私の中で「現象学」という言葉とこの学問の創始者であるフッサールという人名とは同じ意味を持っている。だがこの記憶は私が現象学を学んだり興味を持って理解しようとしたことによるものではない。なぜなら、私はこの言葉について学ぼうとした記憶はまるでなく、単語以外に何の知識もないからである。もちろん多少興味があってかつて挑戦したことがあり、そのことを今ではすっかり忘れてしまっているという可能性がないではない。

 現象学とは哲学、もしくは心理学の分野の言葉である。そうした分野に興味があって様々な本を読み漁った時期がないではなかったが(別稿「私の39歳の読書(1)、「同(2)」参照)、そこにもそれらしい読書の痕跡がなかったから、やっぱりこれまでに挑戦したことなどなかったように思う。

 それでも私の中には「現象学、フッサール」という言葉だけが呪文のように残っている。とすればこの言葉を記憶した確からしい源泉は高校時代に遡ることになる。そのときにだって現象学に興味を持ったというのではない。ただひたすら哲学にのめりこむようなスタイルを見せることで、哲学青年であるかのような印象を他人に与えることを期待していた、まさに衒学的な時期だったからである。

 その当時、私が哲学青年であることを示すための証拠としていつも携行していたのが一冊の文庫本である。よく読んだことだけは記憶しているし、その本は表紙も破れたまま今でも書棚の片隅に残っている。
 哲学事典(串田孫一編、河出書房、昭和三十年四月十五日三版発行、定価百円、タイトル横のカット参照)がその一冊である。手垢にまみれ赤線や書き込みで見るに耐えないほど汚れているけれど、それでも私の高校時代の「背伸びしようした思い」の記念ではある。

 そこには現象学に関してこんな解説がある。

 「現象学 特にフッサールによって確立された哲学をさす。意識の本質を指向的作用としてとらえ、その本質的構造を分析記述しようとするもの。そのためまずわれわれの直接経験をこえて外的存在の接続を想定する日常的立場を拒否し、そこに含まれる一切の定立を現象学的譲与として純粋意識の事実へ還元しなければならない《先験的還元》。こうして得られた純粋意識を分析記述することによって・・・・」

 実は今読み返してみてもまるで理解できない文章である。事典なのだからもうすこし分りやすく解説してくれてもいいと思うのだが、当時の私の哲学に対する意識のどこかに「理解できないことこそが哲学の本質である」みたいな偏狭な信念があったから、むしろこうした表現に惹かれたことがこの一冊を買う動機になったのかも知れない。だから高校生の私に、この文章が理解できたはずなどないだろう。

 恐らくこの後、哲学そのものから離れてしまったから、現象学に触れる機会など皆無だったように思う。それでもどこかで「現象学、フッサール」と言う呪文だけは頭のどこかに残っていたのかも知れない。ある日、こんな本のあることが分かり、図書館から借り出すことができた(「現象学ことはじめ 日常に目覚めること」、山口一郎、日本評論社)

 現象学に特別の興味があったわけではない。それでも「現象学」というたった三文字しか記憶にないにもかかわらず、どこか懐かしい匂いのする言葉が突然私の前に登場した。恐らくタイトルからもしかしたら少しは理解できるかも知れないとの思いが派生し、それがこの本を借りる動機になったのかも知れない。

 一月ほどかけて、どうやら読み終えることだけはできた。そしてその結果は、読み終えたことと僅かにもしろ理解できたこととはまるで異質なのだとの事実を改めて私に突きつけることになったのである。僅か数行を引用するだけでこの本を評価するのは間違いであることくらい承知している。それでもあえて引用してみようと思う。

 「・・・普通、感覚素材によって一度だけ充実され、直観されて生じたその意味内容は、その『意味の枠』だけぼんやり残しながら、忘れ去られていきます。フッサールは、この空虚な意味の枠をレリーフ(浮き彫り)に喩え、その浮き彫りの稜線が次第にぼやけはじめ、ついにはその凹凸が全くなくなってしまうことに、喩えています。この空虚な意味の枠(『空虚現象』とも呼ばれます)・・・」(同書P87)。

 全編がこんな調子で書かれており、この部分にも私はまるで理解できなかった。この部分だけではない。この著書の全体を通じて、私には現象学についてまるで理解することができなかったのである。私にも理解できる程度の卑近な事例や言葉遣いによる解説を望んでいたからなのかも知れない。

 そしてそうした望みにもかかわらず、「・・・前もって描き出すことを『先行描出』といいます・・・」(同書P89)のような説明にいたっては、分りやすく解説するどころか単なる同義反復(トートロギー)にしか過ぎないではないかと、この著者の読者へ向けた意識に落胆したのである。

 もちろん理解できなかった責任の全部は私自身にある。もしかしたら理解の入り口ぐらいには到達できるのではないかと、この書籍のタイトルに期待したのは私の勝手な思い込みである。そしてその結果、私には哲学など理解できるような素地がそもそもなかったことを思い知らされたのである。

 哲学なんてそんなに難しいものではない、生きていることの中にこそ哲学がある、なんておいしい話は幾度となく聞いたことがあるけれど、私が高校生時代に抱いていた「理解できないことこそが哲学の本質である」とのペダンテックな幻想は、それほど的外れではなかったような気さえしてくる。
 私はこの歳になっても、結局ニィチエを理解することはできず(別稿「懲りない男」、「善悪の彼岸へ挑む」、「やったぜニーチェ(1)」参照)、カントもまた同様になった(別稿「カントへの無謀な挑戦」参照)。高校時代に心酔した阿部次郎の三太郎の日記もまた、知ったかぶりの範囲を超えることはできなかった(別稿「17歳の一冊」参照)。

 哲学を理解することが私の人生の課題だったとは思わない。哲学青年らしく見せようとした高校生の、青臭い中途半端な思いをこの歳まで引きずってきただけのことであろう。70数歳を超えてもまだ、私は哲学とは何かについてまるで理解できておらす、しかも理解しようとする情熱もまた薄れていっている。「かつて哲学を理解しようとしたことがある・・・」、そんな記憶だけを残して、思いの熱は失せつつある。そうした人生も一つの人生としてはありなのかなと思い、かつての青臭さをどこかで懐かしんでいる自分がいる。
 それは哲学を理解しようとしたのではなく、単に知識としての哲学を己の身にまとうことしか考えてこなかったことの報いなのかも知れない。だからそれは当然の結果ではあるのだろうが、ただ決して挫折の思いだけが残されているわけではない。どこか遠い地平線にあこがれているような、そんな中途半端な薄明のもやもやもまた私自身なのである。


                                     2013.2.7     佐々木利夫


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現象学困惑記

哲学事典、河出書房、昭和30年