193 歳より若い メモ 時期不明

 年齢より若く見られて嬉しがるのは、もしかしたらこれから生残ることのできる時間の長いことを喜んでいることを示しているのだろうか。今の若者を見ていると、若く見られることにどこか力が入りすぎているように思えてならない。私が同じような年齢の時には、自分だけの勝手な思い込みだったかもしれないけれど、今の若者よりももう少し大人じみていたような気がしている。

194 大人になりたくない メモ 時期不明

 成人の日である。若者の声を聞く場面が多い。そしてその中に「大人になりたくない」との声がけっこう多かったような気がする。バイトの賃金は全部自分のもので、生活費や学費は親任せ、酒やタバコなどの金も親掛かりで、それが当たり前と感じている若者の姿は、「パラサイト(寄生)」と呼ばれてそれなり問題視されているけれど、世の中どこか間違った方向に進んでいっているように思えてならない。

195 中学生と携帯電話  新聞投稿 時期不明

 「中学生にケータイは必要ない、というのは本当でしょうか。よく考えてみたら、大人より中学生のほうがケータイが必要だと思います。一つ目の理由は、・・・学校や部活、塾など、親なしで移動することが多いからです。自分の身に何かあった時、ケータイをもっていれば、すぐに使えます。また、友達同士でもすぐに連絡がとれます。二つ目の理由は、今は「パケホー」(などの契約で経済的な負担は少ない)」(朝日新聞、岐阜県中学生、13歳女子)。

196 死刑執行と法務大臣 新聞投稿とメモ 2010.8.2

 「(法務大臣が死刑の執行の判断を下したことに)私は怒っている。千葉景子法相は死刑廃止論者ではなかったのか。・・・死刑執行の最終判断権を法務大臣が握り、これを決するのは、・・・単なる法務官僚である検事とは異なる判断をゆだねられているからである。・・・政治家は、国内はもとより国際的な刑罰制度の運用も考慮して死刑執行の是非を判断しなければならない・・・」(朝日新聞、投稿、千葉法相の死刑執行 おかしい、武蔵野市 弁護士66歳)。

 一私人が、自らの意思に基づいて死刑制度の是非を論ずるのは、むしろ必要なことである。でも私はこの投書の主が弁護士であり、しかも弁護士であることを表示した上でこのような意見を発表したことになんとも言えないやりきれなさを感じたのである。それは「死刑制度を廃止しよう」との呼びかけではなく、「法律を無視しろ」との意見、つまり法治国家の行政の要である法務大臣へ向かって法の遵守を投げ出すよう求める意見だったからである。弁護士なのだから死刑の確定が最高裁を含めた裁判所の判断であることくらい知っているだろう。少なくとも現行法制度の下では、死刑は確定した以上執行しなければならないのである。それが法務大臣の責務なのである(別稿「裁判員と死刑判決」、「死刑廃止と裁判員制度」、「執行されない死刑判決」参照)。法治国家の一翼を支えるべき弁護士が、法そのものを無視せよと主張する姿に、私は「法の死」みたいな感じを抱いたのである。

197 死の発祥 メモ 時期不明

 聖書によれば、アダムとイヴは神の姿に似せて作られた(創世記1章26節〜27節)。禁断を実を指して神はこう言う。「死ぬといけないから、食べても触れてもいけない」(創世記3章3節)。この実を食べてしまったことで、人の死はここから始まったのかも知れない。前提となる「この実を食べた者は死ぬ」が神の意思であるならば、その実を口にしたのはイヴである。イヴは神の禁忌を破っただけではない。「人の死」という神すらも解けない領域を、自らの意思で選んだのである。神は禁断の実である智恵の実を食べることはもとより触れることも禁止した。善悪を知ることは人が神になることだからである。神にもこの実の持つ力をコントロールすることはできなかったのである。そしてアダムはイヴの誘惑に負けた。だからそれを「原罪」と呼ぶのはいいだろう。人の智恵は神を凌ぎ、際限なき殺戮の中へと人みずからを追い込んだ。

198 旧約聖書 メモ 時期不明

 そんなに古い時期のものではないと思うのだが、「旧約聖書を語る」というNHK教育テレビの録画テープを持っている。最近これを改めて再生してみた。解説者はこの中で「皆さんは聖書につけられた名称が、『旧訳』、『旧約』どっちだと思いますか」というのがあった。それは私にとって長い間の誤解でもあり、聖書の基本にかかわることではないかも知れないけれど、とても大切な問いかけのように思えた。私は長い間、新しい訳、旧い訳とのイメージで理解していたからである。つまり私の理解は「訳」であり、いわゆる翻訳とか口語訳とか新しい解釈みたいなイメージで理解していたということである。だからそれが「訳」ではなく、「約」つまり「神との契約」の意味だと分かったときはとてもショックを受けたことを覚えている。ユダヤ教では新約聖書は認められていないそうである。つまり「旧約」そのものがない、旧約聖書だけが聖書なのである。

199 ペレットストーブ メモ 2006.10.12

 廃材や木材として不適格な材木を使って小指大のペレットを作り、燃料とする方法が開発されている。そのために木材を伐採はしていません、廃材利用だからエコロジーです、と開発者は胸張ってこたえる。だがその原料たる木材は、出荷できない(製材としての利用価値がない)ので、もともと山に放置されていたものを利用しているのである。ならぱ、その放置された木材が朽ちていく過程で影響するであろう細菌や昆虫や周りの植物などはどうなるのだろうか。「朽ちる=効用ゼロ」は正しい発想なのだろうか。「エコ」だと胸張るばっかりの思い込みにはどこか気になるものがある。

200 神 メモ 時期不明

 神とは正義の別称なのかもしれない。

201 骨女(ホネオンナ)伝説 メモ 時期不明

 青森県にはお盆の晩に現われる骨女と呼ばれる、骨ばかりの女の妖怪がいるそうである。昔、醜い顔の女が悲観して自殺しガイコツと化した。だが仲間のガイコツから「お前はガイコツになったら美しい」と褒められた。それに気を良くした女は、裸のままカタリカタリと歩くようになったという(水木しげる、妖怪道五十三次、P7)。なんだか切なくて悲しい話である。

202 復讐 メモ 時期不明

 復讐だって、描き方によっては正義になる。人はそれを都合の良いように、正義をさまざまに加工してきた。

203 親愛なるイエス様 メモ 2006.12.20

 「親愛なるイエス様。人間を死なせて新しく造るかわりに、今いる人間を長持ちさせたらどうですか」(ローマ発「子どもたちからイエスキリストにあてた質問集」より、朝日新聞特派員メモから)。


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                                     2013.3.26     佐々木利夫


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雑記帳始末記(15)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。