読むことや読めることなんてのは、人により程度こそ様々ではあろうけれどどこか当たり前のことだと感じていた。もちろん私にとって勉強不足が最大の原因ではあろうけれど外国語はまさにお手上げ状態だし、たとえ日本語で書かれた文章にしたとろで、これまでに読書で挫折した例は生煮えから歯が立たなかったものまで、数え切れないほど存在している(別稿、「しまった・・・、ダンテ」、「ダンテ、やっぱり・・・」、「ファウスト、つまみ食い」参照),。また挑戦しただけましだと言えなくもないけれど、カントの純粋理性批判などは翻訳書だから日本語のはずなのに、到底日本語だとは思えないほどの無残な有様のものもあった。

 とは言えまあ新聞くらいならほどほど理解できる程度の力はあったから、こうした様々な挫折に対しては、「理解不能な本は書いたやつの方が悪い」(原書なんぞ当然に読めない私にしてみれば、こんな理解不能な翻訳こそが元凶だと言うべきかも知れないが)とばかりに、理解に届かないすべてを「すっぱいぶどう」にしてしまうことでなんとかこれまでの人生をごまかしてきたのかも知れない。

 「字を読めるようになりたい」、戦乱や難民で教育の不備が続く外国の、5歳の女の子がカメラに向かって恥ずかしそうに呟いたひとことである(NHKテレビ、海外ネットワーク、3.28)。私はこの呟きについ数日前に読み終えた「朗読者」(ベルンハルト著、松永美穂訳、新潮社)の内容を重ねていた。
 この本(朗読者)は気分が悪くなって道端で吐いた15歳の少年とそれを介抱した21歳年上の女ハンナとのいささか屈折した愛の姿から始まる。少年が少しでも学校をさぼろうとすると極端なほど許そうとしない姿勢やちょっとしたメモの内容が伝わらないなど、彼女とのどこかちぐはぐな付き合いのまま物語は進行していく。そんな中で彼女は少年に手当たり次第に本を読んでもらうことに執心するようになり、少年もまた彼女の喜びに応えようと彼女の家へと熱心に通う。そんなある日、彼女は忽然と少年の前から姿を消し彼の愛は中途半端なまま破局を迎える。

 彼女との再会は、大学生になった少年がある研究のために傍聴した法廷で、被告人として座っている背中との出合いであった。彼は欠かさずにその裁判を傍聴する。事件はドイツのアウシュビッツなどの強制収容所において看守の仕事をしていた彼女の、囚人を保護すべき責任を巡るものであった。看守としてのハンナはナチスの親衛隊員であり、逮捕されたのは戦後20年を経てからであった。

 彼女の起訴理由は次の二つである。@収容所においてアウシュビッツから送られてくる女性囚人の中から移送後死亡した者をのぞいて毎月60名ほどを選別して再び送り返したこと、A看守たちは何百名もの女性囚人を教会に閉じ込めていたが、空襲で教会に落ちた爆弾で火災が発生したとき、ハンナたちは閉じ込めた扉を開けけることなく多くの囚人を死亡させたことである。

 彼女は裁判所の手紙にも召喚状にも反応せず、警察にも検察にも裁判所にも姿を見せず突然逮捕される。そんな彼女の裁判を傍聴しているうちに、彼は「もしかしたらハンナは文字が読めないのではないだろうか」との疑いを抱くようになる。
 裁判はやがて当時の同僚でハンナと同じ罪で逮捕された数人の被告人の女の一人が裁判長へ向かい、ハンナを指差して叫ぶ場面になる。「・・・あの女(ハンナ)に訊いてください。あの女が報告書を書いたんです。あの女のせいなんです。あいつ一人の。報告書を書いて事実をもみ消そうとしたのも、あたしたちを巻き込もうとしたのもあの女です」(P120〜121)。

 この証言を裏付けるべく検事は報告書の筆跡とハンナの筆跡を専門家に鑑定させるよう裁判長に求める。その時、今まで「わたしは書いていない」と主張していたハンナが突然発言する。「専門家を呼ぶ必要はありません。報告書を書いたのは私です」(P124)。だが傍聴している彼には、ハンナが読むことも書くこともできないであろうことを少年の頃の付き合いや裁判の経過などから確信する(P126)。筆跡そのものがハンナには存在し得ないからである。裁判長がこの単純な事実を知るだけで彼女の量刑は大きく軽減されることだろう。だがハンナは頑なにその事実を自らに拒み続ける。

 彼は思う。「彼女は裁判で争っていただけではなかった。彼女は常に争ってきたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために」(P128)。最後まで文盲であることを彼女は隠し通し、彼もまたその裁判に内心の悩みはともかくとして何らかを働きかけをすることはなかった。
 判決は無期懲役だった。しばらくしてから、憑かれたかのように彼は自らがカセットテープに吹き込んだ様々な朗読を刑務所の彼女のもとへ送り始める。それは懲役の8年目から始まり、彼女の恩赦が認められた18年目まで休むことなく続く。そしてその出所の日の夜明け、彼女は首を吊って死んだ。彼一人を除いて彼女が「読めなかったこと、書けなかつたこと」は永久に閉ざされることになったのである。

 彼女の死が自らの文盲を隠すためだけにあったのかどうか、私には必ずしも言い切れないような気がしているけれど、それでも「読む」、「読める」とは一体なんなのだろうかとの問いかけをこの本はしているように思える。「読んで理解する」ことの意味は一体どこにあるのだろうか。私たちは読むことや読めることをあまりにも当たり前に考えている。そしてそのことが自らと密接不離な要素としてあたかも自身を構成しているかのようにも・・・。

 言葉とは不思議な存在である。この「朗読者」の前に読んだユダヤ人少女の成長を描いた「愛を読む人」(パール・アブラハム著、角川書店)にはこんなことが書かれていた。
 「英語で書かれた本は罪悪だから、読んではいけない。ゼラチンがはいっているから、ガムもマシュマロも食べられない。コーヒーもだめ。水着もだめ。トスッキングも、体にフィットするドレスもだめ・・・。ニューヨーク郊外の厳格なユダヤ人社会に育った12歳の少女レイチェルは、ユダヤ教の戒律にことごく反発し、普通のアメリカ人の女の子として生きたいと願う」(扉から)
 「ユダヤ人がエジプトで生き長らえた理由は三つある。名前を変えず、服装を変えず、言葉を変えなかったからだ」(P28)

 そして現在、ダブルリミテッドと呼ばれる子供たちの存在が問題になっている。この子たちは外国から日本に出稼ぎに来た親に連れてこられた子たちである。この子らは母国語も日本語も満足に話したり読み書きしたりできないまま、この不景気により失業したり帰国するか残るかなどに惑う親の生活の中で翻弄されている。日本に残ったとしても、たとえ生国であるブラジルに帰ったにしても、いずれにしてもこの子たちは日本語もスペイン語も満足に知らないままになってしまうのである。

 私たちの間では、話すことはもちろん読めないことや書けないことが普通話題になることはない。それは幼児教育から始まって、それだけ言葉や文字が日本人の隅々にまで空気のように浸透していることにあるのかも知れない。私たちは日本語を特別に意識することなく日常的に学び、理解し、利用している。日本人は意識するしないにかかわらず日本語で考えているのだろうし、日本語で考えることそのものの中に日本人としての意識が潜在しているのだろう。

 アイヌは文字を持たなかったと言われているし、世界に文字を持たない民族がいくつも存在していたこともまた事実であろう。歴史の中では、文字を作ることで民族の自立を図った為政者がいたとの話も聞いたことがある。だから文字を持つことだけが民族存立の要件でないことを知らないではないけれど、文字を持っていること、そしてその文字を読めることは、どこか量り知れない幸せの一つなのかも知れないと、あまりにも馴れきってしまっている日常にどこか一石を投じられたような気がしたのである。



                                     2010.3.30    佐々木利夫


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