E 関数電卓
小学校から中学校にかけて加減算と乗除算の混ざったいわゆる混合算が登場する。例えば1+2-3のような加減算のみのものから4+5×6÷3-7のような乗除算を含んだものまで多様である。こうした計算は、加減算のみ、または乗除算のみなら数式どおり頭から順に計算していけばいいのだが、加減算と乗除算が混合しているときはそれでは間違いになる。こうした場合には計算順序が決められていて、掛け算割り算を最初にやり、その次に足し算引き算をやることになる。そしてそうした考え方をより整理するために括弧が登場してきた。つまり「( )内の計算は先にやる」と言う約束である。
だから先の混合算では頭から計算していくとすれば「5×6÷3+4-7」のように順序を変更するか、または「4+(5×6÷3)-7」と書き直して( )の中を先に計算するかのいずれかを選ばなければならない。
このような計算式どおりの順に計算を命令できる機能を持たせたのがいわゆる「関数電卓」である。例えば2×3+4×3の計算をするとする。これを単純に電卓のキーを操作していくと、2×3で6、それに4を加えて10、それに3を掛けるので答えは30になってしまう。正答を得るためには関数電卓についている「右括弧、左括弧」のキーをつかうのである。つまり(2×3)+(4×3)として入力することで正答の18が得られることになる。
もちろんこんな程度で「関数電卓」とはおこがましい限りだから、実際にはもっと複雑な機能を持たせたキーがいくつもついている。
私がこうした電卓を手に入れたのは何歳の時だったろうか。多少へそくりを溜め込んだかも知れないけれど、少なくとも家計に影響を与えるほどの価格ではなかったように記憶しているし、いささか重いながらもとりあえずはポケット型になっていることなどから考えると、恐らく40歳前後ではなかったと思う。
シャープの製品でニックネームが「ピタゴラス」と名づけられた「ELSI MATE EL―5000」と言う機種であり、なんと右括弧、左括弧も含めて全部で39関数、仮数10桁、座標変換つきというなんとも豪華なものである。もちろん中途までの計算結果を一時的に保存しておける「メモリー」機能まで備えられていた。単三の乾電池4本を使い、まだ液晶にはなっていない緑色のフィラメントの数字である。今ではほとんど使う機会のないまま机の角に押し込んであったのだが、このエッセイを書き始めてからふと思い出して電池を入れてみた。なんたる感動か、当時と少しも変わらずに動いてくれたのである。
39関数とは、平方根、対数、sin,cos,tanなどの三角関数、任意の数の任意の累乗や累乗根などなど、中には私にはまるで理解できないような機能のボタンまでついている。仮数10桁とは有効桁数が10桁まであるということである。つまり例えば10桁×10桁の計算結果は20桁になってしまい、通常の電卓ではオーバーフローとして計算不能になる。だがこの電卓は上から10桁までは正確に表示され、その後にまだ0が10桁続くとの意味で指数部に10と表示されるのである。つまり最低でも有効な桁数が10桁は保証されているのである。座標変換とは恐らく角度を度数表示からラジアンに変換するものだろうが、私にはそれを使いこなす能力が当時も今も欠けていたのでよく理解できていない。
そうした複雑な機能が仕事上要求されていたとはとても考えられないので、仕事のためにこの電卓を手に入れたとは考えにくい。もちろん通常の加減算や乗除算もできるから、そういった意味では普通の電卓の代わりとして使えなくはない。だがそのためなら当時既に職場に配備されていた通常の電卓で十分なはずだから、わざわざこんな複雑なものを手に入れる必要などないであろう。
また仕事以外に、測量士になりたいとの夢を持っていたわけではないし、建物やロケットの設計などの計算に興味を持っていたわけでもない。だとすればこの電卓の出番など、仕事でも趣味でもなかったはずである。恐らくそれは「そろばんなどでは対応できないようなある種の複雑な計算をこの電卓には命令することができる」との機能に、どこかで惚れこんだからなのだろうと思う。それはその後いわゆるマイコン、つまりマイクロコンピュータを手に入れてこつこつプログラムを打ち込むことへの過渡期ではなかったかと思う。先週発表した「電卓」にも書いたことだが最初に触れた電卓の赤いフィラメントの瞬きに感じたときめきへ、この関数電卓でもう少し近づけるようになったということなのかも知れない。
私はこの関数電卓にかなり入れ込んでいたような気がしている。それは関数電卓を使った問題集が2〜3冊、今でも書棚に埃を被ったままながら残っているからである。問題集のページが進むにつれてあんまり利用したような形跡は残っていないけれど、最初のほうにはけっこうアンダーラインなどの書き込みが目に付く。こうした本が残っているのは、当時関数電卓を使った国家試験があったこと、そしてその試験に挑戦したいと思ったからなのかも知れない。今やパソコンが数万円で手に入る時代になって、例えばエクセルなどの表計算機能を使うことで簡単に関数計算ができるようになっているから、恐らくこの試験は今ではもう廃止されていることだろう。
とは言っても私がこの試験を受けたかと問われるならば、答えは残念ながらノーである。問題集を買って計算式を考え入力し、その答えを合わせたことで、どうやら関数電卓に満足してしまったらしい。もちろん仮に関数電卓の資格を取得したところで、仕事も含めてそれほどの実益はなかっただろうけれど・・・。
さて、もののついでである。国家試験のための問題集から比較的易しい一問を引用してみよう。
年収250万円のサラリーマンが7年後に2倍の年収500万円になるためには、年平均何%づつベースアップしていかねばならないか。
計算方法は複利計算と同様になるから、
500万円=250万円×(1+平均ベースアップ率)^7 となる。^はべきのことで、^7は7乗のことである。
両辺を250万で割ると
2=(1+平均ベースアップ率)^7
それぞれの対数をとると
log2=7log(1+平均ベースアップ率)となり、これは
log2÷7=log(1+平均ベースアップ率)と変換できる。
ここで関数電卓の出番となる。数字の「2」を押し関数キー「log」を押し「÷」「7」「=」と押す。
2log÷7=とマシンを操作すると、0.0430042・・・が表示される。これは対数での結果なのでこれをもとの数に直すためこの表示のまま、「10^x」(10のx乗の関数キー)を押す。
画面は1.104089・・・になる。ベースアップ率はこの数値から1を引いたものだから、
答えは0.104089・・・つまり年に10.44%のベースアップがあれば7年後の年収は2倍になるのである。
私はこの手のひらサイズの関数電卓に向かって、こうした問題だとか物価の上昇率を使った問題、更には忍者は水面に出ている草丈が水面下に沈むまでの距離から堀の深さをどうやって推定したかなどの問題にせっせと挑戦していたのである。
そしてここでも電卓は、三角関数や対数などの表示にはほんの僅かではあるけれど緑色のデジタル表示を瞬かせたのである。その瞬きはやがて私にコンピューターへの憧れを更に加速させることになったようである。しかもこの計算の順序を考えることはそのまま一種のプログラムの作成過程になっていることでもある。なんたってこの電卓を手に入れて間もなくの昭和52(1977)年、私は生まれて始めてコンピュータと言われるまるで神様の化身でもあるかのように思えるマシン(ベーシックL2)を、東京秋葉原まで出かけて手に入れることになったのだから・・・(別稿「
コンピューターがやってきた」参照)。
2010.9.14 佐々木利夫
リンク 私の計算機遍歴(1)「指・そろばん」、(2)「計算尺」、(3)「手回し計算機」、(4)「電卓」
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