事務所開設から10年を過ぎ、徒歩通勤からでも間もなく8年近くになる。見るとおり道路が縦横に走っていて、道それぞれに様々な特徴がある。今日はこのルートの中から発寒川を題材にとってみようか。

 沖の石の乾く間もなし

 このタイトルは百人一首からのものである。歌そのものは「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし(ニ条院讃岐)」であるが、この歌については既に歌枕を訪ねたことと一緒に書いたことがあるので改めてここでは触れない(別稿「歌枕に遊ぶ」参照)。歌に詠まれた石は海の底に沈んだままだけれど、この川の流れにある石はその時々の水流の変化により乾いた岩肌を見せることがある。

 琴似発寒川は川沿いを上流へと歩いても喘ぐほどの勾配ではないが、それでもけっこうな急流である。この川が恐らく手稲山から藻岩山を結ぶ札幌の南西一体に連なる山々を源流としているだろうことは、橋の上から上流を見渡せばすぐに理解できる。川沿いの所々にはちょっとした広場などもあり、両岸には散策路も作られていてそれなり改修工事の進んだ河川である。

 河原だけでなく川の中にも手で抱えるには少し大き過ぎるような岩がいくつか置かれていて、時に流れに逆らったり埋もれたりを繰り返している。この岩のいくつかが川の水が減ってくると水面に顔を出し始めるのである。そして水から出ている部分は沖の石とは違ってきらめく陽光に乾いた肌を見せてくれるのである。

 そうした状況は今朝の雨、真夜中の雨、日照りの状況などの変化をまさに教えてくれている。天気がいいのにこうした岩が知らぬ間に濁流に埋まっている時がある。私は気づかなかったが、きっと夜半から朝にかけてけっこうな量の雨が降ったのだろう。濁った流れ、増えてきた透明な水かさ、いくつもの岩が半身を陽光に晒している風景などなど、乾いた岩、流れに負けまいと逆らっている岩、埋もれてしまっている岩・・・、川中の岩は直前の天候の移り変わりをそのまま教えてくれているのである。

 せいだかあわだちそう

 秋の気配が川面にもすっかり広がってきて、河原には「せいだかあわだちそう」の黄色い花が群れを作っている。河原全体に広がっているというほどの勢力ではないけれど、まるでそこを縄張りにしているかのように何箇所かの集落を作っている。この草は増えだすと自家中毒を起こして自らの繁殖を止める作用があることについては既に書いたけれど(別稿「セイダカアワダチソウと自家中毒」参照)、そうした他の植物との共存と言うか共生じみた生き方を知ってしまうと、それまで外来種として生態系に悪い影響を与えているのではないかと、どことない嫌悪感を抱いていたこの花にも少しずつ優しい気持ちを抱けるようになってくる。水辺の黄色の泡は今が盛りである。

 かもめ橋

 私が渡ることの多い「長栄橋」の一つ下流にある、人が渡るためだけに作られた小さな橋の名前である。なぜ「かもめ」かは、しばらくこの川の近くを通っているとすぐに分かる。時折、かもめが上空を舞っている姿を見かけるからである。港でも、海岸でもないこんな場所にどうしてかもめなのだろうか。
 この付近が海とはまるで無関係な場所であることははっきりしているのだが、実は橋の上から見ることはできないけれど海岸までは恐らく10kmくらいしか離れていないのである。この川はかもめ橋の3kmほど下流で新川と呼ばれる二級河川に合流し、更に7〜8kmを流れて石狩湾へと注ぐことになる。かもめが海辺から10kmも上流まで餌を探しに来るような習性を持っているのかどうか、その辺の知識を私は持ち合わせていないのだが、それでもこの川でかもめを見ることはそんなに珍しいことではない。

 そう言えば鮎を放流したとか、鮭の溯上を計画しているなどの話を聞いたことがあるし、時々は川釣りを楽しんでいる人の姿を見ることもある。かもめはそうした生きた魚を狙っているのだろうか。私の見るかもめは、いつも悠々と上空をゆったりと滑空しているだけのようであるけれど・・・。

 三角山遠望

 少し遠回りになるけれど、時にはJR沿いを川まで歩きそこから上流へのコースをとって事務所へと向かうこともある。その川沿いの道からは遠く三角山を望むことができる。両岸には住宅や高層マンションなどが連なっているので全コース三角山丸ごと展望とまではいかないけれど、ちんまりとした三角形の姿は琴似の街に一番近いこともあって河畔の風景に良く似合っている。冬の白い姿から春先の淡い緑、そして夏草や秋色へと山肌もまた過ぎる季節を教えてくれる。
 そういえばこの山には三年ほど前までよく登ったことを思い出す(別稿「家より高いや」、「ウスバキトンボ」参照)。事務所から登山口まで約30分、そこからルートによって多少異なるけれど頂上の三角点まで約30分の登山であり、戻ってお昼になるのが事務所の生活リズムになんとなく合っていたことを覚えている。週に二〜三度、事務所に着いたその足でそのまま運動靴に履き替えるのである。

 この習慣は三年ばかり続いたのだが、平成17年に脳梗塞で入院(別稿、「我がミニ闘病記」参照)して以来パタリと止んだ。別に登山に支障のあるような後遺症が残ったわけではないのだが、脳梗塞の原因にはいわゆる「血液ドロドロ」があるようなイメージが強かったこともあり、汗みどろで山道を歩くスタイルにどこか再発の恐怖を感じたことが直接の原因である。それから三年、まだ一度も登ったことはないし、今となっては登る意欲そのものが失せてきているので、これからもあの山の頂に立つことはないかも知れない。そんな思いを抱きつつ、遥かに遠い三角山の方向に向かってゆったりと川岸の道を歩くのである。この川は三角山からの水も集めていることだろう。

 全面結氷

 もともとそれほど水量の多い川ではないせいもあってか、川面は比較的早くから凍り始める。岸の方から少しずつ流れの中心へと進んで行き、やがて凍った上に雪が積もっていく。そしてこれを繰り返しながら狭くなった川面は一層狭くなっていく。
 凍った下でも流れは続いているのだろうけれど、雪に埋もれた川はやがて河原も流れも見分けがつかなくなって白一色を示してくる。川も河原もは平地よりも低い位置にあるから、その存在だけは分かる。それはまさに新しい白い川の出現である。その川が上流から下流へと延々と続いているのである。沖の石の姿さえ見せない厳冬の大河である。

 雪融けとネコヤナギ

 川の雪融けは結氷とは逆の順序で春を知らせてくれる。白い川に一つまみの流れが黒い隙間を作り始める。雪に埋もれていた流れが、無謀とも思えるほどにも執拗な白い牢獄から逃れようとする努力を繰り返す。それがやっと報われる日が来た。黒い斑点が雪原のところどころに己の存在を誇示するようになる。見え始めた黒い斑点が筋となり流れとなっていくのにそれほどの時間はかからないだろう。河原の雪が融け始めると去年のネコヤナギが姿を現す。そして河原から雪の姿がすっかり消えてしまう頃になると、その先端から淡い綿毛に包まれた芽吹きがはじまるのである。その芽吹きは春の日差しの中でふっくらと優しく育っていくのである。

 河原へは所々に道から下りれるような階段がついている。橋の上からネコヤナギの芽吹きが感じられるようになると、思わずその綿毛を触ってみたいとの衝動に駆られるようになる。まだまだ冷たい風の中でその綿毛だけが近づいてくる緑が間もなくであることを密かに教えてくれるのである(別稿「春は水音」参照)。

 ポプラとアカシヤ

 かメモ橋と私の渡る長栄橋との間にはポプラ並木があり、長栄橋の上流にアカシヤの並木がある。ポプラについてもアカシヤについても既に書いているけれど(別稿「ポプラ幻想」、「アカシヤのある川辺」参照)、私があるく10数分の川辺の散歩にも、とりどりの季節の変化を感ずることができる。この川辺の道は歩くだけしか利用できないから、車や自転車などでの通勤でこうした風情を知ることはできないだろう。更には急ぎ足で仕事場へと向かうようなゆとりのない通勤でも知ることはできないかも知れない。

 あと数年で私も70歳になる。いつまで税理士事務所を続けられるか心もとない限りではあるけれど、仕事をするかしないかはともかくとしてこうした川辺の散歩の習慣だけは大切にしたいものだと、少し涼しくなってきた秋風に、上着を事務所に置いたままのワイシャツ姿のネクタイをなびかせながら思うのである。そして歩くこと、歩けることに感謝しつつ・・・。



                                     2008.9.5    佐々木利夫


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発寒川あれこれ
  
 歩いて事務所へ通っていて、あと10分くらいで到着するくらいの場所で一つの橋を渡る。これまでにここで何度も書いた「琴似発寒川」にかかる橋である。特に何の変哲もない川ではあるが、この河畔は公園と言うか散策路というか一種の水辺を利用した遊歩道になっている。

 私の通勤経路は左の地図の左上の「はっさむ」と赤で囲った中にある発寒駅前のマンションを出て、右下の角にある「西区役所」のすぐ傍にある事務所までの少し縦長の長方形を気ままに歩くことである。一番多いのがJRの線路に沿って「はっさむちゅうおう」駅まで歩き、それから斜めに発寒三条、一条を抜けて西区役所を目指すルートである。そしてこの発寒一条を過ぎてすぐ発寒川が現れるのである。
 この地図の中からどんなルートで自宅・事務所を往復するかはまさに私自身の気ままに任せられている。