歳をとるということは、人間の体が部品で組み立てられていることを知る過程なのかも知れないと感じ始めたのは、事実が我が身の老いと連動しているからなのだろうか。老いを感じるようになるまで、人は一人としてただ一体としての存在であり、それが人格も含めた私としての個人を構成しているであろうことは生まれながらの実感でもあったからである。

 もちろん私にしたところでこれまでの長い人生、無病息災・医者知らずの生活を送ってきたわけではない。就職時の健康診断で「肋膜炎の治癒した痕跡がある」だとか、その後の職場検診などで血圧が高いだのと言われたこともなかったわけではない。それでも、具体的な身体の各部分の傷害が直接生活に支障をきたしているのでなければ、その傷害の部位の存在やその部位が私の体の一部を構成している事実などを知ることは現実的には難しい。
 足を怪我しただの、歯が痛いだの、風邪引いて鼻の頭がひりひりするなどの症状もまた人並みに経験はしている。ただそうした人並みの痛みみたいな傷害は、結局は日常的に他者の姿などでも見慣れているせいか、その傷害部分を我が身の部品としての存在までに思い及ばせるようなことには至らなかったように思える。

 私が自分の体の一部について部品の故障として具体的に気づいたのは、バイクで転倒して鎖骨を折ったことが最初だったような気がしている(別稿「我がバイク始末記」参照)。なんたってそれまでは、鎖骨が人間の骨格を構成している部分の名称であることくらいは知っていたものの、それがどこにあるのかまではまるで気づいていなかったからである。
 そのうちに目が怪しくなってきた。いわゆる老眼である。それまで眼鏡などとは無縁の生活を続けてきたのに、今や日常生活やテレビくらいには不自由しないものの、新聞や読書、こうしてパソコンに向かって文章を作るときなどにも眼鏡なしでは過ごせなくなってきている。

 薄くなってその存在さえ不確実になりつつある仲間も多く、それを部品と呼ぶのはふさわしくないかも知れないけれど、頭髪もまた確実に細くなりつつあり、同時に白く輝く本数も目に見えて増えてきている。白髪そのものは新しい部品として了解すべきものであって、黒から白への変化を部品談義に巻き込むことは頭髪にとっては濡れ衣になるかも知れないながら、「髪の毛」としての位置づけに変化をきたしていることに違いはない。

 そうこうするうちに脳梗塞を起こしてしまった(別稿「我がミニ闘病記」参照)。脳そのものを取り出して眺めたことはないので、これもいわゆる部品としてのイメージとは遠いものがあるけれど、その画像が手に入るようになってからはどこか身近なものになってきている。
 脳の画像とは「MRI」によるものである。もちろんこれを撮ったのは病院である。脳梗塞そのものは結果的に後遺症もなく現在に至っているが、医者の勧めもあって年に一回程度同じような頭部の撮影をしている。横に輪切りしたものや立て位置でスライスしたもの、更には「これが頚動脈」などと医者は説明してくれるけれど、「今のところ心配はありません」の一言以外はあんまり画像からの情報は私にはほとんど理解できないままである。

 ところで、このMRIの画像が簡単に入手できるのである。医者による説明はフイルムではなくパソコンの画面を眺めながらである。あるとき医者に「この画像を手に入れることはできるのでしょうか」と聞いてみた。するとあっさり「できるはずですよ。受付で聞いてみてください」との返事であった。受付で確認してみて更に驚いた。診断書なら数千円以上もするはずだから画像ならさぞ高額だろうと思っていたにもかかわらず、受付での答えは郵送料と画像を記録する媒体のCD費用として200円程度だというのである。もちろんその画像を読み取るためにはパソコンが必要になることは当然であるが、画像を記録した媒体CDには画像を見るためのソフトも添付してあるので簡単だとの説明である。つまり、200円足らずを支出することで私は自分のパソコンで、私の頭の中を見ることができるのである。

 後日、数年分のMRI画像を記録した一枚のCDが私の元へと送られてきた。拡大したり縮小したり、回転させたりすることができるなど、モノラル画像ながらこのCDはけっこうな楽しさを伝えてくれた。そしてその中の数枚の画像は切り取って私のパソコンのデスクトップを飾る映像として保存することにした。かくして私のパソコンのデスクトップを飾る脳内画像は、まさに部品としての地位を得ることになったのである。もちろんその画像が医者の言うような「心配ない」ことの証拠になるのか、はたまた「心配な部分など写っていない単なる画像に過ぎない」のかは当然のことながら画像診断に無知な私の理解するところではない。

 さて昨年の3月には足首の痛みで歩けなくなるような事態が生じたし(別稿「杖ついて歩く」参照)、その後遺症が残っているらしく、歩けなくなるほどのことはないものの少し無理をすると同じような痛みが再発してくる恐れは多分にある(別稿「私の札幌さくら旅」参照)。

 とりあえず今の私には足首の痛み以外に特別な部品を自覚させるような自覚症状はないけれど、友人との話題の中には「脊柱管狭窄症」だとか、「足がむくんでぱんぱん」、「前立腺肥大」、「腰が痛い」などと言った、「なんとなく調子が悪い」などの抽象ではなく、具体的な部品の痛みを訴えるケースが多くなってきている。

 痛みがあると言うことは、その部分が体の一部であることを自ら主張していることでもあろう。それは別の意味で言うのなら、休息せよだとか治療せよなどの叫びであるのかも知れない。無理しなければこれからもそこそこ使える部品ではあるのだが、悲鳴をあげるようになる前に労わりながら付き合っていくしかないのかも知れない。「知識としての体の部品」から、いつの間にか「我が身に内在する部品」へと変化していく、これが老いることの証なのかも知れないと、このごろふと感じるようになってきている。



                                     2010.5.28    佐々木利夫


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部品としての体