老化という言葉そのものが時間の経過を示しているのだから、それが加齢とともに進行して行くだろうと考えるのは当たり前なのかも知れない。私もそう感じ、そう信じ、これまでもそうした意味で我が身の老化を書いてきた(別稿「老いることの贅沢」、「手の甲のしわ」、「声も老いるのか」、「老いて人は足跡を残したがるのか」、「年齢へのこだわり」、「部品としての体」参照)。

 ところが最近「評論集 日本の橋、保田與重郎、芝書店」を読んで、少しそうした感じ方に違和感を覚えたのである。この本は昭和11年発行になっているから、私の生まれる前のものである。装丁も古めかしいし、時代を反映しているのだろう字体も仮名遣いも現代とはまるで違っている。読めない文字もあるし、意味のまるで分からない熟語も多い。タイトルに評論とあるがいわゆる学術論文の類ではなく、むしろエッセイに近い内容になっている。

 私の年齢に4歳を加えた時の経過をこの本は経験しているのだから、すでに80年に近い。出てくる地名も橋の名前や各地の名所なども現代とは遠くなっているし、また筆者がこの著書を書くべく原稿用紙に向かったのは発行から更に数年も前のことだろうから、人名や事件などは更に遠くなっている。

 そのことは別に違和感につながるものではない。源氏物語や万葉集だって少なくとも私には想像を超えた遠い時代の話しだし、下手をすれば夏目漱石や森鴎外の作品だって読むことどころか、どこまで理解できるかも心細い限りだからである。

 それでもこの本を読んでいて、どこか読む流れに抵抗の少ないことが気になった。もちろん分らない表現や文字や熟語が随所にあり、それに当時の紙質や印刷技術が悪いこともあって特に複雑な旧字体を中心に活字が潰れているなど、読みにくいことこのうえない。ただそれでも読む呼吸がスムーズなのがどこか気になっていた。

 これまで私はこのホームページへ900本を超えるエッセイを書いているが、会議資料や報告書の作成などなど税務職員だった時代も含めて文章の作成とは長い付き合いになっている。文章は結局他人に自分の思いを伝える手段である。それは学校の作文だろうが記述式の期末試験だろうか、はたまたラブレターだろうが同じであろう。そして私はこれまでに沢山の文章を作ってきた。そしてそうした中で一つの結論を得たことがある。

 それは文章はリズムだということであった。リズムに文章に託した意思を正確に伝えるだけの力をそれだけで持っているかどうか、必ずしも自信があるわけではない。それでも文章に他者に伝える力を持たせるためにはリズムを大切にする必要があると、私は私の経験の中で学んだつもりでいる。リズムは呼吸であり、息継ぎや読む速度などの滑らかさは、文章の意味を超えて相手に理解してもらう力を託せるのではないか、そんな気がしたのである。

 そうした思いはこうして雑文を書き散らしている今でも、それほど変わってはいない。そうした努力がどこまで私のものになっているかはかなり疑問ではある。でも例えばこうした文章を作りあげることも、そしてその文章を推敲するということも、もちろん一義的には「てにをは」や誤字・脱字を補正することではあるけれど、それ以上にどこまで読む人の呼吸に寄り添えるか、息継ぎの句読点はここでいいのかなど、そっちのほうに力が入っているような気がしている。

 そして私の文章の師は、まさに身勝手ながら阿部次郎の書いた「三太郎の日記」にあるような気がしている。理解できないままではあったけれど、この本は私の高校生時代、そして卒業して税務という職場に入ってからも長く傍らに居続けてくれたからである(別稿「17歳の一冊」参照)。

 だから私が仕事や趣味で書いていた文章の基本には、まぎれもなく阿部次郎の呼吸があったような気がする。もちろん私の文章が私自身のスタイルとして定着していくための道筋には、私自身の努力なり意思があったことは事実であろう。でもそうした自身の努力は結局分子をどこまで大きくしていくけるかの意味でしかなく、分母には依然として三太郎の日記が大河のように流れていたのではないかと思っている。

 そして今回読んだ保田與重郎の一冊である。もちろん私はこの著者をまるで知らない。知らないことを自慢するわけではないけれど、ネットで人名検索してみたところによると、明治生まれのけっこう著名な思想家であると知った。私がこの著作「日本の橋」を読んで、その文章の流れに私の呼吸と一致するような感じを受けたことに少し驚いたと最初に書いた。だからと言って彼の文章が理解できたとか、共感できたというのではない。むしろ難解で理解できなかったというほうが正直な感想である。それでもなお、わたしは彼の書いた文章に私の呼吸になじむような一種のリズムを感じたのである。

 そしてそのリズムを感じたということ自体に、私が生まれる前の昭和11年発行のこの書物の持つ呼吸が、私の作る文章の流れの中に息づいているのではないかとの思いを抱かせたのである。つまり、私の中にこの著作の呼吸と一致するものが流れていることを、実感したということでもある。

 そしてそれは、老化というテーマを別の面から考えなければならないことに気づいたことでもあった。つまり、文章なり、文体というのは、年齢や訓練以外の要素からすでに自分の中に出来上がっているもので、加齢とともに熟成したり老化したりするものではないのではないかとの思いでもあった。
 つまり、別の表現をするなら、私の文章は年齢とともに老いていくのではなく、すでに若いときからこのスタイルなっていた、つまり老化してしまっていたのではないかということである。もちろん文章の老化が、例えば身体や精神のように加齢とともに弱体化、脆弱化していくことと同列であることを意味するものではないだろうことくらいの想像はできる。

 でも「日本の橋」を読んでいて、私の中に染み込んでいる文章のリズムが私の生まれる前の昭和11年の文体とどこかで呼応するものを感じ、そして既に私の文体は時を経ることなく老化しているのではないかとの思いを呼び起こしたのである。それはまさに私の文章は既に数十年も前から老化していたのではないかとの疑惑を呼び覚ますものであった。

 だからと言って、私が保田與重郎を理解できたこととはまるで違う。この一冊を読み終えることだけはどうにか成し遂げることができたけれど、「さっぱり分らない」、「ほとんど共感できない」、「まるで意味が分からない」などが目白押しだったからである。言葉としてのリズムが私の呼吸に似ていたことと、その文章を理解できることとはまるで別のことなのだと、私は改めて我が身の不甲斐なさをこの本から教えられることになった。

 今年の年賀状に私はホームページに発表したエッセイが900本を超えると紹介し、「チリはいくら積もっても塵のままで、決して山にはならない」と書いた。そう思った背景には、この保田與重郎の文章にリズムとしては馴染めるるものの、理解にまでは届かなかったもどかしさを感じたからでもあった。

 人は文章にそれなりの思いを込めて書き綴る。そしてそうして書いているうちに、文章は次第に老成し熟成していくのでないかと私はこれまで無意識に思っていた。しかもその変化は単なる老化とは異なり、説得力なり、分りやすさなり、共感への誘いなどへの成長につながるのではないかとの思いでもあった。そして、私の中で文章の基本的な意味を持つであろうと信じてきたリズムについて、それがもしかしたら錯覚だったかも知れないことにどことなく気づかされたのであった。

 「そんなことに今更気づくなんて・・・」と思わないでもないけれど、私の文体が若い頃から老化していたのかも知れないとの思いを抱かせられたのは、多少ショックでもあった。現役を退いて自分の文章を発表する機会は減ってきている。それでも文章を作ることに私はどこかで張り合いを感じてもいた。老化と老成とはまるで別な次元の話だと気づいても、それでもなおそのことに気づかないふりをしながら、私はこれからもこの場へ発表し続けていくことだろう。それを頑固、意固地、我がまま、ペダンティックなどと呼ばれようとも・・・。


                                     2013.1.5     佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



老化の信号