先週発表した話題(別稿「1―0.4=?」参照)の中で、私の持っている数学関連の本を並べてみたが、それらを探しているときに、恐らく手に入れてから50年近くまったく手を触れたことなどないだろう一冊を書棚から見つけてしまった。

 「エスペラント第一歩」(城戸崎益敏、白水社)がそれである。発行は1953年となっているが、この年の私はまだ13歳、つまり中学1年生である。仮に私がいくら神童まがいの知性溢れる存在であったとしても、そんな子供がこんな本に興味を持っていたとはとても思えない。本は好きだったからよく読んではいたけれど、まだ文学書には届かず、ロビンソンクルーソーだの宝島だの、せいぜいが野口英世やシュバイツァーなどの偉人伝くらいまでだったような気がしているから、こんな本に挑んだことなどはまるで信じがたい。

 それにもかかわらずこの本を手にした記憶、そしてなんとか理解しようとしていた記憶だけは微かながら甦ってくる。それはなんたってエスペラント語による1から10までの読み方、つまりワン・ツー・スリー・・・を今でも諳んじているからである。
 それは書けないまでも「ウーヌ、ドゥ、トリ、クヴァル、クヴィン、セス、セプ、オク、ナウ、デク」と言う数え方である。ただそうは言っても1から順番にと言われて始めてなんとかなる程度で、例えば「7は?」とダイレクトに聞かれてもすぐには出てこない、そんなあやふやな記憶でしかないのだが・・・。そしてことのついでに三人組だとか四人組みの室内奏者をトリオ・クワルテット・クインテットなどと呼ぶこととの共通性をこんなところから、つまり英語以外の言語からの来ているのだと気づいたのも一つの収穫であった。

 表紙も、中のページも黄色く変色してしまっているこの本をぱらぱらめくってみる。100ページを僅かに超える程度の比較的薄い冊子で、多少の書き込みはされているけれどそれも20ページくらいまでで止まっている。書き込み状況から見る限りそれほど一生懸命に勉強したような気配をこの本から感じることはできそうにない。

 エスペラント語とは、ポーランド生まれのザメンホフと言う中学教師が開発した世界語とも言うべき言語である。言語と言うのをその地方地方に自然発生的に定着してきた土着性の強いものだと考えるなら、そうした意味ではこのエスペラント語を世界にある数多の言語と同列に並べることは間違いだろう。なんたって、この語はザメンホフが作り上げたいわゆる「人工言語」だからである。

 聖書によれば、人はバベルの塔を建てたことを起因としてバラバラの言語に分かれたとされているが(別稿「バベルの塔の教訓」参照)、ザメンホフはこうした神の試みを自身の手で白紙に戻そうとしたのだろうか。

 私がこの本を手にした動機は、今となってはまるで覚えていないので想像するしかないが、恐らくは自身の英語に対する劣等感の裏返しみたいな気持ちがあったような気がしている。現在では小学校から英会話に順応できるようなカリキュラムが必要だとの主張もされているようだが、当時私が受けた英語の授業は中学1年生が最初であった。忘れもしない「ジャック アンド ベティ」が教科書であった。
 私の英語力については既にここにも発表したとおり(別稿「私だって英会話」、「トイレ貸してください」参照)、最も不得意とする分野であり、こうした劣等感に囲まれた宿命は私の生涯を通じての特性にもなってもいるような気がしている。中学生の私の教科書には、常に英文の活字の上に振り仮名が振ってあった。英語の予習とは英語を理解することではなく、英活字の上に鉛筆でルビを振って「読め」と指名されたときに備えるためのものであった。大人になって、一時、司法試験を受けてみようかなどと空想したことがあったのだが、その時に大学卒でない者には一次試験として外国語の試験が義務付けられていて、そのことだけで受験意欲を削がれてしまった苦い記憶がある。

 そうした私がエスペラントに惹かれたのは、この本の扉にある著者のこんな言葉が原因になっているのかも知れない。
 「・・・何分の一といふ僅かな努力を以て、既に十分熟達し、愉快に讀書をなし、自由に手紙を書き、話をなすことが出来るのである。しかしエスペラントがこの様に易しいといふ事は寧ろ第二義的な特徴であって、エスペラントの生命とするところは、どこの國にも属してゐない、中立的な國際共通語といふ點である。」(PT)。

 つまり私はエスペラント語そのものに魅力を感じたのではなく、英語力を私自身に植え込むことの努力を、もっと簡便な手段(つまり著者の言う「何分の一といふ僅かな努力」)による英語と異なる外国語の理解力に求めたのではないかと思うのである。
 それはむしろそれほどの努力なしで外国語もどきの言語をきちんと理解できるようになる、そしてその言語はもしかしたら世界語として今後共通化が広まっていく可能性がある、英語など知らなくたって私は僅かな努力によって国際共通語ペラペラの天才になれる、そんな幻想が私のどこかに存在していたような気がする。こんな不純な動機が生き残れるはずもなく、だからこそ数ページを読んだだけで私のエスペラント語への挑戦は雲散し霧消してしまったのではないだろうか。

 エスペラント語を利用している人が現在どのくらい世界に居るのか分からない。ネット検索によると協会みたいな組織がまだ存在しているようなので、それなり信奉者がいるということなのだろう。エスペラント語といえども一つの言語である。フランス語やスペイン語に似ていると言われたり、英語と同じような用法が多いとも言われているが、名詞、形容詞、冠詞、副詞、比較法、代名詞、疑問詞、関係詞、数詞、動詞、前置詞などなど、目次を見ただけでも一つの言語を理解することの困難さは伝わってくる。
 にも関わらず「英語ダメ人間」はそれに代る「世界語万能人間」への変身、それも僅かな努力できるかも知れない変身を、幼い夢想家はどこかで信じようとしたのかも知れない。

 かくしてそれほどの努力もしなかったまま、私はこの本から離れた。何歳の頃のことなのかまるで覚えてはいない。恐らくは高校生になり、それでも英語力は依然として乏しいままだった自分にどこか嫌気がさしてのことだったのかも知れない。

 エスペラント語がその後国際的な公用語として採用されたという話は聞かない。恐らく国連の場でもこの語が使われることなどこれからもないだろう。
 今この事務所で手に取っている定価150円と書かれた古びた冊子は、恐らく数日を経ずして自宅の書棚へと戻っていくことだろう。そして恐らく再び開かれることなどないだろう。それでもこの本は、ほんの僅かにしろ小さな幻想を私に与えてくれた青春の思い出の欠片の一つでもあるのである。



                                     2009.4.30    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



エスペラント語幻想