少し前に日本の結婚の歴史について調べた論文を読み始めて、あまりのヴォリュームに挫折してしまったことは既にここに書いた(別稿「ああ招婿婚」参照)。その時に、この論文が日本の婚姻の形態が、女の家へ男が通う形態から男の家へ女が入ってくる形態へと変化していったことを基本に置いていることはすぐに理解できた。ただそうは言っても読み始めてすぐに挫折してしまったのだから、「そんなものか」と思ったくらいで特に記憶に残るほどのものではなかった。

 それが、この本とはまったく無関係に読み始めた別の内容の本の中に同じような視点があって、改めて日本の婚姻の歴史が女の家へ男が通う形から変化していったことを知らされることになった。「日本人の動物観 ー変身譚の歴史ー、中村禎里 著、海鳴社」がその本である。

 この本は動物が人間に変身し、人間が動物に変身する日本の神話や伝承を綿密に調べた上で、日本人と動物とのかかわりを検証しようとした壮大かつ珍しい試みの記録である。研究内容そのものはけっこう学術的かつ難解で、しかも対象が日本全土にわたるほか外国との対比など必ずしも私の理解を超えている部分もあって、ついていけない場面も多々であった。ただそれでも、馴染みのある民話や分かりやすい伝承などの事例が随所に引用されているほか、人間の動物への変身や動物が人間に変身する事例を細かく分析した表が添付されているなど、随所に筆者の努力が見て取れた。それで、難解なりにウラシマ伝説や羽衣伝説、キツネやタヌキやヘビなどの出現につられてどうやら読み終えることができた。

 最初になるほどと感じたのは、日本ではその目的が復讐にしろ報恩にしろ動物が人間に変身する例が溢れるほどにも存在しているのに対し、外国にはそうした例がほとんどないことについてであった。人間が魔女などの呪いによって白鳥や蛙にされる話しはあっても、動物が人間に変身するような童話や伝説などはほとんど聞いたことがないことを改めて知らされた。

 赤ズキンちゃんの話は狼がおばあさんになってベッドで寝ている話だが、これは別に狼がおばあさんに変身したわけではない。単に衣服を着て「おばあさんの振り」をしているに過ぎないからである。だからズキンから外れた口は大きく裂けており、腕は毛むくじゃらのままなのである。満月の夜に変身する狼男も人間が変身するのであって本質が人間であるのだから、たとえ一定の時間経過後に狼の姿から人間に戻ったとしてもそれは戻っただけであって、決して狼が人間に変身したものではない。

 ところが日本では動物が人間に変身する例は枚挙に暇がないくらいたくさん存在している。むしろ当たり前に存在しているといってもいいくらいである。「鶴の恩返し」のおつう、「カチカチ山」ではおじいさんを騙して殺したおばあさんに肉を食わせる狸、「葛の葉」のキツネなどなど、いくらでも挙げることができる。「浦島太郎」も原型では亀は単なる竜宮の使いではなく乙姫様だったとの話もこの本から知ることができた。しかも人間に変身した動物の多くは結婚して子どもをつくることができるのである。

 その婚姻の形態について筆者は、こんな風に書いている。

 「・・・(別の研究者が)『日本昔話集成』に集めた『ヘビ女房』昔話において、男性と女性がはじめてあった場所をしらべると、男の家一九、男の家の近く五、旅先二、川・渕・橋三、山一という分布を示す。以上の流れを見ればわかるように時代が降るとともに、男性が女性のもとを訪れる型が衰え、逆に女性が男性の家にたずねて来る型が優位を占めるようになる。この変化は・・・妻処訪問婚から夫処婚へすすむ婚姻制度の変化と関連している可能性が大きい」(同書、P232〜)

 私は稚拙ながら源氏物語について少し書いたことがあるが(別稿「勝手に源氏物語」参照)、僅か千年ほど前の時代であるのに、結婚は妻の家に男が通う形態がほとんどである。つまりこの頃は現在と違って妻処訪問婚が婚姻の基本であったことが分かってくる。

 その次に読んでいて気になったのは、動物が死後に人間に変身するような話が近世になって減少していることについてであった。筆者はこんな風に書いている。

 「・・・動物とくにヘピへの転生説話が近世初期に多く中期以後に少ないという事実は、見せかけの現象ではなく時代的な動きをあらわしている、と推論できるだろう。では死後転生譚は時代を降るにつれてなぜ減少していったのだろうか。ここでもっとも大きな要因は幽霊譚の隆盛だろう。もちろん亡霊の存在は古くから説かれていたが、近世における幽霊の跳梁ぶりはなみの状態ではない。なかでもそれは、愛執・怨恨を動機として出現することが多く、この動機は死後におけるヘビへの転身の原因と完全に重なる。
 第二に、仏教をめぐる日本人の心のさまに変化が生じたのではないだろうか。知識人の教養の中心は儒学に移り、しかも一八世紀の吉宗の時代以降、大衆教化の手段として儒教を普及する動きがはじまった。そのうえ儒学者たちは仏教を廃し、神道と同盟をむすぼうとする。なかでも仏教の宗教的超越性と絶対性が批判の対象となった。仏教のほうもしだいにいわゆる葬式仏教へと変質した」(同書P234)

 つまり幽霊の隆盛がヘビの死後転生の減少に結びつき、その背景には儒教の普及、神道に押されていった仏教の変質があるとの説である。私たち、特に私だけが強く感じていることなのかも知れないけれど、現代の葬儀のあまりの形骸化、わけのわからないお経と称する歌の押し付け、そして結婚式は神社(最近は教会が多いけれど)で葬式はお寺という分業化みたいな習俗の変化までをも、動物変身譚の研究が示唆してくれたことに少し驚いているのである。

 そしてこういう切り口からも私たちの今の時代が古代からつながっていること、私たちが揺るぎないものとして信じている多くがそれほど強固な土台を持っているものではないこと、それ以上に日本人が日本人であることの背景には名もなき先達の様々な生き様が存在しているのだということを改めて教えてくれたのであった。


                                     2012.5.25     佐々木利夫


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へびと幽霊