B 計算尺

 計算尺は計算用具としてそれほど人気の高いものではなかったように思う。中央にはめ込まれた横長の板が左右にスライドするだけの横幅30cmくらい、高さもせいぜい5〜6センチ厚さ数ミリの薄い道具であり、表面に何やら複雑な目盛りが印刷された竹製品である。これにガラス窓に縦に赤い線をひいたカーソルと呼ばれる小さな窓を一番外枠にはめ込み、これも左右に動かしてこの線に必要な数字を合わせることで数値を置いたり計算の答を得たりする道具である。

 この道具を知ったのは恐らく高校での教科書ではなかったかと思う。計算尺には三角関数などの目盛りも入っていたように思うけれど、基本的には掛け算と割り算の道具である。刻まれているのは対数目盛りと呼ばれるもので、計算尺の仕組みはそれほど難しいものではない。例えば10の一乗は10であり、10の二乗は100である。同様に三乗は1,000、四乗は10,000となる。そこで10の二乗に10の三乗を掛けることにする。そのときの答えは100×1000だから100000である。このときのゼロの数を数えてみると5つである。10^2(^をべきと理解し、こう書いて10の二乗と読んでほしい)×10^3=10^5となるのである。ここで指数だけを見てみると、この式は本体が掛け算であるにもかかわらず指数を加算する(2+3=5)ことで答え(10^5)を得ることができることを示している。

 さて10^1=10、10^2=100と言ったけれど、この1,2のべき数を仮に1.1だとか1.856などと小数でもいいことを認めるなら、10から100までのどんな数字も10^1.・・・・と言う指数で表すことができる。そしてこの考えを拡大していくならどんな小さな、またどんな大きな数値もすべて10^aと言う指数の形で表すことができることになる。先に述べた1000だの10000だのはこのaが3または4であることを示しているに過ぎないからである。
 ここまで(つまりどんな数も10の指数で示すことができることが)分かってくると、ある数とある数の掛け算というのは、その数値を10の指数に変換することができれば、その指数同士を加算しその加算結果の指数を本来の数字に変換することで答えが得られると分かってくる。

 こうした考え方はなにも「10」(底・てい、と呼ぶ)を基本とした指数のみに限られるものではない。どんな数字(たとえ整数でも分数でも無理数でも)であってもこの法則は成立するからである。現在では10の代りに自然対数の底として「e=2.718・・・円周率と同様無理数である」が用いられている。その論議は私自身、eを使うことで微分方程式が簡略化される程度の理解しか持ち合わせていないのでここでの説明は省略する。単に指数を用いることで掛け算を足し算に変換できること(同じように考えていくと割り算は引き算になる)を言いたかったのである。

 こうした指数関数を目盛ったのが計算尺である。計算尺には様々な目盛りがあり、πを乗ずることや三角関数領域にまで及んでいたように記憶しているものの、私の理解できる範囲はせいぜいが掛け算、割り算程度であったことは自白するまでもない。こうした対数目盛りを使うことでなんとも不思議なことに、掛け算や割り算の答が計算尺上に現れてくるのである。具体的な使用方法はさておき、こんな不可思議な現象に多少なりとも数学好きだった高校生の私は有頂天になってしまったようである。

 だが温度変化による目盛りの誤差を少なくするために材質には竹を用い、しかもその表面に象牙を張ったなどと言われていたこの計算尺はまさに精密機械であり、価格も高くそう簡単に私の手に入るような代物ではなかった。ともあれ目盛りそのものは単純である。恐らく教科書に計算尺と同様の目盛りが印刷されていたのだろう。その印刷に合わせて中央の目盛りがスライドできるような仕組みさえ作ることができるなら計算尺は手作りできることに気づく。恐らくボール紙を使ったのだろう。大きさの少し異なる何枚かの厚紙を重ねて中空の固定尺をつくり、そこにスライドできる中尺をはめ込みローソクを塗って滑りやすくする。そしてそこへ印刷された目盛りを切り取ってのりで貼り付ける、そんな記憶がかすかに残っている。カーソルはどうしたのだろうか。恐らく枠だけを作り木綿糸でも貼り付けたのだろうけれど、そこまでの記憶は残っていない。

 ところで計算尺はアナログである。求める答えは特定の位置にある目盛りを目で読み取ることで得るからである。つまり、たかだか30cm程度の装置に刻まれた目盛りを目で読み取るしかないのである。しかも刻まれているのは対数目盛りなので、1に近いほうは目盛りの間隔も広く読みやすいけれど、3,4,5・・・と数値が増えていくに従ってその間隔がどんどん狭くなっていくので読みにくくなり、それだけ精度も低くなってしまうのである。恐らく有効とされる精度はせいぜい3桁程度ではなかっただろうか。もちろん目盛りを更に細かくしていくことは可能だけれど、目で読み取ることを考えるならそうするためには計算尺そのものを大きくしなければならない。理屈だけ言うなら、精度を一桁上げるためには計算尺の横幅を10倍にしなければならないということである。つまり30cmを3mにすることでやっと3桁の精度が4桁に上がると言うことでもある。

 だから例えば3桁同士の掛け算の答えは基本的には6桁になるから、最後の6桁目までを正確に計算尺から読み取ることは不可能に近かった。また4桁や5桁の掛け算や割り算などの計算も、数値そのものを正確にカーソル線を合わせることが難しいこともあって、便利な計算道具とは必ずしも言えなかったようである。更に位取りは計算尺のまったく不得意な分野であった。3.02×7.5も、30.2×75も同じ動作で答えを出すしかなく、その答えが22.65なのかそれとも2265なのかは自分の頭で判断しなければならなかったからである。

 それでも私の計算尺への夢が潰えることはなかったようだ。税務職員として就職して何年目だったろうか。ついに私は念願のこの道具を手に入れたのである。価格はいくらだったのか、欲しいと思うどんな直接的な動機があったのか・・・、その辺の記憶はまるでない。仕事にも家庭でもそれほど必要があったとは思えないのだが、それでも見かけの割にずっしりと手応えのある真っ白な計算尺の重さとカーソル線の赤い色だけは今でも鮮やかに記憶している。
 比較的しっかりした少し凹んだ紙製の立派なケースに入っていて、たしか「ヘンミ」と書かれているまるで宝物のような私専用の精密機械だったのである。

 何に使ったのだろうか。今となってはほとんど覚えていない。ただ税務の調査先に持って行って、帳簿などのデータの割り算に使ったことだけは多少記憶に残っている。税務の調査は割り算が基本である。売上に対して在庫や仕入や経費や利益などの割合がどうなっているか、前年と比較した各科目それぞれの割合の変化に異常はないか、在庫の回転率はどうか、細かい話にはなるが豆の仕入れに対して豆腐の製造高はどうか、床屋のネックペーパーの仕入枚数から見た年間の客数は妥当か、製造工程からみて廃品の割合や歩留まりはどうかなどなど・・・。
 パーセントや割合を出すのは、たとえそれが概数であったにしても調査方針を決める参考にするための大切なデータになる。だから得られた数値が2桁、3桁程度の精度であっても十分に活用できるのである。そんな計算くらい暗算やそろばんでもできるではないか・・・、と言われてしまえばそれまでのことである。なにしろ仲間や先輩の全員がこうした比率の検討は当然の仕事として日常的に行っていたのであり、その計算に計算尺など使う者など私の知る限り一人もいなかったからである。

 それは恐らくSFじみた映画や家庭に普及しつつあったテレビなどからの影響があったのかも知れない。白衣を着た科学技術者やロケット開発のスタッフなどの胸には、いつも私の持っているのよりも小型ではあるが計算尺が、まさにそれが先端を行く科学技術の象徴そのものでもあるかのように燦然と輝いていたからである。そしてそれを手にしてまるで宇宙そのものを計算するかのように、少し顔をしかめながら考え込んでいる研究者の姿に私もどこか憧れたのかも知れない。たとえ計算尺が自らをその位置にいると錯覚させるための小道具に過ぎないのだとしてもである。

 それほど実用的ではなかったのだろう。いつの間にか計算尺は私の手許から消えていった。割合などの計算以外に便利さを感じたことはあまりなかったような気がしていることや、その便利さもやがて登場してきた電卓にその座を明け渡すことになっていったからなのかも知れない。それでも私の中で「計算尺」の語はどこか今でもとても懐かしい響きを持っている。それは実用的な計算機だったという意味ではなくて、「掛け算が足し算に変わる、割り算が引き算に変わる」と言う指数関数の不思議に気づかされた算数好き青年の遠い思い出のかけらがそうさせているのかも知れない。


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                                     2010.9.2    佐々木利夫


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