人はどこかで何かに依存しているのかも知れない。いかに自立を標榜していようとも、人はどんな時も何かに依存して生きている、いやいや依存しなければ生きていけないのかも知れないと思うことがある(別稿、「私も依存症?」参照)。それはそうなんだが、最近の芸能界や学生などを中心に蔓延し始めているらしい薬物依存や、キッチンドリンカーなどと呼ばれて主婦層にまで広がっているらしいアルコール依存などとは、同じ「依存」の表示がついているもののどこかで区別すべきものだろう。

 とは言え私にとって薬物にこそまるで無縁だったけれど、アルコールに依存しているような傾向はなかったかと自問するなら、現状も含めてどこか否定できないような危うさが感じられなくもない。これは私の裡にあるアルコール依存の傾向とその言い訳の記録である。

 まず私がアルコール依存の要素を持っているのではないかとの疑念を抱くようになった、いくつかの症例を列挙してみよう。

 症例 1 これまでほとんど休みなく飲み続けてきたこと。

 私は酒が好きである。仲間の中にはまるで酒を受け付けない者もいるけれど、そんな奴に対してはこんなに旨いものを知らないなんて人生の楽しみを半分以上味わい損なっているのではないかと、身勝手な解釈ながら思ってしまうくらいである。
 私が酒の味を知ったのは、厳密に言えば例えば親や親戚などが正月のお神酒をいたずらで子どもに少し舐めさせたと言う程度のことなら子供の頃にもあったような気がする。だが、いわゆる「酒」を「酒」として飲んだと言うのなら高校を卒業して間もなくの頃、つまり税務の職場に入り札幌での寮生活で研修を受けている頃だったと思うから、年齢としては19歳に近かったような気がしている。今から50年近くも前のことになるけれど、当時から「酒は20歳から」と法定されていたので、私の飲酒歴は未成年飲酒と言う法律違反から始まったと言っていいのかも知れない。そうは言っても飲酒が社会的に今ほど厳格に管理されている風潮も少なかったから、いわゆる「寮の仲間と恐る恐る隠れて飲む」程度の緩やかさの中で数ヶ月に1度くらいは大人の仲間入りを味わっていたような気がしている。

 研修を終えて職場に配置された20歳を過ぎた頃から、酒は少しずつ私の日常に浸透していったような気がする。職場仲間との宴会はもとより、独身寮での食後のわいわい騒ぎなどなど、毎日飲み続けるというほど頻繁ではなかったものの、チャンスさえあれば飲み会には参加していたのが現状であった。そうした傾向は結婚後も続き、酒好きの体質は帰宅後の晩酌へとそのままつながっていった。晩飯時になると、2〜3歳になった娘が一升瓶を抱えてふらふらしながら食卓へ運んでくること、それも一つの家庭における団欒の象徴でもあった。

 長じてもそうした晩酌の傾向は続いていたのだが、あるとき酒を飲むと眠気を催してくることに気づいた。眠くなったらそのまま布団に入ればいいのだが、夜は本を読んだり音楽を聞いたり、時にコンピューターの勉強をするなどの時間に使っていたから、眠ってしまうとそうした大切な時間が奪われてしまうことになる。これではならじと晩酌を多少控えめ(決して中止ではなかった)にし始めたのは、既に50歳を過ぎていたかも知れない。

 しかし晩酌を多少控えたところで、そのことと職場に連なる飲み会の減少とはまるで無縁であった。時に「酒を飲まない日があった」としても、それは単に晩酌をしないと自らに言い聞かせただけのことであり、その日はたまたま宴会や仲間との飲み会がなかったというだけにしか過ぎなかった。だからそれは「酒を断つ」などと言った信念に基づく行動では決してなかったのである。
 こうした傾向は定年で職場を去る退職の時まで続いていた。いや、それも少し違うかも知れない。退職を境に職場との付き合いこそほとんどなくなっていったけれど、新しく税理士としての仕事を始めたことから、そうした環境には先輩や同僚がわんさといて同じような飲むチャンス、飲めるチャンスは依然として続いていたからである。

 おまけにワンルームマンションでひとりの事務所を開いたものだから、税理士稼業はまさに自己管理のみの世界になってしまった。当時はマイカーを持っていたこともあり、通勤はマイカーやバス・地下鉄を利用するのは当然のことであり、出張なども少なかったから日がな一日事務所の中でトイレに行くくらいしか体を動かす必要のない時間がたっぷりと増えてきた。

 仕事と言ってもそれほど熱心ではなかったから、使用人を管理する必要もなければ得意先集めに走り回ることもなかった。長い公務員生活からやっと解放されたのだし「事務所の家賃くらいなんとかなればそれでいい、退職後の時間は可能な限り自分のために使いたい」との覚悟で始めた仕事だったこともあり、せいぜい税法関係の資料を読むか電話での質問に答えるために受話器を持ち上げるくらいが仕事の大半である。その上、テレビがありパソコンがある。インターネットを導入してその中に入り込むと、パソコンの世界は飛躍的に広がっていく。しかし、だからと言ってそれが運動量の増加につながることとはまるで無関係である。そうした必然的な結果としてあっと言う間に摂取カロリーの体内への蓄積が始まり、それは当然に身長ではなく体重へ影響を与え始めたのは明らかであった。

 風船のように膨らんでそのうちに破裂する・・・、こんな肥満への恐怖を打ち切るためにはどこかでダイエットに励むしかない。一念発起して大きく三つの目標を掲げることにした。@、マイカーを捨てること(別添「運転免許始末記」参照)、A、事務所までの約4キロを往復とも毎日歩くこと(別稿「四千万歩の男」参照)、B、自宅での飲酒は晩酌も含めて来客などの場合以外は完全に止めること、の三つである。

 症例 2 飲まない期間が続くと飲みたくなる

 こうしてダイエットに励むこと数年、毎日の体重や歩数をエクセルに記録していくことで、なんと劇的な変化を体験することができたのである。使用前・使用後のコマーシャルではないけれど、87キロを超えようとしていた体重が62キロへと、なんと25キロもスリムにすることができたからである。

 こうした成果はもちろん上に掲げた歩くことによる寄与も高いとは思うのだが、自宅で飲まないことも大きいことだろう。だがいくら晩酌を止めたところで仲間やOB会などの付き合いによる宴会が従来どおりと変らないなら、その効果はザルで水をすくうようなものである。だとすれば、そうした方面への付き合いも少しずつ遠慮していくように努力することが大切な要素となると思い始める(中途ですが、第二部へ続きます)。

                   続きは第二部をご覧下さい。「私の中のアルコール依存(その2)」へ。



                                     2009.11.11    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



私の中のアルコール依存
         (その1)