるではないか。行ってみて気が変われば自在に変更できるのだからとりあえずここを車での最後の宿泊場所と決め、いよいよ九頭竜ダムへのドライブにも安心と余裕が出てくる。

 九頭竜とはいかにもおどろおどろしい名前ではないか。「崩れ川」が「クズリュウ」の語源だとの説もあるようだが、どちらにしてもこれほどの名前をついているからにはきっとこの川には、かつて九頭もの竜が暴れまわるほどの氾濫をもたらした大洪水の思いが重なっているのだろう。
 一つの胴体に頭と尾が八つずつついていると言われる八俣(八岐?、やまた)のおろちがスサノオノミコトに退治される物語は古事記に登場する日本最初の神話だが、その大蛇も八つの谷と八つの山にまたがった氾濫しやすい暴れ川を象徴したものだとも言われている。九頭竜川はその大蛇を超えるほどにもすさまじい被害を人々に与えたのかも知れない。

 9月だから北海道はもう秋の入り口だが、ここはまだ夏草の茂る夏山の深い谷の迫る街道である。濃い緑に囲まれたダムが見えてきた。見下ろすような展望台は近くにないので視線は水平だが、それでもゆったりと水をたたえた湖は遠くまで続いている。

 九頭竜ダムと彫られた大きな碑の前から遠くまで続く湖面を眺める。今年は雨が少ないのだろうか、水面から10メートル近くも上まで、いつものダムの水位を示しているのであろう茶色の岩肌が水平に画かれている。
 昭和43(1968)年竣工とされているから、それから40年近くも経て今では観光地としてあまり人気のない場所なのだろうか、特に売店らしき施設もない。平日のせいか訪れる人の姿もないまま、小さな東屋のベンチに腰掛けて今通ってきた道に少し霧のかかっている風景を眺めている。

 この道は美濃街道、このまま進むと二日前に泊まった郡上八幡を抜け美濃へと続いていくが、今日は養老方面に決めた。もと来た山道を大野町へと戻ることにしよう。
 さてこのダムが作られたことによって、九頭の竜はそのことごとくがかつての強大な神通力を封印されてしまったのだろうか。夏の終わりのこの湖水はあくまでも静かで穏やかで水面に岸の緑と明るい空を映しているし、谷間の流れもまた竜の姿など伝説へと追いやっている。



                          2007.5.2    佐々木利夫


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九匹の竜を探しに